第八話『異変』
凪ノ町から電車でおよそ二十分ほどの場所にある日向野町。
市内の中心部に位置し、ショッピングモールや総合病院、美術館などが揃う地方都市だ。そんな日向野町にある総合運動公園内の体育館で、日和は夏休み初日にもかかわらず、チームメンバーと共に盆踊りの練習に励んでいた。
「はーい、一旦休憩しまーす!十分後また集合してくださーい!」
ナツメの号令を受け、メンバーは自分のドリンクを取りに散り散りになった。
「日和すごいね!動きが初めてとは思えない!」
壁際で休憩している日和に近づいてきたナツメは、目を輝かせている。
「ありがとう。動きはゆっくりだけどけっこう難しいね。ついていくの必死だった〜」
日和は首にかけたスポーツタオルで額の汗を拭った。
「この町の盆踊りはちょっと特殊だしね〜。ここまで本腰入れてるところ、珍しいと思う!」
「へぇ〜、なんで特殊なの?」
「あれ?日和『ナギノカミ』の伝承、知らない?」
「ナギノカミ?知らない」
「ずっと昔に、この町の人たちを助けてくれた神様なんだって〜」
ナツメは伝承を日和に語り聞かせた。
「この町の盆踊りは、ご先祖供養の意味もあるけど、夏の終わりに町に降りてくる、ナギノカミをお迎えする意味が強くて、町民が信仰心もって正く生きてますってアピールするためなんだって。それがナギノカミに届かないと災いを持って来ちゃうから、盆踊りにめちゃくちゃ力入れてるってわけ。あ、これ全部じいちゃんの受け売りね!」
「全然知らなかった。……ってか!盆踊りの責任、重大じゃない!?」
「そだよー。だからがんばろー!」
ナツメはいつもの様子で平然と言い放ち、体育館中央へと歩き出した。
「はーい!休憩終わりまーす!集合〜!」ナツメの号令にメンバーが再び集まりだす。日和は鼻を膨らませて一回だけ深呼吸をし、メンバーの元へ駆け寄った。
体育館で練習しているのは日和たち『盆踊りチーム』だけではない。
館内の隅のほうでは、正司たち『太鼓チーム』が持ち込んだ太鼓を叩く練習をしていた。メンバーは数人だけだが、全員黒のTシャツに頭にタオルを巻くスタイルで統一し、体育館中を覆ってしまうほどの熱気を放っていた。
真剣な表情で汗だくになりながら力強く太鼓を叩く姿は、さながら激しい練習に打ち込む運動部のようだった。
正司は目の前の太鼓に集中し、自分のすべてをバチに込めてぶつけていた。叩くことに集中していると、余計な考えが消え、心が軽くなる感覚がした。
日和たちの休憩のあと、正司たちも休憩に入った。正司は吹き出す汗で体の水分をかなり失っていたため、持参したペットボトルのミネラルウォーターを一気に飲み干した。
正司がちらっと横を見ると、眉の太い四十代の男性メンバーと目が合った。彼もペットボトルのミネラルウォーターを一気飲みし終えたところで、正司と目が合うと、凛々しい顔で笑みを浮かべた。正司は返事をする代わりに、凛々しい顔で静かに頷いた。彼らには、言葉がなくても通じ合うものがあった。
休憩が終わって練習に戻る直前、正司の目に、体育館中央で練習に励む日和の姿が留まった。日和も真剣な表情で汗を流している。正司はその姿に思わず見とれた。そして、頭のタオルを巻き直し、後ろでぎゅっと縛り直した。
日和と正司が体育館で練習に励んでいる間、透もハコと一緒に日向野町へ来ていた。
ハコが日向野町の図書館に行くというので、透も着いて来たのだった。凪ノ町にも図書館はあるが、建物が小さく、古びているため、学生が利用することはほとんどない。
特に読みたい本があったわけではない透は、なんとなく『面白いほどよくわかる!量子の世界』という本を手に取り、長テーブル席に座った。
(ハコに『これからよろしくな』と言ったものの、なにしたらいいんだ……?)
