第五話『頼まれごと』
ハコは自分の部屋のベッドで目覚めた。
……あれ?いつの間に眠ったんだろう。昨日は、お父さんとマルシェに遊びに行ったはず……。たい焼き買ったあとお父さんを探してて、それで確か……。
ハコの脳内に透の顔と、腕をつかまれた瞬間がフラッシュバックした。そして、自分の額に手を当ててみる。……大丈夫、特に痛みはない。
「葉子、起きた?」
声に反応してハコが顔を上げると、父の理人が部屋の扉を開け、顔をのぞかせていた。
「私、いつから寝てた?」
「帰ったらそのままベッドに倒れ込んで、次の瞬間にはぐっすり眠っていたよ」
理人はベッドのそばの椅子に腰掛けた。
「なにがあったんだい?」
「静電気みたいなものが走って、目の前が暗くなったの。そこから頭がぼーっとして……。家に帰るまでのこともあんまり覚えてない」
「静電気?なにかに触れたのかい?」
理人は少し前のめりになって、手を組んだ。娘の言葉をちゃんと受け止めようとしているのが、ハコにも伝わってきた。
「……」
ハコは視線を床に落とし、静かに言った。
「……また…彼に会った」
凪ノ町は、一年を通して温暖な気候で、台風被害も少ない比較的穏やかな地域だ。
ただし、夏の雷だけは例外で、毎年のように夏の終わりに大きな落雷が起きることで知られている。町の中心に位置する凪ノ神社の御神木には、雷にまつわる古い伝承が残されている。
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今よりはるか昔、凪ノ町がまだ小さな集落だった頃。悪天候が続いた年があった。作物は実らず、人々は飢えに苦しんだ。
そんなある雨の日、落雷の音とともに黒雲の隙間から一筋の光が集落に差し込み、そこから白い龍が舞い降りてきたという。龍は人々の苦しむ姿を見て、大きな風を巻き起こし、雲を吹き飛ばした。
やがて空は晴れ、不作も解消。集落に恵みがもたらされた。人々はこの龍を『ナギノカミ』と呼び、神として崇めるようになった。
それ以来、毎年夏の終わりになると、落雷とともにナギノカミが天から舞い降り、一日だけ御神木を依代として人々の暮らしぶりを見にくるようになった。
そうして人びとは、『信仰を忘れず、正しく生きればナギノカミが町に恵みを。信仰を失えば災いを持ってくる』と信じ、後世に語り継ぐようになっていたのだった。
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しかし、この伝承も今では語られることが少なくなり、若い世代のほとんどは知らない。透たちも伝承があることは知っていたが、内容は知らない。自分とは無縁のものだと考えて疑わなかった。
マルシェから数日後。
「──黙って帰っちゃって、ホントごめん!」
そう言った透は、正司と日和の前で頭を深く下げ、自分の額のあたりで手を合わせて謝罪した。
実はマルシェでハコの前から去ったあと、ふたりにもなにも告げず、そのままひとり逃げるように帰宅していたのだ。
「別にいいって、なにか急用だったんでしょ?」
日和は事情も聞かず、さっぱりとした顔で透に声をかけた。
「透のぶんまでたこ焼き食べれたしねー。ねっ、正司もいいよね?」
日和に言われて、正司も黙って頷いている。ふたりとも嘘はついていないようだ。
「いや、さすがに悪い!なにか償いをさせてくれ!」
透は手を合わせたまま、ふたりの顔を交互に見た。
「んー……」
日和は腕を組んで顎に手をやり、ちょっと考えてからこう言った。
「じゃあさ、一個、頼まれごとしてもらえる?」
透の顔に安堵の笑みが浮かんだ。
「もちろん!で、なにをしたらいい?」
週末の昼下がり、透と正司は日和に連れられて、町内の公民館の前に来ていた。正司に関しては、日和の提案に巻き込まれるかたちで一緒に来たが、本人はなぜか乗り気だった。
公民館に来たのは初めてで、若干緊張していた透だったが、騒がしい蝉の鳴き声のおかげで気が紛れた。
透たち三人が公民館の大広間に入ると、すでに大勢の大人たちで賑わっていた。
