第三話『再開』
ハコと再会した翌朝。透は通学路をひとり歩いて登校していた。
高校生活は退屈で窮屈だと感じながらも、透は一度も学校を休んだことがなかった。決してタフなほうではないが、辛いことがあっても長続きすることはなかった。なんだかんだでストレスをうまく受け流すことができていた。透はそんな自分をちょっとだけ誇らしく思っている。
しかし、昨日の一件はさすがの透もこたえた。結局、昨晩は一睡もできなかった。
『ハコは俺のことを忘れてしまった』。その事実を心が受け止めきれないまま、気づけば朝になっていた。人生で初めて学校を休もうかという考えが頭をよぎったが、結局は支度をしていつも通りの時間に家を出ていた。
「ハコは俺のことを忘れてしまった……」
透は通学路を歩きながら、同じ言葉を何度もつぶやいた。
それでも透は、ハコとの再会がただの偶然とは思えなかった。運命思考もスピリチュアル思考も持ち合わせていない透だったが、今はただ、そう感じていた。
それなのに……。向こうは覚えてすらいないだなんて。頭の中でぐるぐる考えを巡らせていると、なんだか急に腹が立ってきた。
「そんなの……おかしいだろ!」
透は思わず声に出してしまっていた。登校中の他の生徒からの視線を一気に集めてしまい、顔が熱くなった。
その日の昼休み。いつものように理科準備室に向かおうとした透は、隣のクラスの前でふと足を止めた。そして、そのタイミングでちょうど教室から出てきた男子生徒に声をかけた。
「あの……神谷って、今、教室にいる?」
透が理科準備室の椅子に座って待っていると、扉が開いた。
入ってきたのは正司だ。長身で筋肉質。短髪だが、ちょっとでも前髪が額にかかるのが嫌なのか、ワックスでしっかり固めて額を全開にしている。肌は地黒で、シャツの白さを際立たせている。きりっとした眉。すっと伸びた背筋。几帳面で律儀な性格が、全身からにじみ出ている。
正司は入り口前で立ったまま、腕を組んだ。
「透、久しぶりだな。それで、話ってなんだ?」
回りくどいことが苦手な、正司らしい聞き方だった。
「生徒会が忙しいのに、なんか悪いな」
正司はいかにも運動部らしい見た目をしているが、高校に入学して、迷わず生徒会に入っていた。
「──えっとさ、正司は小三のときのことってどれだけ覚えてる?」
透は正司の顎を見つめながら言った。
透が相手の目を見れるようになるには、いつもちょっと時間が必要だった。例え相手が幼なじみでも、久し振りに話す以上、必要な『儀式』だった。
透の質問を受け、正司は顎に手をやった。
「小三?ずいぶん昔の話だな。どれくらいと言われても困るが……」
「特に夏のことなんだけど……。毎日一緒に遊んでたよな?俺たち」
「ああ。それがどうかしたか?」
「よかった。正司は覚えててくれた」
「なんなんだ一体?」正司は眉をひそめている。
「驚くなよ。──昨日さ、ハコに会ったんだ。神社でばったり。あいつ凪杜に通ってるみたいなんだ」
透は早口で話を続ける。
「こっちに帰って来てたんだよ。でも、あいつ俺の顔見ても覚えてないって感じでさ。ショックだよ。あれだけ一緒に遊んだのに……」
ここで透は、ようやく正司の目を見た。すると、不思議そうにこちらを見つめる黒い瞳と目が合った。
「お前、まさかと思うが……。『例の噂』は本当ではないよな?」
「噂って……。まさか、俺が変な薬やってるとかいうアレか?──そんなわけないだろ!」
透はすぐに否定したが、それと同時に、正司にすら相談しない自分が悪い、疑われても仕方ないと思った。
