第一話『御神木』
本作はすでに最後まで執筆済みで、二日に一話ずつ更新していく予定です。
初めての連載となりますが、よろしくお願いします。
春川 透は今日も理科準備室でひとり、昼食をとっていた。
高校二年生の透はクラスメイトと群れることはしない。いじめられているからではない。ただ、人と関わりたいと思わないだけだ。集団で群れることが前提の学校という場所では、ひとりでいる透のような存在は非常に浮いてしまう。そのため、いつも昼休みは、誰もいない理科準備室で過ごすしかないのだ。
退屈な学校生活を終え、帰宅部の透は誰よりも早く家に帰った。自分の部屋に入るなり、ベッドの上で仰向けになり、天井を見つめて考えていた。
透が人と関わらないでいるのには理由があった。彼は今、高校生活のほとんどに関心が持てないのである。勉強も運動も、SNSの話題しか上がらないクラスメイトとの会話にも。すべてに無気力だった。ただひとつのことを除いて──。
ある記憶を思い出してから、透はひとつのことにしか関心を抱けなくなっていた。正確にはひとりの少女のことしか。
それは去年の夏の終わりのこと。透の住む町に嵐がやってきた。
昼過ぎ頃、午後の授業を居眠りしながら受けていた透は、すさまじい雷鳴で目を覚ました。町全体が停電に見舞われるほどの大きな落雷が発生したのだ。過去に例を見ない規模の落雷の影響で、透の受けていた授業も一時中断された。突然のハプニングに教室中は盛り上がった。授業が中断され、慌てる教師とは対照的に、生徒たちはハイになっていた。
結局、一時間ほどで停電は復旧。いつもと変わらない日常がすぐに戻ってきた。
ところがその晩、眠りについた透は急な発熱にうなされる。混沌とする意識の中で、透は自分の体がふたつに分離し、どちらが本当の自分かわからなくなるという内容の夢を見た。
翌朝になると熱はすっかり冷めていた。ただの夢だと気にしていなかったが、この日を境に、些細な物忘れや記憶違いが多発するようになったのだ。
その状態が数日続いたある日。透はなぜか突然、小学三年生の夏の出来事を思い出した。
「いつも同じメンツで集まって遊んでたっけ。懐かしいなぁ。あの頃は毎日がきらきらして楽しかったな」
透は当時のことを思い出し、思わず笑みがこぼれた。活発的で気が強い幼なじみの柚木 日和、同じく幼なじみで、戦隊ヒーローの影響で強い正義感を持つ神谷 正司。
そして──
「ハコ……」
白凪 葉子。葉子の『葉』を訓読みして『ハコ』と呼ばれていた。
小学三年生の夏に透の学校に転校してきたが、同じ年の秋にまた転校してしまった。ハコと過ごした数ヶ月の『あの夏の思い出』が、透の脳内に鮮明に蘇る。
「あのときが人生で一番楽しかったはずなのに、どうして、今日まで忘れていたんだ……?」
罪悪感にも似た感情が透の中に湧いてきた。それでも次々と蘇る当時の鮮やかな日々。
「……会いたいな。ハコにもう一度」
けれど、相手の連絡先はわからなかった。それに、あれから七年も経つ。
(今さら会ってどうする?向こうがすっかり別人になってたら?やっぱり、諦めたほうがいいか……)
そう自分に言い聞かせることで、どうにか納得しようとしていた。
しかし、どうしてもモヤモヤが残る。そもそも、なぜ今になって思い出したのか──。
そのうち忘れるだろうとも考えたが、『あの夏の思い出』は、いつも頭の片隅に残り続けた。
そうして透は、学校でも家でも目の前のことに集中できなくなり、ついには、自身の日常に関心が持てなくなっていった。
透の異変をクラスメイトはすぐに感じ取った。入学当初は人当たりが良かった透が、いつもぼーっとして『心ここにあらず』。次第に周囲は、透と距離をとるようになった。透もひとりのほうが気が楽だった。『透とその他』という構図ができあがるのに、時間はかからなかった。
「春川ってさ、なんかいつも昼休みいなくね?」
「噂によると、人目を盗んでやばい薬やってるらしい」
「まじ?なんで普通に学校に来れてんの?」
「証拠が出ないんだって。見つかりにくい新型の薬とかで」
「こえ〜。それでいつもぼーっとしてたんだ。まじ来んなって学校」
いつからか、そんな噂話が立つようになっていた。透の耳にもその噂は届いていたが、それすらどうでもいいと思っていた。
そして、こうした今も、理科準備室でひとりコンビニのサンドイッチをむさぼっている。
透はサンドイッチを半分だけ食べ、残りは外装で包み直してカバンにしまった。そして、窓のそばに歩み寄り、ポケットからビー玉を取り出した。
──ハコの瞳の色に似ている。
たまたま前を通りかかった駄菓子屋で売られていたビー玉を、一目見た透はそう感じた。そして気づくと、買って帰っていたのだ──。
透は窓に差し込む日の光をビー玉に透かしてみる。光はビー玉の中で屈折して、不規則ないろんな輝きを見せてくれた。
しかし、どれだけ角度を変えてみても、記憶の中のハコの瞳ほどは輝いてくれなかった。
放課後の帰り道、透は風を感じながら、田んぼのあぜ道をひとり歩いていた。
透の住む凪ノ町は、瀬戸内海沿いにある、人口八千人ほどの小さな田舎町だ。今、歩いているあたり一帯には、田んぼとみかん畑が広がり、人はほとんど見かけない。遠くのほうで、草刈機の音がかすかに聞こえるだけだ。
家まであと数分というところの丁字路で、透は立ち止まった。そして家とは反対方向の道へ曲がった。目的は特になかった。ただ、なんとなくまっすぐ帰るのが嫌だった。
「この道、通るのいつぶりだろう?」
