契約官は、正しさを疑わない
同じ言葉を使う者ほど、危険だ。
とくにそれが「正しさ」だった場合、
人は疑うことを忘れる。
その男は、昼の市場に立っていた。
黒衣。
王都式の契約官服。
胸には、正式な契約印。
「王都契約院・派遣契約官。
名は、エリオット」
静かな声だった。
だが、
周囲の空気が一段下がる。
――公式だ。
「この街で行われた
一連の“契約是正”について、
確認に来ました」
俺は、眼鏡を直す。
(……ついに、来たか)
執務室。
机を挟んで向かい合う。
エリオットは、
書類を丁寧に並べた。
「水利契約。
倉庫管理契約。
雇用条件の追補」
一枚ずつ、
正確に。
「いずれも、
法的には成立しています」
一拍。
「ですが――
“前例”としては、
好ましくない」
アリアが、口を開く。
「命を守るための前例です」
エリオットは、
静かに頷いた。
「ええ。
だからこそ、危険なのです」
俺は、眉をわずかに動かす。
「危険?」
「正しさを、
人の感情で揺らす前例だからです」
空気が、冷えた。
「契約とは、
感情から人を守るためにあります」
エリオットは、
淡々と続ける。
「哀れみや恐怖で条件を変えれば、
契約は政治になります」
正論だ。
完璧な。
「あなたのやり方は、
人を救います」
一拍。
「同時に、
制度を腐らせる」
俺は、
ルーペに触れなかった。
触れる必要がない。
これは――思想の違いだ。
「……あなたは、
誰も死ななければいいと?」
エリオットは、
少し考えてから答えた。
「契約通りに死ぬなら、
それも制度です」
その言葉で、
理解した。
(この男は、
“読まない”タイプだ)
「確認です」
エリオットは、
俺を見た。
「あなたは、
契約院に戻る意思は?」
罠だ。
戻れば、
力を管理される。
拒めば、
敵対と見なされる。
「ありません」
俺は、即答した。
「今の場所で、
条件を整えます」
エリオットは、
初めて微笑んだ。
「では、
こちらも条件を出しましょう」
一枚の書類が、
机に置かれる。
《是正行為の事前承認制》
――縛りだ。
「今後、
契約の追補・是正は
すべて王都の承認を通す」
アリアが、
息を飲む。
「それでは、
現場が止まります」
「止まるべきです」
エリオットは、
平然と言った。
「制度は、
速さより安定を取る」
俺は、
紙を見つめた。
(……これが、
“封じ方”か)
真契読解を
使えば、
この条文の穴は見える。
だが――
今、使えば
完全に“危険人物”になる。
「検討します」
そう答えるしかなかった。
夜。
宿の屋根裏。
俺は、
眼鏡を外した。
(あいつは、
正しい)
だからこそ、
厄介だ。
エリオットは、
俺を潰しに来たわけじゃない。
正しさのまま、
俺を無力化しに来た。
真契読解は、
制度の外でこそ意味を持つ。
だが――
外にいれば、
守られない。
「……次は、
力を使えない戦いだな」
小さく呟き、
ルーペを閉じる。
この街で、
二つの正しさが並んだ。
どちらが残るかは――
まだ、決まっていない。