それを聞いて安心したのか、正司の肩が少し下がった。
「そうか。それならいいんだ」
正司は組んでいた腕をほどいて透の横の椅子まで歩き、すとんと腰掛けた。
「あんな噂を真に受けてたのか……?」
透がそう聞くと、正司は少し慌てた様子で言った。
「真に受けていたわけではない。ただ、万が一を考えて……な?──まぁ、なんにせよ、噂がでたらめでよかった!しょせん噂は噂だな!」
(結局、真に受けてたんじゃないか……)透は心でそう思ったが、そういう馬鹿正直な正司の変わらない姿が昔の面影と重なり、透は思わず吹き出してしまった。
「ぷははっ!まったく、お前は変わんないな!」
正司はきょとんとした顔で透を見ていた。
少し間を置き、正司は再び腕を組んだ。
「──しかしだな。だとしたら、なおさら要領を得ない。お前が言う『ハコ』とかいう人物。俺の記憶にない。というより、知らん人物だ」
「……は?ハコのこと覚えてないとか、冗談だろ?いつも『四人』で遊んだろ?」
「いや、俺たちはいつも『三人』だった。俺の記憶の映像には、お前と日和のふたりしか出てこない」
そう話す正司の顔は、いたって真面目だった。
透はこのとき、なにか違和感を感じた。しかし、それがなんなのかはっきりしなかった。
「まぁ、俺は昔から、人の顔を覚えるのが苦手だからな。こういうことは、あいつに聞いたほうが早いんじゃないのか?」
「あいつって……」
「もちろん日和だ。記憶力なら俺たちの中で一番よかっただろ?」
透はテーブル下の自分の足元へ目を落とした。
「……実は俺、あいつの連絡先知らなくてさ」
日和は中学から透や正司とは別の学校に進学し、それ以降一度も顔を合わせていない。
「じゃあ、俺が連絡してみよう」
正司はスマホを取り出して、すぐに電話をかけた。呼び出し音が聞こえた透は、一気に緊張した。
そして、三回目の呼び出し音のあと、正司のスマホからかすかに相手の声がした。
「日和、俺だ。実はな──」
電話の会話は、透の頭に入ってこなかった。
(ふたりはちゃんとつながってたんだな。その間も俺は自分の殻にこもって……。一体なにしてたんだろう──)
「──というわけだ。じゃあよろしく頼む」
正司が電話を切った。そして少し考え、透に言った。
「すまない。要件だけ伝えて切ってしまった。代わったほうがよかったか?」
「いや。代わられても、なに話したらいいかわかんないや……」
正司は不思議そうに透を見つめていた。
日和との再会場所は、近所の個人経営のバーガー店だった。店内を彩る、アメカジの家具や雑貨はオーナーの趣味だ。チェーン店ほどではないが、安価で長時間居座っても追い出されないことから、地元の中高生の溜まり場になっていた。そして、この場所を指定したのは日和だった。
透は約束の時間の十分前に正司と一緒に店に入り、ボックス席に横並びで座った。日和はまだ来ていない。ふたりは、しばらくスマホをいじりながら到着を待っていると、待ち合わせ時間ちょうどに声がした。
「お待たせ〜」
透がぱっと顔を上げると、短い丈のスカートに白シャツのボタンを二つほど外して襟元をラフに開いた、茶髪の女子高生ギャルが立っていた。
「いつも時間ぴったりにくるなお前は」正司が返答した。
「……え?ひ、日和?」
透は恐る恐る声を発した。確かに癖っ毛の前髪は『ハの字』を描いている。間違いない。
「透!マジでひっさしぶり!生きてた〜?」
「ひ、久しぶり……」
透はさっと目線を日和の顎へ落とし、心の中で叫んだ。
(ええ!?ギャルになってるー!!)
