Chapter 10: Eagle and the Gecko
ヴァンドリア=レイヴンドーン連合軍陣営
ヴァンドリア=レイヴンドーン連合軍の主力部隊、その後方。
ピエール公爵は自らの指揮用テントへと入った。
もっとも、それは「テント」というより豪華なパビリオンに近かった。絹のカーテン、金装飾の支柱、刺繍の絨毯――戦場というより、王族の晩餐会にでも使うべき代物だ。
中ではすでに、アントニオ大司教、デュラク大魔導士、ルクシウス王子、そして数名の上級将校が、広げられた巨大な戦略地図を囲んで待っていた。
「まったく、あの無礼な悪魔どもめ」
ピエール公爵は鼻で笑いながらテントを横切り、中央に置かれた玉座のような椅子へと腰を下ろした。
「奴らが基本的な礼儀すら理解できるなどと思った私が愚かだった」
獣人の奴隷が静かに歩み寄り、公爵の杯にワインを注ぐ。深々と頭を下げると、音も立てずに下がった。
「つまり、我々の提案は拒否されたというわけですか」
デュラク大魔導士が言った。
ルクシウス王子は腕を組む。
「それで、どうするおつもりです?」
ピエールはゆっくり息を吐いた。
「ワイバーン部隊へ連絡しろ」
彼は言った。
「即時出撃の準備をさせる。全軍は大魔門周辺の敵勢力の殲滅に集中するのだ。悪魔どもに門を封鎖して逃げる時間を与えるな」
彼の視線は地図をなぞり、指が要所の上で止まる。
「それから」
彼は続けた。
「空中輸送手段を見つけ次第、すべて破壊しろ。奴らが例の“ヘル・ドラゴンフライ”とやらで後方に兵を空輸するつもりなら、着陸前に迎撃して消し去れ」
「はっ」
将校の一人が答えた。
ピエールは椅子にもたれ、杯の中のワインをゆっくりと回した。
「地上軍は直ちに集結。獣人部隊と傭兵が前衛を務める」
彼の視線が鋭くなる。
「そして念のため言っておくが――レイヴンドーン軍も同じく前衛だ」
「悪魔公レヴィアタンはどうなっています?」アントニオ大司教が尋ねた。
「奴らの外交官は“不在”だと言っている」
ピエールは肩をすくめた。
「欺瞞かもしれん。だが関係ない。予定通り進める。大司教、聖騎士団の準備は?」
アントニオは胸に手を当てた。籠手の周囲に淡い聖光が揺らめく。
「我が騎士団は、常に悪を討つ準備ができております」
「結構」
ピエールは視線をルクシウスへ向けた。
「王子殿下。あなたは自軍を率いて前進する。異議は認めない」
ルクシウスの体がわずかに強張り、顎が固く締まる。
「……承知しました」
ピエールは席を立った。マントの裾が絨毯をかすめる。
「よろしい。攻撃開始は三時間後だ」
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作戦会議の後。
ルクシウス王子は自分のテントへ戻った。
そこは実に質素なものだった。実用的な帆布、飾り気のない家具。ヴァンドリア公爵の豪奢なパビリオンと比べれば、目立たない小屋にすぎない。
テントに入る前に、彼は周囲を慎重に見回した。
ヴァンドリア側の人間が近くにいないことを確認してから、口を開く。
「メジャ」
護衛に静かに言った。
「誰も私のテントに近づけるな」
「はっ、殿下」
テントの中に入ると、ルクシウスは衣装箱へ歩み寄った。
蓋を開き、折り畳まれた衣服の下から一つの物を取り出す。
衛星電話だった。
彼は自動発信ボタンを押し、接続を待つ。
やがて通話が繋がると、低い声で話した。
「こちらルクシウスだ」
「攻撃は三時間後に開始される……」
彼は目を細めた。
「そして我々は前衛にされる」
わずかな間。
「……悪魔の予想通りだ」
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レイヴンドーン王国 レイヴン城
会議室
「……承知いたしました、殿下」
通信が切れた。
大魔導士グレゴールは衛星電話をゆっくりと下ろし、長く、疲れた溜息をついた。そして振り返り、ルクストル王と――その玉座の傍らに立つレヴィアタンへと視線を向けた。
ルクストル王は、すべてを聞いていた。
唯一の息子が最前線へ送られ、消耗品のような前衛として使われる――その知らせは、王の表情にありありと刻まれていた。顎は固く噛み締められ、両手は拳を作り、抑えきれない怒りが内側で煮えたぎっている。
「さて、陛下」
レヴィアタンが穏やかな声で言った。
「決断の時が来ましたね」
彼は微笑む。
「悪魔と取引をする覚悟は、おありですか?」
ルクストルは答えなかった。