透はそんな考えばかりが頭に浮かび、読書に集中できない。
頑張って本を読むふりを続けていた透だったが、どうしても気になって、テーブル向かいに座って本を読んでいるハコへ、そっと視線を向けた。
ハコは読書に集中し、ページをめくるとき以外は微動だにしない。
まるで、彼女の周りだけ時間が止まっているようだ。それでも微かに呼吸の音が聞こえてくる。視線を本に落としているため、長いまつ毛が目元をやわらかく覆っている。そして、瞬きをするときだけフワッとまつ毛が揺れる。その様子を見つめていると、心がまるで、柔らかい日の光に包まれたように暖かく感じ、透は落ち着きを取り戻した。
「なんの本を読んでたんだ?結局、借りてたみたいだけど」
ハコが読書に集中していて、なかなか声がかけられなかった透は、帰りの電車の中で質問した。
「あぁコレ?」
透と横並びで座っていたハコは、カバンから本を取り出し、透に見せた。
「『小さな星』……。小説?」
「そう。児童小説なんだけど、男の子が、自分の住む星を元気にするために、いろんな星を旅するお話」
「私が小さいときに、お母さんが絵本版のほうを読み聞かせてくれてね。私その絵本がすごく好きで。原作の小説版をどうしても読んでみたかったんだ」
「そういえば、透もなにか借りてたよね?」
「あぁ、まぁ」
透も読む『ふり』をしていた本をカバンから取り出した。
「『量子の世界』。透もそういうの好きなの?」
「好きっていうか、興味があるというか。まぁ、あんなことがあったし、ちょっとは理解しておいたほうがいいのかなって」
透は、『本当はハコに合わせて借りただけ──』とは言えなかった。
「ほんと!?お父さんに教えてあげなきゃ!お父さんの研究分野に興味ある人って少ないから、きっと喜ぶよ!」
ハコはとてもうれしそうに、椅子に座ったまま、足をぱたぱたとさせた。
まるで子供のように無邪気な仕草をするハコを見ていると、透はなんだかほっこりした。
「あ、そうだ!」
なにかを思い出したように、透はポケットに手を突っ込んだ。
「これ……」
そう言って、ハコへ手を差し出した。開いた手の中にあったのは、ひとつのビー玉だった。透が昼休みにいつも眺めていた、あのビー玉だ。
「え?…いいの?」
「うん。まぁ、『あの夏の思い出』のとは別物だけどな」
「ありがとう」
するとハコは、ふっと微笑んだ。そして透のほうへ顔を向けた。
「『これ洗った』?」
「……『当たり前だ』」
「……ぷっ!」ハコは思わず吹き出した。
「ははっ!」透もハコに釣られて笑う。
車両に、ふたりの笑い声が響いた。
しばしの間、ふたりはガタンゴトンと鳴る電車のリズムに耳を傾けていた。透はそうしていると、ふたりが同じ空間にいることを肌で感じることができて、とても心地よかった。
「──なぁ、ハコ」
「なに?」
「正司と日和に会ってみないか?」
「……」ハコは自分のつま先あたりに視線を落とした。
「……ごめん。難しいよな、ハコは知っててもふたりは、その──」
「会いたいよ」
透が言い終えるかどうかのタイミングで、ハコは本心を打ち明けた。
「…でもまだ無理。気持ちの問題もあるけど、記憶伝染のこともあるしね。透に伝染した以上、ふたりにも伝染しちゃうかもだし。なにが起こったのかもう少し分かるまでは会えないよ」
「そうだな」
「ありがとう、気にかけてくれて」
そのあと、なにを話したらいいかお互いわからず、少し気まずい雰囲気が流れた。結局、そこからは電車を降りるまで、ふたりとも口を開かなかった。
夏休みが始まって早くも一週間が経った。この日は、カレンダーに書き込んだ透・正司・日和の三人で集まる最初の日程で、日向野町の映画館に行くことになっていた。
「えー、どうしよー!なに観るか悩むー……」
日和は映画館のフロントに並ぶポスターを険しい顔で見つめていた。
「なに言ってるんだ?観るのはもう決まってる!」
正司は腕を組んで『当たり前だろう』という顔をしている。
「あぁ、そうだよな。もうアレしかないよな!」
