序章
「そうだろうとも、あの男はお前たちからすれば“悪”だろうとも! 過去の行いを評価できるのはその先の未来に生きる者だけだ! そして未来に生きる者は、記録に残った結果でしか過去を評価することができない! 残された結果の全てが、受け継がれた記憶の全てが、あの男を悪と断じて余りあるだろう!」
「否定はしない、訂正もしない、理解を求めようとも思っていない! それでも私はあの男の遺志を途絶えさせるわけにはいかなかった! 未来に生きる者どころか、同じ時代を生きた者にすら悪と評され蔑まれたあの男が、それでも護りたいと願った全てを、可能な限り末永く護り抜くために! そう決めた時点から、私に妥協は許されない!」
「証明して見せてくれ。我らのやり方が間違っていたことを。あの男の決意が惰弱であったことを。あの男の想いを貴び、断絶を許すまいとした私の“気の迷い”を――――間違っていたのだと、証明してくれ」
永久に忘れることなかれ、かの者の名は“ゼムナデュラス”。虚悪を以て巨悪を制す循環を、最後まで打破できなかった道化。
「“私が”選ばなければならなかったのですか? 私が選んだせいなのですか? 選んだ先に得られる結果、その責任と罪科の全てを、私が背負わなければならなかったのですか。どちらを選んでも必ず罪が付きまとうこの選択に、私は――――私は、真正面から、向き合わなければならないのですか」
「あなたが私の立場だったらどうしましたか!? いいえ、愚かな、答えのわかりきっている問いでした! きっとあなたなら“どちらも救う”と声高に叫んで、そのとおりどちらも救えたのでしょう! この天秤を持たされたのが私であったばっかりに、“どちらかしか”救えなかった! 救う方を選んで、選ばなかった方を切り捨てる罪を、背負い続けるしかなかった!」
「誰も彼もがあなたのように、いつだって光を見出せるほど希望に満ちた考えではいられないんですよ! まるで運命が味方しているかのように、運命が味方することを信じて疑わずに、苛酷な試練に挑めるわけじゃないんです! 世界の全てを味方につけて、全てが許されているようなあなたに、私の行いの是非を問われたくない!」
記憶に刻む努力はいらない、どうせ末永い付き合いになる。彼女の名は“シオン・ソルダール”。理不尽を乗せた天秤を持たされ、傾く様をただ見つめていただけの、哀れなはりぼての裁定者。
「ヒトだけではない。意思ある生命だけではない。この世の生命は全て不完全で、今更どんな進化を遂げたところで、私たちは完全には至らない。ならば一から作ればよい。完全が約束された生命を。不完全性を排除した絶対を。魔法の深奥を探った先に、世界の最奥に至った先に、その奇蹟は成ったのだ」
「理解できんだろう。納得もできんだろう。私には何より価値のあることだった。お前たちにとっての野望、夢。私にとってそれはまさに夢そのものだったのだ。だが、奴は私の夢を理解し、喰らって、更にその先を己が生命の至上命題としてしまった」
「私は私の行いに、その成果に満足はしている。私の理論は正しかった。私の才能は本物だった。だが、同時に……奴を生み出した私の行いが史上稀に見る罪であり、奴が齎す未来が最悪のそれであることも、もちろん理解している。わかっているとも、資格がないことは。それでも私は託すしかないのだ。どうか、奴を止めてくれと」
覚える価値もない名前だが、彼女の名は“エルアーク”。下界生命の枠を超え天上の領域に手を伸ばし、結果見事に躓いた、純粋で熱心な探究者。
「奴のやろうとしていることは、最悪な上になんの意味もない。意味と言うよりは価値がない、か。少なくとも、オレは奴のやろうとしていることを全く評価していないし、当たり前に阻止したい。別にこの世界のことは好きってほどでもないんだが、君と君の“国”は嫌いじゃなくてね。だが、ただオレが奴と敵対するだけでは分の悪すぎる賭けにしかならなかった。だから待った。君の歩みを、君が必ずここに辿り着く時を」
「君にはもう何の使命もなかったし、君の仲間にももちろん義務はなかった。それでも君たちは死力を尽くした。その一瞬一瞬を全力で生きて、誰かのために頑張っていた。君と君の国の民が歩んできた道のりを尊敬している。国とも言えないごく短い歴史かもしれないけれど、オレからすれば新生ルディラントはもう既に素晴らしい国だ」