ただその表情だけが、変わった。
怒りが沈殿し、重く、危険な硬さへと変わっていく。
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FOB ドアーズ
前方作戦基地は、制御された混乱に満ちていた。
車両が絶え間なく列をなして出発していく。部隊は目的を持って動き、声は鋭く、命令は短く的確に飛び交う。
その反対側から、数台のハンヴィーによる車列が基地へと入ってきた。そして指揮センターの前でぴたりと停車する。
スタンは車から軽やかに飛び降りた。ジャケットを軽く整え、自信満々の笑みを浮かべたまま建物の中へと歩いていく。
「まだ間に合ったみたいだな」
彼は言った。
「ハンズ、今日のプレイブックは何だ?」
ハンズ将軍とその将校たちは一斉に姿勢を正し、鋭い敬礼を送る。
「特別派手なものではありません、サー」
ハンズはそう言いながら戦術ディスプレイを示した。
「敵が数で圧倒するつもりなら、こちらもオーソドックスに対応するだけです」
戦場のマップがスクリーン上で点灯した。
「第一段階はF-16部隊です」
将校の一人が説明しながら、ワイバーンの拠点を指差す。
「三百体のワイバーンを正面から相手にするのは多すぎるため、初回 sortie で拠点を無力化し、第二 sortie で残存戦力を殲滅する計画です」
スタンは一度だけうなずいた。
「制空権を確保した後」
将校は続ける。
「アパッチ部隊とエイブラムス大隊が前進し、地上・航空の同時攻撃を行います。敵主力線の側面を突くことで、防御陣形が整う前に隊列を崩壊させる予定です」
「いいな」
スタンは言った。
「装甲部隊にヴァルカンをいくつか付けておけ。敵の飛行戦力は放っておくと装甲を優先して狙うはずだ」
「了解しました、サー」
ハンズが答える。
「それから文化省の指示についてですが――大魔門は我々が公式に文化遺産として分類できる数少ない建造物の一つですので、破壊を避けるため、防衛線は門の数マイル手前に設定しています」
スタンは満足そうに息を吐いた。
その笑みは一度も消えない。
「いい仕事だ」
彼は言った。
そして地図に少し身を乗り出す。
「さて、俺の本題だが」
スタンは付け加えた。
「俺はどこに入ればいい?」
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DMZ北方二マイル地点
ヴァンドリア=レイヴンドーン連合軍本隊
ヴァンドリア=レイヴンドーン連合軍は、出撃前の緊張でざわめいていた。
兵士たちは剣を研ぎ、鎧の留め具を締め直し、そして女神へ祈りを捧げていた。
その祈りは、どこか「最後の食事」の前にする祈りのような真剣さだった。
「いいか、覚えておけ。必ず俺の後ろにいろ」
緑の鎧を身にまとった若い人間の冒険者、フミが言った。左腕には誇らしげに盾を構えている。
「俺の盾が、あの悪魔のマスケットからお前たちを守る。奴らの隊列に近づくまでな」
「はい、マスター。あなたがいつも私たちを守ってくれるのは知っています」
そう答えたのは、アライグマ型の獣人少女タリア。
かつては奴隷だったが、今では一応パーティーメンバーということになっている。書類の上では。
「マスター!マスター!」
もう一人、ひよこ型の獣人少女フィロがぴょんぴょん跳ねながら言った。彼女もまたフミに買われた存在だ。
「このクエスト終わって、マスターがSランクになったら、約束通りフィロにお肉いっぱいくれるよね?」
「もちろんだ!」
フミは即答した。
「それに今夜は、二人ともに特別な“肉”もやるぞ。へへへ」
その笑みは、どこまでも英雄的で、そして限りなく下品だった。
フミは近くの岩へと飛び乗り、遠くの悪魔軍を見据えながら大げさなポーズを取った。盾を高く掲げ、胸を張る。
「だから心配するな!」
彼は声高らかに宣言した。
「この俺――大陸に名を轟かす《シールド・チャンピオン》フミが、無敵の魔法盾でお前たちを邪悪な悪魔から守ってやる!」
彼はそのポーズを維持した。
そして――
バシャッ
突然、フミの頭が爆発した。
赤い霧となって消えた。
だが体はまだ岩の上に立ったままだった。盾を掲げ、胸を張り、英雄のポーズを完璧に保ったまま。
「キャアアアアア!!」
タリアとフィロが悲鳴を上げた。温かい血が顔に飛び散る。
「シールド・チャンピオンが死んだ!?」
近くの兵士が叫ぶ。
「盾を展開する前にやられたぞ!」
別の兵士が叫んだ。
