逃げ場のない契約
依頼は、逃げ道を塞ぐ形で届いた。
書状は一通。
差出人は、辺境領ではない。
――王都契約院・特別監督案件。
「……露骨ね」
アリアが、紙を見て吐き捨てる。
「はい」
俺は、眼鏡の位置を直した。
「逃げる余地がありません」
内容は、簡潔だった。
《対象:交易街カレイド》
《案件:疫病対策契約の確認》
《期限:三日》
《現地にて確認を行え》
拒否すれば、
非協力の記録が残る。
受ければ――
必ず人命が絡む。
「疫病……」
アリアの声が、
少し硬くなる。
「ええ」
俺は、頷いた。
「読まなければ、
死にます」
「読めば?」
「王都に、
捕まります」
二択だった。
街は、
すでに封鎖されていた。
簡易の柵。
布で覆われた家。
咳の音が、
風に混じる。
「……間に合う?」
アリアが、
小さく聞く。
「分かりません」
正直に答えた。
契約書は、
医療支援の名をしていた。
物資供給。
隔離措置。
労務配分。
条文は、
正しい。
だが――
一点だけ、空白がある。
(……ここだ)
「責任者は?」
俺が聞く。
「王都から来る予定だ」
現地役人が答える。
「だが、
まだ到着していない」
嫌な設計だった。
夜。
咳が、
止まらなくなる。
一人、
倒れた。
「……リュカ」
アリアが、
俺を見る。
言葉はいらない。
俺は、
帳簿を開いた。
だが、
ルーペには触れない。
(……まだだ)
「確認だけでいい」
俺は、
役人に言った。
「判断は、
責任者が来てからだ」
それは、
時間稼ぎだった。
だが――
時間は、
味方をしない。
二人目が、
倒れる。
子どもだった。
俺は、
立ち上がった。
逃げ場は、
もうない。
ルーペを、
手に取る。
「……真契読解」
声は、
ほとんど出ていない。
それでも、
世界が沈んだ。
条文の奥に、
隠された意図。
《隔離失敗時、
現地判断に委ねる》
――判断者が、
ここにはいない。
(……切る気だ)
「アリア」
俺は、
視線を上げる。
「今すぐ、
隔離区画を二分して」
「え?」
「重症者と、
未感染者を分ける」
「でも契約は――」
「今は契約の外です」
彼女は、
一瞬だけ迷い、
すぐに頷いた。
人が、
動く。
混乱しながらも。
俺は、
追補を書いた。
違反だ。
完全に。
夜明け。
熱は、
下がり始めた。
死者は、
出なかった。
だが――
俺は、
分かっていた。
遠くで、
馬の音がする。
王都の紋章。
「……来たわね」
アリアが、
静かに言う。
「はい」
俺は、
ルーペを机に置いた。
逃げ場は、
もうない。
――王都契約院・緊急通達。
《疫病対策案件において、
真契読解の使用を確認》
《契約違反を伴う是正あり》
《対象:リュカ》
《拘束を許可》
▶︎ 次話へ
王都は、彼を“捕まえに来る”。




