第一話③ 絶対に戦うな
「それで私を訪ねてくるなんて安直過ぎないかしら」
ルディラントの海には、廃墟となった「真実の聖域」を擁する小島が浮かんでいる。
総司たちが拠点を設けた位置からは離れており、海岸から見ると遠くの方に点のように見えるだけなのだが、一応空を飛べる総司にとっては、この程度の距離は問題ではない。見えている範囲であれば、そして誰も他に連れていくヒトがいないのであれば容易い距離感だ。
ディアナが目を覚ました日の翌日、総司はマキナの助言を受けて、すぐに真実の聖域へ飛んだ。既に廃墟となり聖域の機能は失われている場所だが、総司がこの場所を訪ねるということはつまり「女神の用事がある」ということが、女神レヴァンチェスカに伝わるためだ。
もちろん、気まぐれな女神が応えてくれる保証はどこにもなかったのだが、意外なことに彼女はすぐに姿を現したのだった。
「手っ取り早いだろ?」
総司が笑うと、レヴァンチェスカは少し怒ったようにふくれっ面をした。
「私の介入なんて絶対嫌うくせに、都合の良い時だけ頼るのね」
「何もここからデミティスリーヴまで飛ばせ、って言ってるわけじゃないんだ。ちょっと行き方を教えてくれればいいだけ。簡単な話だろ、お前なら」
「あなた達を転移させろなんて話だったらもちろん、到底受け入れられないわ。当たり前のことよ、それはやり過ぎ。程度の問題なのかと問われれば、ちょっと迷うところだけど」
「実際、お前を便利に使おうってだけじゃない。お前が教えてくれる確信なんてないしな。ただ、そんなに時間がないらしいんで、打てる手は打つべきだと思っただけだ。お前が受け入れるかはともかく、俺に切れるカードの一つではあるわけで」
女神レヴァンチェスカにしてみれば、総司が救世の旅路を歩んでいるうちは、自分の命と世界の命運がかかっていたわけだが、今はそうではない。総司は余計なことに首を突っ込んでいるし、そこに女神が手を加えようとすることは自然の流れではない。
だが総司としても、ディアナの話を聞く限りでは――――ディアナは逆らいようがないので受け入れたものの――――時間がさほど多く残されているわけではないと知っている。レヴァンチェスカへの強力なパイプを持つヒトとしては、ダメ元でも頼んでみないわけにはいかない、というのが本音である。
そして偶然にも、女神としても気がかりなことがあるのは事実だ。
「……まあ良いわ。別に敢えて言うつもりもなかったんだけど、せっかく来てくれたのだし」
レヴァンチェスカはひょいと腕を振るった。
総司にとってはお馴染みのティーセットとテーブルが出てきた。総司が促されるままガタガタと腰かけると、レヴァンチェスカも向かい側に座った。
「これを機に話しておきましょう。私も懸念はあったのよ。あなたがどういう決断をするか興味があったから、放っておこうと思ってたんだけど」
「……ルックのことか」
総司が鋭く言うと、レヴァンチェスカはちょっと意外そうに目を見張った。
「あら、察しが良いのね」
「アイツがどうした?」
「正直に言うけど、結構な不穏分子、困ったちゃんね」
レヴァンチェスカが苦笑しながら言った。
「うまく言えないから映像で伝えるわ」
レヴァンチェスカがぴっと指を向ける。総司の脳裏に浮かび上がったのは、総司自身とルックが砂浜で会話したあの夜の光景。俯瞰で見たその光景がレヴァンチェスカの視点であることがわかった。
しかし違和感が凄まじかった。ルックの姿がおかしい。
ノイズが掛かったように映像がブレているのだが、そのブレ方も尋常ではない。壊れたブラウン管テレビが映す粗悪な映像のように、いろんな色が入り混じって、しかもとめどなく変化している。総司から見えていた彼の姿とは似ても似つかない――――まるでそこにいること自体があやふやのような、奇妙な映像。
「結論から言えば、彼は現時点で既に“私の手をも離れている”異分子。異常存在。突然私の世界に降って湧いた異物よ」
「お前でもわからないほどの存在かよ……何者なんだ、アイツ……」
「少なくともヒトではないわ。彼の動向には気をつけなさい。マキナも完全には掴み切れていないでしょう。彼は今のところあなた以外に接触する気がない。つまりあなたが警戒するしかないの。恐らく、彼との会合に私が介入しようとしても、彼は私との遭遇を嫌うでしょう」
「お前が本気でやろうと思えば、顔を合わせることもできるんじゃないのか?」
「やってみようとしたのだけど」
レヴァンチェスカが肩を竦めた。
「この私ですら、彼の今の居場所も突き止められない。いえ……今この瞬間リスティリアにいるのかすら怪しい。アレはそういう異常な存在なの。肝に銘じておくことね」
「……わかった。とは言え、アイツは敵対的ではなかった」
「ええ、今のところはね」
レヴァンチェスカは大仰にため息をついた。