日和が同席してしばらくは、透は緊張から一言も発さず、ずっと背筋を伸ばしたまま、正司と日和の世間話を聞いていた。話し方から、ふたりは度々会っていたとわかる。
「透?なんもしゃべんないじゃん。どしたの?」
皿に盛られたポテトをひとりで食べ進める日和が、急に透に話を振ってきた。小学生ぶりとは思えないほどに脱力した話し方だった。
「──!」
次々と口に運ばれるポテトに気を取られていた透は、突然の振りに対応できなかった。
日和はにやりと笑った。
「なに〜?──あ、もしかしてあんた緊張してんの?」
「いや、お前がラフすぎるんだろう。七年ぶりなんだから、慣れるのにそれなりに時間がかかるものだろ」
そうフォローを入れた正司が、透には聖人に見えた。
「ふぅーん。そんなもんなのかぁ……」
日和はあまり腑に落ちていない様子だった。それでもそこからは、透に話を振るタイミングを図るようになっていた。
(あぁ。こういうとこ、確かに日和だわ)と透は思った。
一見ぶっきらぼうに思える言動をとりがちだが、見えないところですごく丁寧に相手に気遣いができる。今考えてみれば、最初のラフな絡みも、緊張感のある空気をほぐそうとしてくれていたのかも知れない。
透は思わずふっと微笑んだ。そこからは、透も肩の力が抜け、自然に会話に参加できるようになっていた。やっぱりこのメンバーとの会話は楽しい。透の脳内にいろんな思い出が蘇る。
「──ってか、なんか聞きたいことあるんじゃなかった?」
最後の一本のポテトを口に運ぼうとしていた日和が唐突に言った。
「あぁ、それなんだが──」
正司はそう言って透へ視線を送り、それを受け取った透が口を開いた。
「あのさ、日和。『ハコ』って覚えているか?小三の夏に転校してきた。いつもよく遊んでた女の子。銀髪で紺色の目の──」
より確実に答えを引き出すために、丁寧にハコの特長を日和に伝えた。
透が話し終えたあとも、日和は黙って透の目を見つめていた。そして、最後のポテトを口に放り込み、ちょっと考えたあとでこう言った。
「これってもしかして…ドッキリ?ねぇ、ドッキリでしょ!?」
日和は透と正司の顔を交互に見た。
「んー……」正司は腕を組んで、天井を見上げた。
「え、違うの?」
「……違う」
そう言って透はテーブルに視線を落とした。テーブルに置かれた日和の派手な装飾のスマホケースは、目のやり場にもってこいだった。
しばらくの沈黙のあと、正司は探偵のような聞き方で日和に質問した。
「日和は『ハコ』という名前の人物に、なにか心当たりはないか?」
「んー。ないかな。そんなハーフギャルみたいな子、忘れるわけないし」
どうやら日和は透の説明を受け、ハコを『ギャル』として認識したようだ。
正司は天井を見ながら言った。
「透の話だと、その年の秋に、また転校したんだったな。だとすると、卒アルにも載ってないわけか……」
すると、日和が透に提案した。
「でもさ、ずっと一緒に遊んでたなら、一枚くらい写真が残ってるかも!うちの中探してみよっか?」
まったく覚えのない人物のことなのに、正司と日和は協力的だった。透にはそのことがうれしかった。しかし、だからこそ悲しくもなった。
「いや……。ふたりが覚えてないなら、もういいんだ」
大事なのは今も覚えていたかどうかであって、ハコの詳細を調べ上げることではなかった。
重たい沈黙が三人のボックス席に漂った。若い客層に媚びを売るように、店内で延々と垂れ流されていた最新のJ-POPが、やけに大きく響いていた。
「あ、そうだ!」
三人が店を出たとき、日和が突然なにかを思い出した。
「ふたりとも、週末は暇?」
「生徒会は週末の稼働はないから空いてるぞ」
正司が先に答えた。
「あ、俺も……空いてる」
透はいつも空いてるが、ちょっと間を置いて、『たまたま空いている感じ』を出した。
「じゃあ…これ!」日和は通学カバンからチラシを二枚取り出して、ふたりに渡した。
「うちの学校って定期的にマルシェするんだー。いつもは生徒の家族しか来ないんだけど。今年から外部の人もちゃんと集客しようって方向になってさ。私、宣伝隊長に任命されてるからたくさん集めないとなんだ!ふたりもせっかくだし、来てよ!」
「イベントか!行こう!」
正司はすでに盛り上がっている。イベントごとは基本なんでも好きなタイプなのだ。
「えっ、でも日和の学校って確か……」
透はそう言って、日和のシャツの胸ポケットの校章を見る。
「あぁ、うち女子高だけどさ。こういうときは、男子も入って大丈夫ってなってるから」
日和は校章が目立つように、シャツの胸ポケットを指でつまんでヒラヒラさせた。ただでさえ襟元がはだけているだけに、日和の仕草には、透も正司も目のやり場に困った。




