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第二話『小さな宇宙』

透は目を閉じると、いつでも小学三年生の『あの夏の思い出』に触れることができた。まるで、瞼の裏にスクリーンがあって、そこに映像が投影されるように。何度も繰り返し思い出していたためか、体が自動で反応するようになっていた。その思い出だけが透の心の支えだった。


そして透は今、自分の部屋のベッドに仰向けになり、また思い出に触れようと、そっと瞼を閉じる──。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


ハコとの出会いは夏祭りだった。幼なじみの正司・日和と毎日一緒に遊んでいた透は、例年通り、今年の夏祭りも三人で行こうと提案した。


「透ー!行くぞー!」


夏祭り当日の午後、透が自分の部屋でゲームをしていると、窓の外から声がした。窓から顔を出して外を見ると、家の前で腕を組み、こちらを見上げている正司と目があった。


「あれ?日和は?」透は窓越しに正司に聞いた。


集合するときは、ふたり一緒に透の家に来ることが多かったのだが、今日は正司はひとりだった。


「準備に時間がかかるから、先に行ってくれってさ!」


ひとりで待たせるのは可哀想だと思った透は、慌てて家を出て、正司とふたりで夏祭り会場の凪ノ神社へと歩いた。


神社に着くと、すでに結構な人だかりができていた。


凪ノ神社は格式高い神社だ。本殿も鳥居も立派で、なにより敷地が広かった。学校のグラウンドがすっぽり入るんじゃないかというくらいだ。そんな中でも、特に目を引くのが境内にある御神木だった。樹齢は千年とも二千年とも言われていて曖昧だが、とにかく古い大木で、見上げても枝の先がはっきり見えないほど高い。幹の太さは大人十人が取り囲んで抱きついても、隙間ができるくらいだ。


この『シンボル的存在』の御神木をくるっと囲うように、人が集まっていた。


「もう結構来てるなー。開始までまだ三十分もあるのに」


正司は自分の左手首の、赤い腕時計を確認しながら言った。ゴツゴツしたプラスチック製のその腕時計は、戦隊ヒーローの変身グッズをモチーフにしたものだ。正司は小三になってからヒーローごっこデビューをした珍しいタイプだった。


そんな正司と透は、御神木のそばで日和を待つことにした。適当に立ち話をしながら時間を潰していると、夏祭り開始時刻ちょうどに日和が現れた。


「お待たせ〜」


日和は夏祭りに合わせてしっかりと浴衣を着込んでいる。肩くらいの長さの後ろ髪は普段降ろしているが、今日は後ろで括ってポニーテールにしている。それに対して癖っ毛の前髪はいつも通りで、額の上でふわっと横に広がり、自然な『ハの字』を描いていた。日和は自分の浴衣を見せるようにそっと袖を広げ、「どう?変かな?」と言った。慣れない格好に、ちょっと気恥ずかしそうだ。


「なんで浴衣?毎年私服じゃん」と正司が言い、「それより腹へったからなんか買おう!俺たこ焼きがいい!」と透が言った。


日和は呆れて言い放った。


「あんたたちのそういうとこ……ないわ」


その言葉も虚しく、透と正司はなんのことかわからず、きょとんとするだけだった。


その後、三人はふた手に分かれ、正司と日和がたこ焼きを、透はドリンクを買いに行くことになった。屋台の位置は毎年ほぼ同じなので、透は迷わずドリンク販売の屋台を見つけることができた。氷水の入った大きなクーラーボックスに、いろんな種類のドリンクが浮かべられている。


「え?ラムネ……ラス一じゃん」


透は焦った。屋台の主人が誤発注したのだろう。ラムネの代わりに、そこまで需要がないはずのグレープフルーツジュースが大量に敷き詰められていた。


透が慌てて最後の一本のラムネに手を伸ばすと、反対方向から伸びてきた手とぶつかった。


「あっ!」


声を出した透は、咄嗟に相手のほうへ目を向ける。相手の少女もこちらを見ている。


透の目と少女の目が合う──。透は、彼女の大きな瞳に思わず見入ってしまった。吸い込まれそうになる大きな瞳。その瞳は夜の底のような深い紺色をしている。瞳の縁で無数の光が揺らめいていた。


透は少女と目が合っている間、自分が知らない場所に飛ばされたような不思議な感覚がしていた。


「あの……」


少女が小さい声でつぶやいた。


「あ、ごめん!」


ぱっと手を引いた透は、ここで初めて少女の全身を見た。


肩まで伸びたさらさらの銀の髪。背は透たちよりもひとまわり小柄だ。年下だろうか?銀髪に紺の瞳……日本人じゃない?


透はクーラーボックスのラムネを指さして、ぎこちなく言った。


「あ…ラムネ……どうぞ」


すると、少女はラムネを手に取り、透へと差し出す。


「んーん。そっちがどうぞ。私、炭酸は飲めないから」


「え?飲め…ないの?」


「そう。だからどうぞ。その代わり、そのビー玉だけあとでもらっていい?」


小さく透き通るような少女の声が、周りの騒音をすり抜け、透の耳にまっすぐ届いた。


ただビー玉がほしいと言われただけなのに、透は少女から告白されたかように感じ、顔が熱くなった。


「あ、あとで持ってくよ……」


少女と別れた透は、日和たちと合流した。ラムネと、なんとなくで選んだグレープフルーツジュース二本を手に。透を見るなり、日和は呆れて言い放った。


「なんでもいいって言ったけど、なんでよりによってグレープフルーツ!?」


結局、『あとで』はこの日には訪れなかった。正司と日和に怪しまれないように、それとなく境内を探してみたが、『銀髪で紺の瞳を持つ少女』は見つからなかった。


ところが、透は意外なかたちで少女と再会する。


それは、夏休み明けの最初の登校日。担任教師が朝礼で「今日から新しい仲間が増えます」と話し、教室の外で待たせていた生徒を呼ぶ。


「なになに?転校生?」

「男?女?」


クラスメイトがざわつくなか、ゆっくりとドアが開いてひとりの少女が教室に入ってきた。一番後ろの席の透には顔はよく見えなかったが、窓から差し込む朝日に照らされて輝く銀の髪を見て、それが夏祭りで出会った、あの少女だとすぐにわかった。