透は事情も聞かずに日和に着いて来たことを、若干後悔した。というのも、集まっている大半は透の親と同い年くらいか、そのひとまわり年上の大人ばかりだったからだ。彼らは数人ずつのグループになって立ち話をしている。別に聞きたいわけでもないが、透の耳にその話の内容が入ってくる。最近体力が落ち始めたという話や、政治家の愚痴話やらに花を咲かせているようだった。
広間の入り口で三人が立ち止まっていると、日和がスマホを取り出し、画面を素早い指さばきで操作し始めた。どうやら誰かとメッセージのやりとりをしているようだ。
「あの奥のグループのとこだって」
日和はそう言って広間の一番奥を指さした。透も正司もなんのことだかよくわからないが、とりあえず指の先へ視線をやった。
すると、そのグループの輪からナツメがひょっこりと顔を出した。そして、こちらと目が合うと、彼女の大きな瞳がより一層大きく開いた。
「おー!来た来た!こっちこっち!」
ナツメが広間に響き渡るほどの大声で手招きしたせいで、大人たちが会話を中断し、一斉に三人に視線を向けた。突然の視線に恥ずかしくなった三人は、頭を低くしながら大衆の間を通り抜けるしかなかった。
「じいちゃん!日和来たよ!」ナツメは隣の老人に声をかけた。
「おお!日和ちゃんもきたか!がっはっはっは!」
ナツメに声をかけられた老人は豪快に笑った。
透は老人の派手なアロハシャツに真っ先に目がいった。色黒の肌も相まって、南国の人物を連想させる。背は小柄なナツメより少し高いくらいだが、がっしりとした体つきで、シャツの袖から出ている腕はナツメの二倍ほど太い。真っ白な髪を頭頂部でひとつにまとめている。
日和は老人に、透と正司の紹介をした。
「友達も手伝ってくれるってことで連れてきました!こっちが透で、こっちが正司です」
「神谷 正司です。よろしくお願いします」正司は丁寧に挨拶した。
「あ、ども…春川 透です」
正司とは対照的に、透は恥ずかしそうに床の畳を見ながら挨拶した。
日和は続いて老人の紹介をする。
「この人はナツメのおじいちゃんで、桂木 忠雄さん。私がバイトしてる本屋のオーナーさんでもあるの」
「ついでに町内会長もしとるぞ!がはははっ!」
忠雄は両手を腰に当てて笑っている。
透はナツメの豪快さがどこから来ているのか、わかった気がした。それでも一向に状況が飲み込めず、日和に耳打ちした。
「日和……頼まれごとって一体なんなんだ?」
「あ、ごめん内容言ってなかった!あのね、今度の夏祭りのお手伝いを忠雄さんに頼まれたんだけど、透と正司も一緒に手伝ってほしいってのが私からのお願い!」
「夏祭りの手伝い?」
透が聞き返すと、すかさず忠雄が間に入ってきた。
「そう!わしは夏祭りの運営の代表もしとる!──運営スタッフは毎年ボランティアでまわしとるんじゃが、同じ顔ぶればかりでのー」
忠雄は部屋の大人たちをさっと見回した。
「若い子にも入ってもらわんと、活気がでんからの!わしから日和ちゃんにお願いしたというわけじゃ!若い人手は多いほうがいい!今年の夏祭りは活気づくわい!がっはははは!」
忠雄は上機嫌に語った。
「私は代表の孫ってことで毎年強制参加だけど!」
ナツメも笑いながら、忠雄の話に付け加えた。
自分には向いていないことを引き受けてしまったと、透は思った。
「それで俺たちは具体的になにをしましょう!」
やけに静かにしていた正司が突然、目を輝かせながら一歩前に出た。正司の横顔を見て、忠雄の熱に感化されたことを透はすぐに見抜いた。
忠雄はうれしそうに言った。
「素晴らしい意気込みじゃな!確か、正司くんじゃったか?いい体格をしとる!やぐらの打ち手にぴったりじゃ」
忠雄の話を、ナツメが補足する。
「あ、盆踊りで叩く太鼓役のことね!やぐらの上でやるから目立つよ!」
「任せてください!体力には自信あります!毎年、運動会の綱引きでアンカーをしていますし!」
「それは結構なことじゃ!それから、日和ちゃんには盆踊りのほうに出てもらいたい!」
忠雄の突然の任命に日和はたじろいだ。
「ええ!?私、盆踊り経験ないです!ってか人前で踊ったことすらないし……」
「盆踊りのメンバーも世代交代を考えとった頃合いじゃったからの。それに、わしは華麗に舞う日和ちゃんの姿を見てみたいのぉ!がっはははは!」
忠雄の笑い声は、今まででいちばん大きく部屋に響き渡った。
(下心見え見えじゃねーか、クソジジイ…!)