「言った通り、オレがやるのでは分の悪い賭け。そして現時点の君に託すというのも、これまた少し心もとない。あぁ、確実で完璧な計画って言うのは残念ながらないんだが、勝率を最高にまで高めるために、まだできることがある。だからこれが最後の仕上げだ。オレの歩みと君の歩みをここでぶつける。君をここで完成させる。そうすれば君が積み上げてきた道のりは、かつて救世を為した君の剣と同じように、奴の心臓に届くはずだ」
どうか忘れないでやってほしい、彼の名は“―――”。望まずこの世に生まれ落ち、目に映る全てに絶望を刻み付けられながら、わずかな見出した光のため短い生の全てを賭けた、世に知られざる救世主の影。
「んあっ?」
「起きたか。そろそろ声を掛けようかと迷っていたところだった」
旧ルディラント領、仮名「エルマ岬」。
女神レヴァンチェスカが支配する世界・リスティリアにおいて、救世を遂げた“元救世主”が拠点を築き、桟橋を設け、新生ルディラントを建国すべく新たなる歩みを踏み出した場所。
運命の相棒リシア・アリンティアスがレブレーベントに戻ってから、ひと月あまりが経過した。
未だ民は得られず、現時点では旧ルディラント領の名ばかり領主に留まる一ノ瀬総司は、遅々とした、しかし着実な、建国への歩みを進めているところだった。
最近の趣味は、小人種族であるリック族の新たな相棒・レッドが作ってくれた竿を使った釣りである。昼間は周辺の開拓にいそしむ時間が大半を占めるので、もっぱら夜釣りを楽しんでいた。こしらえた桟橋から釣り糸を垂らす時間は、総司にとっては癒しの時間だった。
その最中、急激な眠気と共に一瞬、総司は眠りに落ちていた。
夢を見た、気がする。何かとても重要で、しかもかなり内容の濃い夢を。
現実にふと引き戻されたと同時に、全く聞き覚えのない男の声がして、総司は未だはっきりしない意識の中で周囲を見た。
「すまない、オレの性質に巻き込んでしまったようだ。虹の石の影響だろう。見逃していた」
不思議な格好の男だった。
男性にしては随分と白い肌に、真っ白な髪。その中で不釣り合いなほどに輝き映える、金色の瞳。男らしい目つきと逞しい体つきだが、顔立ちそのものは中性的。一般的な完成で言えば、逞しくも華のある美男子のはずだが、ひどくアンバランスにも見えた。
総司に迫る身長を誇る彼は、リスティリアでは珍しい部類の格好をしていた。何かの動物の革でこしらえたらしいダークブラウンのロングコートに、その中の服は上下とも化学繊維のようにも見える滑らかな生地の黒で統一されている。
総司はしばらく彼をじいっと見据えていたが、やがて意識がハッキリしてくると同時に――――釣竿を投げ捨ててバッと立ち上がり、魔力を迸らせて距離を取った。
明らかに異常だった。
旧ルディラント領という辺鄙なところに突如現れたことが、というだけではない。むしろそんなことは些末な問題だ。
目の前にいる男の魔力――――とも何とも言えない独特の存在感、明らかにヒトではない尋常ならざる気配が、総司の警戒心を一気に引き上げた。
ヒトの気配も確かに感じる。生物であることも間違いない。だが、総司も完全に理解し切れないものの、言い表すとすれば「単一」の個体ではないような、時を追うごとにガワだけ同じで中身がどんどん入れ替わっているような、とにかく薄気味悪い気配を持っているのだ。
「警戒は当然。だがひとまず信じてほしい。オレは君への害意を欠片も持っていないよ」
「動くな」
総司は冷たく脅すように言って、片手をぐっと前に突き出し、男を押し留めた。
年の頃は――――見た目からは非常に類推しがたいが、見たところ自分と同年代か少し上。どれだけ高く見積もっても、総司と“同じ世界”から来た因縁の男・スヴェンよりは下だろうか。
それにしては落ち着き払った、年齢に相応しくない態度ではある。しかし物腰は柔らかで、見て取れる範囲では確かに、総司への敵意は感じさせない。
しかしそれだけで警戒を解くわけにはいかない。
「俺のことは知ってるらしいな」