隊列の中にパニックが波のように広がる。兵士たちは反射的に身をかがめ、中にはフミの首なし死体を見つめながら、続きを演説するのではないかと本気で警戒している者までいた。
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DMZ南方1.6キロ地点
マルヴォラス山脈
「仕留めた」
コヴァルスキーが呟いた。
視線はまだスコープから外れていない。
レンズ越しに、敵の隊列に広がる混乱が綺麗に見えた。
隣のスポッターは落ち着いた様子で鉛筆を取り出し、ターゲットリストの小冊子にあるフミの肖像へ赤いバツ印を付けた。
「こちらシエラ・ワンフォー」
スポッターが通信機に向かって言う。
「諸君、《ダイヤのエース》を仕留めた。これで我々が十二ポイントリードだ」
通信回線は即座に騒然となった。
「おいマジかよ!」
「くそったれコヴァルスキー!」
「ブーッ!!」
コヴァルスキーとスポッターは軽く笑っただけだった。すでに次の名前を探してスコープを動かしている。
ヴァンドリア=レイヴンドーン連合軍は、親切にもマルヴォラス山脈の向こう側、見通しのいい平原に陣取ってくれていた。
そのおかげでハンズ将軍は、丘陵地帯の各所に複数のスナイパーネストを展開することにした。
優先目標――将校や「危険人物」と分類された者――の情報は、アスモデウス局が提供している。
視界は良好。
遮蔽物は皆無。
結果としてそれは、ムリカ人スナイパーにとって射撃ゲームのようなものだった。
そしてスコアは、順調に伸びていた。
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DMZ北方45マイル地点
ヴァンドリア=レイヴンドーン ワイバーン基地
ワイバーン基地は、レイヴンドーン暗黒森林と不毛のDMZ地帯が接する天然の境界線に位置していた。
不吉な噂の多い森ではあったが、そこから基地へ近づく魔物は存在しなかった。
三百体ものワイバーンが一箇所に集まっていれば、どれほど凶暴な捕食者でも「序列」と「生存本能」という概念を理解する。
基地そのものは複数のキャンプに分かれていた。
それぞれのキャンプには十体のワイバーンと、その騎手たちが配置されている。
ワイバーンは密集させて飼うことができない。
近すぎれば縄張り争いが始まるからだ。
そして――
ワイバーン同士の喧嘩を止めに入るのは、どんな軍でも絶対にやりたくない仕事だった。
それぞれの個体は、二階建ての家ほどの大きさがある。
そして、それを扱う獣使いたちは全員、その事実をよく理解していた。
通信水晶で命令を受けた基地司令官は、すぐに全飛行隊長を司令テントへ招集した。
彼らは中央テーブルに広げられた巨大な戦場地図の周りに集まる。
「よし」
司令官が言い、指で地図を力強く叩いた。
「第一~第十飛行隊。お前たちが前衛だ。敵の航空戦力を排除し、第二波のための進路を確保しろ」
隊長たちは無言でうなずく。
「第十一~第二十三飛行隊は、大魔門へ直行しろ。地上軍が到着するまで、上空で待機だ」
司令官は一度言葉を止めた。
隊長たちに作戦を飲み込む時間を与える。
「そして第二十四~第三十飛行隊は、さらに敵陣深くへ――」
ドオオオォォン
ドオオオォォン
ドオオオォォン
ドオオオォォン
ドオオオォォン
地面が激しく揺れた。
テントの天幕から砂埃が降り注ぎ、爆発音が基地全体を揺らす。
「な、何だ今のは!?」
誰かが叫んだ。
司令官と隊長たちはテントを飛び出した。
そして――それを見た。
空を切り裂くように四つの金属の影が飛び去っていく。
耳をつんざく轟音。
骨まで震えるような衝撃。
基地中のワイバーンが一斉に悲鳴を上げ、翼を広げた。
理由は分からない。
だが、全てのワイバーンが本能で理解していた。
捕食者だ。
「何だあれは!?敵のワイバーンか!?」
一人の隊長が叫ぶ。
混乱の中でも、司令官は即座に指揮官としての冷静さを取り戻した。幾多の戦場を生き延びてきた男の反応だった。
「全員聞け!」
彼は怒鳴った。
「自分の部隊へ戻れ!すぐに発進だ!ここを離れる!」
隊長たちは一斉に駆け出した。
巨大なワイバーンの背へ飛び乗り、鞍にまたがる。
巨大な翼が空気を叩き、地面に土煙が巻き上がる。
最初の数体が離陸を始めた、その時。
一人の隊長が空を指差し、凍りついた。
「戻ってくるぞ……!」
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