透は腹の中で湧いてきた苛立ちをぐっと堪えた。
「大丈夫!毎年盆踊り参加の私がリーダーするから!一緒にがんばろー!」
ナツメが日和の手を取りながら言った。
「えー…。まぁ、ナツメと一緒なら……」
渋々承諾する日和を見て、頼まれたら断れない性格は、小学生の頃から変わっていないなと透は感じた。
結局、今回の集まりはほとんどが雑談ばかりで、最後にまだ決まっていない人の役決めをして解散になった。
公民館をあとにした三人は、夕焼けに照らされた人気の少ない道を、横並びで歩いて帰っていた。
ただでさえ集団の中にいるのが苦手な透は、声の大きな人たちに揉まれてすっかり疲弊しきっていた。それでも、忠雄の直感によって任命されたのが『迷子案内ブースの手伝い』という、比較的簡単そうなものだったので、内心ほっとしていた。
「あー、勢いでOKしちゃったけど、盆踊り大丈夫かなぁ……」
日和は不安を隠せない。透は日和にすぐに声をかけず、あえてちょっと間を置いた。
こういうとき、真っ先に日和を励ますのは正司の役目だった。小学生の頃から、暗黙の了解だった。七年のブランクがあっても、きっと正司が先に口を開くだろう。透はそう思っていたのだが……。
「………」
正司はなにか考え事をしているのか、上の空だった。そのせいで無言の時間ができてしまい、三人の間に変な空気が漂った。透は慌てて日和をフォローした。
「まぁ、日和は運動神経良かったし、大丈夫だろ!」
そして正司の顔をちらっと見た。彼は相変わらず、ぼーっとどこかを見つめているだけだった。
正司・日和と別れ、狭い路地をひとり歩いていた透は、突然、背後から声をかけられた。
「──あの、ちょっといいかな?」
透は思わず体をのけ反らせた。そして、恐る恐る振り返る。
そこに立っていたのは、ややふっくらした体型の長身の男性だった。年齢は四十歳前後といったところだろうか。細い黒縁の丸眼鏡からのぞく目は細く、目尻がやや垂れており、優しそうな顔つきだ。白髪交じりの髪はややボサついており、うっすら顎ひげを生やしている。紺のジーンズに白のTシャツ、羽織っているモスグリーンの薄手のシャツは、アイロンがかかっておらずシワが目立つ。シンプルにまとまった服装はカジュアルでオシャレにも見えるが、全体の雰囲気からすると、あまり見た目に気を遣っていないだけに思えた。
「春川 透くんだね?」男性の声は低いが、柔らかかった。
透はこの人物のことを知っている。先日のマルシェで、地面にうずくまるハコに駆け寄ってきた人物だ。
──いや。実はそれよりも前からこの人物を知っている。記憶にある状態からは少し老けたが、間違いない。
「あ、あなたは……」
「僕は白凪 理人。葉子の父親です。──さっそくで悪いが、うちに来てほしい。君に話さなければならないことがある。娘に関わることであり、君にも深く関係していることだ」
透は近くに停めてあった理人の白いワゴン車に乗りこんだ。ハコが乗車しているかと思ったが、理人はひとりでやって来たらしく、他には誰も乗っていなかった。
ワゴンに揺られながら、透は『やはりこうなったか』と思った──。
実は理人が自分に接触してくると、心の隅っこで予期していたのだ。そして、ハコとも近いうちにまた再会するだろう、とも。