「もちろんだ。はじめまして、ソウシ。会えて嬉しい」
「名乗れ」
「オレは……そうだな……ルック。オレはルックだ」
「オイふざけるなよ」
総司の声が怒気を帯びた。
「明らかな偽名じゃねえか。すんなり受け入れると思ってんのか」
「名前がないんだ。そう言えば考えていなかった。確かに必要だったなと、今気づいたんだ。君とのコミュニケーションのためには不可欠だった」
「……あ?」
ルックの言い回し、言葉遣いに違和感を覚えて、総司が目を見開いた。
「あぁ、わかったか? そうだな……君にもっとわかってもらえるようにとなると。今思いついた“ルック”というのは、君の知る通り“見る”と言う意味だよ」
「お前……お前も、異界の民か!」
総司の元いた世界における「英語」。男はその一つを取ってルックと名乗った、と言っている。総司やスヴェンと同じ、リスティリアではない別の世界からやってきた存在と推測した総司だったが、ルックは首を振る。
「違う。ただ知っているだけだ。その件はまだ話す時じゃない。けれどいずれ君には開示する時が来る。本当だよ」
「……何から何まで信じるに値しないが……」
警戒を解いたわけではないが、総司はひとまず腕を下ろした。
異常な存在だが、ルックは明らかに総司と会話することを目的としてこの拠点を訪れ、総司の関心を引く情報を開示した。そして敵意はなく、確かに先ほどから身じろぎ一つしていない。近づくなという総司の指示にも従って、距離を保ったまま言葉だけを投げかけている。
信用まではできないが、話だけは聞いても良い。そのうえで叩き出すかどうか決める。総司はそのように結論付けた。
「話を聞こう。ただ場所を変える。砂浜へ行くぞ。前を歩け」
「従おう」
ルックは総司の指示に応じ、総司の前を歩いて桟橋から離れた。
相棒レッドや、総司にとってこれからの生活の要でもある協力者、賢者マキナからとりあえず引き離す。拠点から距離を取ることで、とにかく彼らの安全を確保したかった。
しばらく海岸を歩き、波打ち際に立って、ルックが振り向いた。
「このあたりでどうだ」
「……構わねえ」
総司が憧れた旧ルディラントの王・ランセムの墓の程近く。ルックは海風を楽しむように一瞬目を閉じた。夜の海は不気味だが、穏やかな海風は彼にとって心地のいいものらしかった。
「オレが君を訪ねたのは、君と君が創る国が、これから極めて重要な役目を担うことになるからだ」
「……未来視……か……?」
総司が元いた世界からリスティリアに来た存在を、総司は三人知っている。一人はかつて救世の旅路において“最後の敵”であったスヴェン・ディージング。一人はローグタリアにおいて敵対し、最後には死を選んだ故人、リゼット・フィッセル。
そしてもう一人、唯一、総司が知る異界の民の中で存命である人物。
ドイツ出身の老婆ヘレネ・ローゼンクロイツは、異界の民がリスティリアに渡った際に得られる権能として「断片的に未来を見る」力を持っていた。ルックも同様の力を保持しているのではないかと思ったのだが、ルックは首を振って否定した。
「近しいが、少し違う。その詳細はまたいずれ語るよ」
「今話せない理由は?」
「オレたちが直接話すのは初めてのこと。全てを開示して君の歩みの方向性を歪めたくない」
「……いまいち納得できねえな?」
総司が鋭く言った。
「なんだか知らねえが俺がお前の言う“これから”にとって重要だから、会いに来た。だって言うのに詳しい話はできねえときた。なら何のために会いに来たんだ。ただ見に来ただけか?」
「ありていに言えば、そうだ」
ルックが微笑んだ。総司はますます怪訝そうに眉をひそめた。
「もちろん、必要だと思う情報はこれから渡すさ。でも君の言う通り、主題は君に会うこと、君を見ることだ。会って縁を作っておきたかった、というのもあるね」
「何かが起きる、って考えて良いのか? 何か……何か、よくないことが」
「というよりは既に起きている。けれど、そのことについては考えなくていい。何故ならもう、君には何の責任も使命もないからだ」
ルックが微笑みを引っ込めて、少し表情を引き締めた。