そんなことをつぶやいていると、懐かしいものが目に飛び込んできた。それは、町のほぼ中心に位置する、凪ノ神社の境内にある御神木だった。神社から数十メートル離れた透の位置からでも、御神木の姿は目立っていた。
「そっか。この道って神社に通じてたっけ」
特に用もないが、透の足は導かれるように神社へと向かっていた。
広い境内には誰もいなかった。住職も不在なのか、静寂があたりを包んでいた。こんな広い場所に自分だけ。開放感にも似た特別な感じがして、肩がふっと軽くなった。そのまま御神木のそばまで歩く。すると、神社の外からでは見えなかった光景が見えてきた。
「──あぁ。そういえば御神木、燃えたんだっけ」
正確には半分消失したのだ。町側から見えている部分の反対側のちょうど半分が、真っ黒に焦げ、無惨な姿を晒していた。実は、去年の夏の終わりに凪ノ町に落ちた巨大な雷は、御神木に直撃していた。これにより、御神木の半分が炭となった。
停電以外の被害が出なかったのも、広い敷地にある御神木に落ちたことが幸いした。御神木が町民を守ってくれたという話は町中に広まり、御神木は凪ノ町で時の人ならぬ、『時の神木』と呼ばれるようになったのだった。
しかし、この町の伝承を重んじる老人たちは、それどころではなかった。伝承によると御神木には重要な意味があるのだ。それが半分消失したとなると、近いうち、町に大きな災いが訪れると彼らは恐れた。とはいえ、これだけの大木をどうこうできる術もなく、結局はそのままの状態で放置されている。
「こんな姿になってるとは知らなかったな……」
御神木が身を挺して雷から町を守ってくれている間、自分は授業が中断されたことに浮かれていた……。透は、過去の自分が急に恥ずかしく思えた。
透は御神木のそばに歩み寄り、その場で腰を下ろしてぼーっと空を眺めた。夏の青空は綺麗に澄み渡り、どこまでも広がっていた。
透は次第に眠気に襲われた。だんだんと視界がぼやけ、暗くなっていく──。
──自分は今、真っ暗な闇の中、静寂に包まれている。それは認識できた。しかし、それ以上のことはなにもわからない。
すると、どこかから声がした。
《迎えにきて──》
誰の声だろう?声はくぐもっていて、よくわからなかった。知っている声の気もするけれど……。
《迎えにきて──》
また同じ声だ。
(誰……?)
そう問いかけるも、返事はない。
これは夢なのだろうか?だとしたら、なぜいつまでも真っ暗なままなのだろう?奇妙な状況に、透はただ戸惑うことしかできなかった──。
──しばらくすると、徐々に意識が戻ってきた。
うっすらと目を開けると、西日のまばゆい光が、目に飛び込んできた。どうやら、座ったまま寝てしまったようだ。そのままゆっくりと目を開くと、透を真っ直ぐ見つめる顔が、そこにあった。まだ視界がぼやけてはっきり顔が確認できない。
二、三度大きく瞬きをしたことで、一気に視界がはっきりとした。見覚えのある顔だ。銀色の髪に、深い紺色の瞳。
──その顔は見間違えようもなかった。
「は…ハコ!?」
驚いた透は、勢いよく立ち上がった。
七年経って多少背が伸びてはいるが、ハコはハコのままだった。前髪を軽く横に流し、髪留めで留めているシンプルな髪型も当時と変わらぬスタイルだ。なにより、惹き込まれそうな美しい瞳。なにも変わっていない。透の心臓の鼓動は一気に早くなった。
ずっと会いたいと思っていた相手を前にしても、いざとなると、こうもかける言葉が出てこないものかと透は自分に幻滅した。なにか言わないと……。
「あの…覚えてる?俺、春川…春川 透。小三の夏に、よく遊んだろ?」
透は必死になって言葉をつむいだ。
ハコは目を丸くして、透の顔をじっと見つめている。彼女が驚くのも無理はない。七年も会ってなかった旧友と、突然こんなかたちで再会したのだから。
ここでようやく、透はハコが制服を着ていることに気づいた。白い半袖シャツの胸ポケットには木をモチーフにしたマークと、その下に『NMH』のロゴがデザインされている。それは、透の通う高校の近くにある凪杜高校の校章だった。
「凪杜に通ってんの?うちの高校の近くじゃん!」
ハコがこんなに近くにいたなんて──。なんで今まで出会わなかったのだろう?
気分が高揚した透は、視線を再びハコの顔へ向けた。
しかし、それは透の期待しているような顔ではなかった。ずっと周囲に隠していた秘密を、突然暴かれてしまったような、青ざめた顔をしている。
「え…なんで……」
ハコがようやく口を開いた。そのか細い声は、少し震えていた。
「なんで私のこと…知ってるの……?」
予想外の返答に透は混乱した。
「なんでって……」
(なにを言ってるんだ?俺…そんなに見た目が変わった?名前は…さっき名乗ったよな…だったらさすがにわかるだろ?……もしかして……)
透の頭に聞きたくない考えが浮かんだ。しかし、聞かないわけにはいかなかった。
「も…もしかして……俺のこと、覚えてない…の?」
ハコはその問いに答えなかった。その代わり、体を透に向けたまま一歩後ずさった。
その瞬間、透は夏だというのに体がひやりとした。親の手を離してしまった子どものような、孤独感に襲われた。
「ご、ごめんっ!」
ハコはそう言いながらくるりと背を向け、透の前から走り去ってしまった。透は呼び止めることも、追いかけることもできなかった。全身は凍りついて、固まったままだった。
──境内にまた静寂が戻ってくる。ふたりのやりとりを、御神木だけが静かに観ていた。