透も腕を組んで『当然』という顔をしている。
「え?もう決まってんの?」
日和はきょとんとした顔で二人に聞いた。
「ああ!もちろん──」
「そりゃあ、もちろん──」
正司と透は同時に口を開いた。
「銀河戦隊クオンタムTHE MOVIE〜新たなるヒーロー〜!!」
「劇場版ぽよん丸〜ぽよん丸と夏の不思議な冒険〜!!」
「……は?」
ふたりが同時に言ったため、日和は聞き取れなかった。ただ、聞き取れてもおそらく期待できるものではないだろうと感じて、面倒くさそうに聞き返した。
「あー!?『銀河戦隊クオンタム』?子ども向けの戦隊ヒーローものじゃんか!?」透が正司に突っかかった。
「なにを言う!全年代対象だ!お前こそ、『ぽよん丸』は教育アニメだろう?」正司もムキになっている。
ふたりの抗争を呆れて見ていた日和は提案する。
「じゃんけん!じゃんけんで決めよ!」
「まぁ、それが公平か」と正司は頷いた。
「しゃーねーな」透も同意した。
そして日和が合図する「じゃあいくよ!じゃんけん──」
──映画館の帰りの電車。三人は日和を真ん中に横並びで座っている。
「あぁ、映画よかったね〜!めっちゃ泣いた〜」
日和は目を閉じ、余韻に浸っている。
しかし、両脇のふたりは少し不機嫌そうだ。じゃんけんに勝利した日和のリクエストで、『君と、放課後のメロディ』の劇場版を観ることになったからだ。
「なに拗ねてんの?正司も『君メロ』、観たがってたじゃん」
日和は正面を向いたまま、正司に投げかけた。
「いや、まぁ…そうだが。クオンタムが……」
正司はぶつぶつとひとりごとを続けている。呆れた日和は次に、透へ投げかけた。
「透だって最後泣いてたくせにさぁ」
「だっ…!泣いてねーし!」透は顔が赤くなった。
凪ノ町駅に降り立った三人。日和は大きく伸びをした。
「あー楽しかったー!次、三人で集まるのいつだっけ?」
正司はスマホを確認した。『夏の思い出づくりカレンダー』の写真を撮って保存してたのだ。
「次は……来週の木曜だな」
「そっかぁ、来週も楽しみ〜!」日和は満面の笑みを浮かべている。
──こんなふうに遊んだのはいつぶりだろうか?透はしみじみとそう感じていた。つい最近まで、ずっとひとりでいたことが嘘のようだ。これもハコとあの御神木のところで出会ったことがきっかけだ。そう思うと、縁というもののありがたさと同時に、不思議さも感じていた──。
そして透は、思い出したかのように日和に聞いた。
「そういえば、日和は盆踊りの練習は順調なのか?正司の太鼓の練習話は、くどいくらい聞かされたけど……」
「日和はすごいんだぞ!もうすっかり盆踊りをマスターしている!」
日和の代わりに正司が答えた。正司がまるで自分のことのように、うれしそうに話すため、日和は少し照れていた。
「いや、さすがにそれはないって!でもまぁ、リーダーの教え方が上手だからね」
ナツメのことを『豪快少女』で記憶している透は、彼女の顔はすぐに出てきたが、名前を思い出せなかった。そこで日和に聞いた。
「リーダーってあれだよな?日和のクラスメイトの……名前なんだっけ?」
「透、相変わらず人の名前覚えるの苦手だよね〜。名前はね──」
「……」
「どうした?」
透は急に黙り込んだ日和の顔をのぞき込む。
「えっと……あれ?なんで……?名前……出てこない……!」
「なに言ってるんだ?リーダーはナツメだろう?」正司が伝えた。
「あぁそうか、ナツメだったな」透も納得した。
「ナツメ……?そ、そうだっけ……。そんな名前だった…っけ?」
日和の反応に、透も正司も困惑した。
「え?意味わかんない!なんでっ!?」
日和は頭を抱えて激しく動揺している。 正司は日和の肩に、ぽんと手を置いて言った。
「落ち着け、日和。名前をど忘れすることなんて、よくある話だ」
透もそれに便乗するかたちでフォローした。
「そうそう。俺なんて、しょっちゅうだ」
「嫌っ!」
日和は体をひねって、正司の手を振り解いた。そして、その場から逃げるように走り去ってしまった。