「けれど、君が新生ルディラントを創っていく過程で、その事件とはどうあっても関わっていくことになる。君は君の想うまま進めば良いんだ。それが結果として、オレにとって最良の結果をもたらしてくれることに繋がっていくから」
「……なあ、ルック」
総司が腕を組んで言った。
「何かしら“手を貸してくれ”って話なら……もちろん今のままじゃあ受け入れられねえけど、きっちり全部説明してくれるんならちゃんと考えるぜ。その様子じゃどうやら、俺が持つ力も知ってるんだろ。それが必要だって話ならむげにはしねえよ」
ルックが目を見張った。総司が鬱陶しそうに顔をゆがめた。
「何だァその顔は」
「……オレと君は今日初めて出会って、君はオレを相当訝しんでいるのに、事の詳細を聞けさえすれば、そんなオレへの助力も考慮すると言うのか?」
「必ず手を貸すとは約束してねえよ。でも助力“するかどうかをいったん考える“ぐらいはする」
「何故? 君には何の得もない話だろう」
「得があるのかないのかも聞かなきゃわからねえだろ。だから、聞いて考える、って話」
「……君は……アレだな」
ルックが少しだけ呆れたように、何故かちょっと困った顔をした。
「思っていた以上のお人好しだな。この会合の詳細までは”見て“いなかったが、まさかこういう話になるとは」
「オイ意味深な言い方すんな、突っ込んでほしくねえんだろうが」
「その通りだが、それに大人しく従うのもどうかと思う」
「テメェさては馬鹿にしてるな?」
総司がにわかに殺気立った。ルックが首を振って、
「違う。心配にはなったが、馬鹿にはしていない」
「……まあいい。必要な情報を渡す、と言ったな。自分のことは話せない、“事件”とやらの話もできない、なら何をくれるって言うんだ」
「何から言ったものか、というところだが……君は今、領民の確保に苦戦している。違うか?」
「その通りだがそこはほっとけ。こっちの問題だ」
「では傀儡の賢者マキナに、『デミティスリーヴ』について尋ねろ」
「何だって?」
聞いたことのない単語を聞いて、総司が慌てて聞き返した。
「『デミティスリーヴ』だ。とある島――――いくつかの島々から成る諸島の名前だ。詳しいことはマキナが教えてくれるだろう。あぁ、オレのこともマキナには話してくれていい」
「それは俺が判断することだが、話すつもりではいた」
「そうか」
「都合が悪いわけじゃないらしいな。マキナは何でも知ってるぜ。お前のことも知ってるかもな」
「それはないが、敢えて“見ないでおく”」
ルックはまた意味深な物言いをした。
「今度会う時、マキナがオレをどう評価したか聞かせてくれると嬉しい」
「……また来るんだな」
「ああ。一つの区切りがついた頃、また来るよ。少なくとも君への害意がないことは、どうやら認めてもらえたようだしな」
「まぁ……断定はできねえが、今のところ、お前は怪しいが危険とは思ってない」
「何よりだ。いずれ怪しまれることもなくなるよう尽力しよう」
「尽力するまでもなく、ものすごく簡単な方法があるのはわかってるな?」
「全てを話せばそれで済む、と言いたいんだろう? 全くそのとおりだ。けれどそうすべきではないんだ。わかってくれ」
「理解も納得もしねえが」
総司が仕方なさそうにため息をついた。
「怪しいヤツを入れておく檻も、裁く法もないんでな。害がないならとりあえず捨て置くことにする」
「異論はない。君の自由だ。さて……突然邪魔して悪かった。そろそろ消えるよ」
「……とりあえず今は捨て置くだけだ。ここまで聞いちまったら気にならないわけもないんだ。自分の言葉を忘れるなよ。必ずまた来い」
総司が強めの口調で言うと、ルックは頷いて答えた。
「次来るときはまた違う話ができる状態になっているはずだ。君の希望に少しでも応えられるよう祈っている」
「祈ってるも何も、お前が決めることだろ、どこまで話すかってのは」
「その時の状況次第だ。いずれまた会おう」
ルックがくるりと背を向けて去っていく。総司はその背中を見送って、ぽりぽりと頭をかいた。
「……ここまで全部夢……ってわけじゃあなさそうだが……」
ルックの話を考えるにしても、ひとまずは家に戻った方が良さそうだ。総司は肩を軽く竦めて、自分の家に向かった。
ルディラント建国の物語はどうやら、最序盤から波乱含みのようである。




