契約のない場所で、君を選ぶ
世界を救う条件は、
いつだって誰かが書ける。
だが――
誰と生きるかは、
自分でしか決められない。
夜明けだった。
境界線の向こう側は、
地図よりも静かで、
帳簿よりも曖昧だった。
契約はない。
王都も、領も、
監査官の名前も届かない。
ただ、
人がいて、
生きている。
「……ここ、
思ってたより普通ね」
アリアが、
小さく息を吐く。
「はい」
俺は、頷いた。
「だから、
難しい」
半放棄地帯の集落は、
崩れかけていた。
家屋。
井戸。
畑。
どれも、
完全ではない。
だが――
完全に壊れてもいない。
「助けてほしい、
とは言われないのね」
アリアが、
周囲を見る。
「ええ」
「でも、
放っておいても
死ぬわけじゃない」
それが、
この場所だった。
俺は、
ルーペを取り出した。
革ケースの中で、
ずっと眠っていたもの。
「……使う?」
アリアが聞く。
少し、考える。
「いいえ」
答えは、
自然に出た。
もし使えば、
ここがなぜ切られ、
誰が責任を負い、
どこで線が引かれたか
すべて見える。
だが――
それを知っても、
誰も救われない。
ここにいる人たちは、
**すでに“選ばれなかった結果”**だからだ。
「じゃあ、
何をするの?」
アリアが、
俺を見る。
「……一緒に考えます」
それだけだった。
数日後。
俺たちは、
井戸の修繕を手伝い、
畑の配分を話し合い、
夜は焚き火を囲んだ。
契約は、
結ばなかった。
条件も、
書かなかった。
ただ、
言葉を交わした。
ある夜。
焚き火が、
静かに燃えている。
「ねえ」
アリアが、
俺を見る。
「この旅、
終わったらどうする?」
問いは、
分かっていた。
俺は、
少しだけ考えてから答える。
「……また、
歩きます」
「仕事?」
「いいえ」
首を振る。
「生き方です」
沈黙。
火が、
ぱちりとはぜる。
「……私も?」
アリアが、
冗談めかして聞く。
俺は、
迷わなかった。
「はい」
一拍。
「君がいい」
言葉にすると、
驚くほど簡単だった。
契約よりも、
条件よりも。
アリアは、
少し驚いた顔をして――
それから、
静かに笑った。
「……条件は?」
昔みたいに。
俺は、
首を振る。
「ない」
「責任は?」
「全部、
引き受けます」
「逃げ道は?」
「ある」
一拍。
「でも、
使わない」
夜が明ける。
二人で、
並んで歩く。
目的地は、
決めていない。
契約も、
結ばない。
それでも。
数年後。
彼は、
こう呼ばれていた。
「条件を書く旅人」
だが、
本人は気に入っていない。
「ただ、
一緒に考えただけです」
そう言って、
眼鏡を直す。
彼女は、
いつも隣にいる。
契約がある場所にも。
ない場所にも。
そして、
二人の間にだけ、
たった一つの約束がある。
離れないこと。
署名は、いらない。
帳簿も、いらない。
それで、
十分だった。




