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第16話:九条の「番外編」

※このエピソードのまとめ

セルフ・コンパッション(自分への慈しみ): 過去の失敗を責め続けるのではなく、「当時の自分にはそれが精一杯だった」と認め、今の最善に目を向ける。


専門職のバーンアウト防止: 正論だけでは人は救えない。自分の弱さを知っているからこそ、相手の弱さに寄り添える。



氷室さんの監査最終日。彼女は荷物をまとめると、最後に私のデスクに立ち寄った。


「真庭さん。あなたのやり方は、やはり組織としては危うい。けれど……かつての九条が失ったものを、あなたの中に見た気がするわ」


「九条さんが、失ったもの……?」


 私が問い返すと、氷室さんは窓の外を見つめ、少しだけ声を落とした。

「彼は昔、ある利用者を完璧な理論で救おうとしたの。でも、その人は九条の正しさに追い詰められて、最後には自ら支援を拒絶して姿を消した……。九条が『氷』になったのは、自分の正しさが人を壊すと知ったからよ。皮肉なものね」


 氷室さんはそれだけ言い残し、ヒールの音を響かせて去っていった。


 ◇


 夕闇が迫る事務所。私は九条さんに、温め直したコーヒーを差し出した。

「……九条さん。氷室さんから、少しだけ聞きました。大学病院時代の話」


 九条さんの手が止まる。彼は眼鏡を外し、疲れたように目元を覆った。

「……余計なことを。私は、自分の傲慢さで一人の人生を壊しかけた。だから、感情を排し、システムと効率だけで人を救おうと決めたんだ」


「でも、今の九条さんは違います」

 私は、彼のデスクに置かれた、私への「厳しい指導メモ」を指差した。

「九条さんは、私に知識を教えるとき、いつも私の『心』が折れないように言葉を選んでくれています。それは、過去の痛みを抱えながら、それでも人を信じようとしているからじゃないですか?」


 九条さんは自嘲気味に笑った。

「君の『認知の歪み』は、相当重症のようだな。私はただ、無能な部下を教育するのが効率的だと判断しただけだ」


 けれど、彼が口にしたコーヒーは、いつもより少しだけ長く、慈しむように味わっているように見えた。


「真庭。自分を許せないのは、私の方かもしれないな」


 九条さんがポツリと零した本音。

 完璧主義という「歪み」に囚われていたのは、九条さん自身だったのだ。

 私はその夜、手帳に新しく書き込んだ。


【本日の学び:完璧な人はいない。過去の傷を抱えたまま、今日を最善に塗り替えていくのが、本当のプロだ】


 外は冷たい雨が降り始めていたけれど、事務所の中には、コーヒーの湯気のような微かな温もりが漂っていた。

これで5つ目のエピソードが終わりました。少しでも読んでくださったかたのお役に立てると嬉しいです。

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