第12話:自分を許す、相手を許す
第3エピソードの完結編です。岩田さんの変化、そして九条さんの「怒り」の裏側に灯が気づく、心温まるラストをお届けします。
一ヶ月後。岩田さんの家からは、かつてのような怒号は聞こえなくなっていた。
「おい、真庭。このリハビリ器具、もう少し負荷を上げられんのか。これじゃあ鈍った腕が元に戻らん」
「岩田さん、焦りは禁物ですって。でも、今の前向きな姿勢は100点満点ですね」
「ふん、お前に褒められても嬉しくないわ」
そう言いながらも、岩田さんは少しだけ誇らしげに、動くようになった指先を見つめていた。
怒りの底にあった「情けなさ」を認め、自分を許すことができた彼は、驚くほどの速さで回復への道を歩み始めていた。
◇
事業所に戻ると、九条さんが相変わらず厳しい表情でパソコンに向かっていた。
「九条さん、岩田さんの最終報告書です」
私が差し出した書類を、九条さんは一瞥して受け取った。
「……ふん。相手の『一次感情』を突いて、懐に入る。少しは相談員らしい狡猾さが身についたようだな」
「狡猾だなんて、人聞きの悪い。……でも、九条さん」
私は、彼のデスクの端に置かれた、飲みかけの冷めたコーヒーを見つめた。
「昨日、九条さんが私のミスを厳しく叱ってくれた時。私、心の中で6秒数えながら考えたんです。九条さんの『怒り』の下には、どんな一次感情があるのかなって」
九条さんの指が、ピタリと止まった。
「……ほう。何だと結論づけた?」
「きっと、『心配』です。私がまた一人で抱え込んで、潰れてしまうんじゃないかっていう不安。……違いますか?」
沈黙が流れる。
九条さんは眼鏡を外し、目元を押さえた。しばらくの沈黙の後、彼は吐き捨てるように言った。
「……真庭。他人の心を見透かした気になるなと言ったはずだ。一万年早い」
けれど、その耳の端がほんの少し赤くなっているのを、私は見逃さなかった。
「あ、一次感情、図星でしたね?」
「うるさい。早く自分のデスクに戻れ。ノイズが耳に響く」
私は笑いながら、彼の空になったカップを手に取った。
「お詫びに、温かいコーヒーを淹れてきます。私の一次感情……『感謝』の印です」
怒りは、相手を遠ざけるための壁ではない。
その壁の向こう側にある「本当の気持ち」に触れることができれば、関係はもっと深く、温かいものに変わる。
私はコーヒーの香りに包まれながら、また一つ、自分の心の境界線が強く、優しくなったのを感じていた。
(第3エピソード・完)
※このエピソードのまとめ
自分の中の怒りを鎮める: イラッとしたら「自分は今、何に傷ついたのか、何を不安に思っているのか(一次感情)」を探ると、怒りは自然に消えていく。
相手の怒りを許す: 怒鳴る人は、実は「苦しんでいる人」。そう思うだけで、心の余裕が生まれる。
実体験から書きました。少しでも、福祉従事者の役立つ情報になればと思い執筆してます(^^)
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