「白凪 葉子です。東京から来ました。前の学校ではハコと呼ばれてたので、そう呼んでもらえたらうれしいです。あと、よく間違われますが、日本生まれ、日本育ちです。お父さんは日本人で、お母さんはロシア人です」


『東京から来たハーフの転校生』のハコは一気に生徒の注目の的になった。


休み時間になると、クラス中の女子が一気にハコの席に詰め寄り、質問攻めにしていた。大人しいタイプだが、人当たりは良かったハコは、クラスメイトから矢継ぎ早に飛んでくる質問に丁寧に笑顔で返していた。そのため、透がハコに話しかけられたのは放課後になってからだった。


透は、ようやく女子集団から解放され、机の上で教科書をまとめているハコにそっと近づき、その顔の前に握りしめた右手を突き出した。


きょとんとした顔で透を見上げるハコ。


「これ……約束してたやつ」


透はいろいろ端折って話しかけてしまったことを後悔しつつ、握った手を開いて、中のビー玉をハコに見せた。


「ああ!夏祭りのときの!」


ようやく透のことを思い出したハコは、うれしそうに目を輝かせた。


「まさかうちのクラスにくるとは思わなかったけど、探す手間は省けた」


そう言って透は、ハコの手にビー玉を乗せた。


「ありがとう!わざわざ持ってきてくれたんだ!」


ハコは人差し指と親指でビー玉をつかみ、窓からの日の光に透かして見つめている。


すると、ふと視線をズラして透のほうを見た。


「あ……これ、ちゃんと洗った?」


透はすかさず返した。「当たり前だろ!」


「ところでさ、なんでビー玉なんかがほしかったんだ?」


ずっとビー玉を見つめているハコに透は思いきって聞いてみた。本当はビー玉のことより、少しでも彼女と話したかっただけだが。


「ずっと前にお母さんがね、私の瞳のきらきらは、ビー玉みたいねって言ってくれたんだ。それからは、お気に入りのビー玉を見つけたら集めるようにしてるの」


ハコは視線をビー玉から透へ移した。ちょうどそのとき、日が少し傾き、差し込む光が彼女の瞳に重なる。その瞳には濃紺の海と、そこに浮かぶたくさんの光の粒が美しく輝いていた。透には彼女の瞳はビー玉というより、星々を優しく包む『小さな宇宙』のように見えた──。


それからハコは、透・正司・日和の三人とすぐに打ち解け、四人で毎日を一緒に遊んで過ごした。まるで、ずっと前から仲良しだったかのように。


透は夏も終わりに近づいたある日、自分だけの『お気に入りの場所』にハコを連れて来た。


凪ノ神社の裏は山になっているのだが、神社の脇の草むらをかき分けると、人がほとんど通らない細い登山道に出る。透が偶然見つけたこの登山道を十五分ほど登った先に、開けた『見晴らし台』がある。ベンチがひとつ置いてあるだけの殺風景な空間だが、凪ノ町を見渡すのには十分な高さがあった。


「わぁ!いい景色ー!」


ハコは、足元に広がる町を一望してそう言った。


「本当は山頂の展望台から見たほうがもっと町全体が見えるんだろうけど、俺はこっちのほうが好きなんだ。こっからなら、町も海も山もちょうどいい感じで見えるだろ?」


中央に広がる町と、それを包むように広がる海と山をそれぞれ指さしながら、透は力説した。この場所は日和や正司にも教えていなかったが、なぜかハコには見せようと思った。


「町も海も山も空も。なんか全部が混ざってひとつになったみたい」


そのハコのつぶやきに、透は全身に鳥肌がたった。透自身もまったく同じように感じていたからだ。


「──考え事をしたいときは、ここに来るんだ。この景色を見ていたら、頭がすっきりして考えてたことなんてどうでもよくなる」


透がそう話すと、ハコはにやにやしながらからかってきた。


「へぇー。透でも考えることあるんだね」


「あ、当たり前だろ」


ハコにからかわれたのは初めてだった。そんな彼女の新たな一面を知れたことが透はうれしかった。


そのとき、優しい風が二人を包んだ。風はうだるような夏の暑さを払い去ってくれた。


ハコと出会って三ヶ月が経った頃。透たちに突然の知らせが届く。


ハコが父親の仕事の都合で、また東京に戻らないといけなくなったのだ。知らせを受けたとき、感情が豊かな日和はもちろん、堅物の正司も珍しく号泣した。


しかし、透だけは一切泣かなかった。実感がわかなかった。とても現実のものとして受け止めきれなかった。そのため、ハコ一家が凪ノ町を去る当日も、透だけが駅まで見送りに行かなかった。


こうして、きらきらと輝く四人の日常は、秋の訪れとともに終わりを告げた。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


「あのとき、見送りに行くべきだった……」


仰向けの透から放たれたそのひとりごとは、どこに届くでもなく、空中でふっと消えた。


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