「スヴェンのことが決着ついたと思ったら、矢継ぎ早にまた妙な話になったわ。“解決すべき問題”なのかどうかすらわからないという点では、スヴェンよりも厄介度は上ね」
「……スヴェンに関しては、止める気があったのかどうかも怪しかったしな?」
総司が言うと、レヴァンチェスカは微笑を浮かべた。
「“あなた達”に委ねただけよ。どうするのか、全てをね」
「まあいい、ルックとはまた会えるだろう。会いに来ると言っていたしな。自分の言葉を反故にする男には見えなかった」
「一度しか話していないのに随分と信頼するのね」
「アイツがよくわからない異常存在だということは理解したけど、アイツの言葉はまっすぐだったからな」
「そう。あなたがそう言うなら」
レヴァンチェスカは軽く頷いて話題を変えた。
「それで、デミティスリーヴへの行き方だったわね。ヒントだけよ? 手放しであなたの手伝いをするのは憚られるけど、あなたはあくまでもディアナのために動くのだし、ちょっとぐらいはいいでしょう」
「特別な手順がいるのか」
「いいえ、そう難しい話ではないわ。行き方そのものは物理的な問題……ルディラントの海から“動かない青い星”をひたすら目指すだけだから」
「動かない星。北極星みたいなもんか」
「北の方角に鎮座する、あなたの世界における奇跡の星のことね? 似ているけれど、少し違う。その星はあくまでも、デミティスリーヴへの道を示すためだけに存在する」
「……と言うと?」
「“夜ごとに変わる”のよ。その星はデミティスリーヴへの道を求める者に対してのみ、道しるべとして輝くのだけど、夜ごとに位置を変える。一夜目を乗り越えればわかるわ」
「ってことは夜しか進めないってことか!?」
総司が目を丸くした。レヴァンチェスカはくすっと笑って、
「大丈夫、昼間は“前日の夜”に記録した青い星の方角へひたすら進み続ければ良い。その星はデミティスリーヴを目指して海を出た者にとって、必ず一番星になる。わかりやすく明るく輝く青い星だから、心配は要らないわ」
「距離は?」
「あなたが準備する船の性能次第ね。一日二日では無理でしょう。最低でも四日は見ておきなさい」
「最低でもときたか」
「レッドも連れて行くの?」
「いや、船の操作が複雑でなければ、レッドとマキナは残していく。一応、便利な魔法も使えるもんでな」
総司がピッと指を立てて、空中にさらさらと模様を描いた。
ガラス細工のような小さな鳥がふわりと出現し、レヴァンチェスカの手の中に収まった。レヴァンチェスカはニコニコと微笑みながら、魔法で創り出された鳥の頭を優しく指先で撫でた。
「不細工な鳥さんだこと。スヴェンはもうちょっと上手だったけど」
「うるせえほっとけ。コイツを残していって、万が一砕けるようなことがあれば新生ルディラントは解散だ。レッドとマキナには元いた場所に戻ってもらう。もうその話はしたよ」
「そこまでしてあげるようなことなの? 今更だけど」
「……デミティスリーヴで何が起きているのかは、知っているのか?」
レヴァンチェスカの質問に敢えて答えず、総司が逆に聞いた。レヴァンチェスカは鳥の体をパチンと指で弾き、かき消しながら、総司の瞳を見つめ返した。
「そうね……“何も知らないというわけじゃない”。けれど、ゼムナデュラスもまた“ルック”と同じ――――いえ、同じという言い方は語弊があるわね。似た存在と言う意味ではないの。“私の手をほとんど離れている”という意味で、同じところがある」
「何者なんだ、ゼムナデュラスってのは。そこは知ってるんだよな」
「ええ、知ってる。ゼムナデュラスは四百年前にストリ島の支配者・メゼスの家系に生まれた、天才的な魔法使い。心優しく、それでいて自分が何をすべきかちゃんとわかっている賢人でもあった。為すべきことのため、取捨選択ができる男だった。けれど……そうね……彼は、優しすぎた」
「……どういう意味だ……?」
「魔法使いとして見れば、ゼムナデュラスはあなたがこれまで出会った誰よりも天才的よ。アレインも、サリアも、ゼルレインも敵わない。“そして今は”、戦いにおける実力すらも、あなたが出会ってきた天才たちを凌駕する。肝に銘じて覚えておくのよ、総司。あなたがデミティスリーヴで何を思い、どう動くのかはわからないけれど、彼と“戦うような事態”にしてはダメ」
レヴァンチェスカが真剣な表情で総司を見つめる。
自分が「全てを掌握できていない」からこその心配の色が、彼女の声にわずかばかり込められていた。
「デミティスリーヴの領域内で戦う限り、ゼムナデュラスはネフィアゾーラやレナトゥーラに近しい力を持っていると思いなさい。下界に顕現した“精霊”級の力――――“本体”のそれには届かないけれど、少なくとも魔法使いを相手取っていると思ってはならない。良い? 絶対に戦ってはダメよ。絶対に。フリじゃないからね」




