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02.視線が合う朝、合わない朝

それは意識しないようにしても、どうしても意識してしまう違いだった。

朝の電車に乗り込む。

人の流れに押されながら、いつもの位置へ向かう。

その途中で、私は無意識に視線を巡らせている。

――いるだろうか。

自分で思って、少し驚く。

探しているつもりはない。

けれど、探している。

彼がいる朝と、いない朝では、空気が違った。


彼がいる朝は、電車が動き出すまでの時間が、ほんの少しだけ長く感じられる。

揺れに身を任せる感覚が、なぜか落ち着く。

混雑していても、隣の人の距離が気にならない。

彼がいない朝は、その逆だった。


同じ車両。

同じ時間。

同じ人の数。

それなのに、胸の奥がざわつく。

理由のない落ち着かなさが、身体の内側に残る。


ある朝、彼がいなかった。

ドアが閉まり、電車が動き出しても、いつもの場所は空いたままだった。

私は吊り革を握りながら、何度かその方向に視線を向けてしまう。

――たまたま、だよね。

通勤時間が、ずれたのかもしれない。

体調が悪いのかもしれない。

出張かもしれない。

考え始めると、理由はいくつも思いつく。

どれも確かめようのない想像だ。

それでも、私は一つひとつを心の中で並べては、静かに否定していった。

彼がいない理由を考えること自体が、すでに私の朝を占領していることに気づき、少しだけ苦笑する。


次の日、彼はいた。

いつもの位置に、いつもの姿で立っていた。

その瞬間、胸の奥がふっと軽くなる。

自分でも驚くほど、はっきりとした安堵だった。

――よかった。

そう思ってしまった自分を、私は咎めないことにした。

誰かがいつも通りそこにいる。

それだけで安心するのは、きっとおかしなことではない。


彼と視線が合う朝がある。

本当に一瞬だ。

ほんのわずかな時間、視界の中で互いを認識し、同時に目を逸らす。

目が合ったあとの朝は、なぜか記憶に残りやすい。

電車の揺れ方、隣に立っていた人の香水の匂い、ホームに差し込む光の角度。

すべてが、少しだけ鮮明になる。

逆に、まったく視線が合わない朝もある。

彼がスマートフォンを見ているとき。

私が資料を確認しているとき。

あるいは、どちらかが目を閉じているとき。

そういう朝は、なぜか短く感じられる。

気づけば目的の駅に着いていて、降りる準備をしている自分がいる。


視線が合うかどうか。

それだけで、朝の感触が変わる。

それに気づいたとき、私は少しだけ戸惑った。

――こんなことで、一日が左右されるなんて。


私の生活は、決して単純ではない。

仕事の責任も増えてきているし、人間関係も複雑だ。

朝の電車で誰かと視線が合ったかどうかで、気分が変わるほど、暇なわけではない。

それでも、事実として私は影響を受けていた。

彼の視線は、決して踏み込んでこない。

探るようでも、求めるようでもない。

ただ、そこにある。

だからこそ、私は安心していたのかもしれない。


ある朝、電車が急停車し、人が一斉によろめいたことがあった。

私は思わず体勢を崩し、前にいた人の肩にぶつかりそうになる。

そのとき、視界の端で彼が少しだけこちらに手を伸ばしたのが見えた。

触れるほど近くはない。

ただ、支えようとした。その動きだけ。


結局、私は何事もなく立て直した。

彼の手が、私に触れることはなかった。

それなのに、その朝は、ずっと胸が熱かった。

――見ていた。

――気づいていた。

その事実だけで、十分だった。

私は彼に何も期待していない。

声をかけて欲しいわけでも、近づいて欲しいわけでもない。

それでも、視線が合わない朝が続くと、少しだけ不安になる。


嫌われたのだろうか。

避けられているのだろうか。

そんな考えが浮かんでは、すぐに打ち消す。

理由のない不安を抱くほど、私たちは近くない。

それなのに、感情は理屈に従わない。


電車を降りるとき、彼が先に歩き出す日もあれば、私が先になる日もある。

距離は一定で、決して縮まらない。

振り返ることもない。

立ち止まることもない。

それが、この関係の形なのだと私は理解していた。


視線が合う朝と、合わない朝。

それを繰り返しながら、私たちは言葉を持たないまま、同じ時間を過ごしている。

この距離が、いつまで続くのかは分からない。

ただ、少なくとも今は、私はこの朝を失いたくないと思っている。

その感情に、まだ名前はつけないままで。

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