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12.少しずつ、ずれていく

その朝、私は駅へ向かいながら、何度も腕時計を確認していた。

いつもと同じ時間。

遅れているわけでも、早すぎるわけでもない。

それなのに、落ち着かなかった。


昨日、彼が早く降りた理由が、頭から離れない。

ただの偶然。

そう思おうとすれば、いくらでも理由はつけられる。

仕事の都合かもしれない。

用事があったのかもしれない。

それでも、胸の奥に残った違和感は、消えてくれなかった。

――私が避けたから?

思考が、そこに戻る。


昨日の朝、見ないと決めたこと。

距離を取ったこと。

触れられた手から逃げたこと。

それらが、彼を遠ざけてしまったのではないかという考え。

自意識過剰だと、分かっている。

私たちは話したこともない。

それでも、「毎朝、同じ空間にいる」という関係は、確かに存在していた。


駅に着きホームに上がる。

私は、無意識に彼がいつも立っていた場所を探してしまった。

――いない。

胸が、ひゅっと縮む。

まだ電車が来るまで時間はある。

来ていないだけかもしれない。

そう自分に言い聞かせながら、私はホームの端に立つ。

数分後、人の流れが変わる。

新しくホームに上がってくる人たち。

その中に彼の姿はなかった。


電車が到着すると、私は立ち位置を変えず、そのまま乗り込んだ。

車内を見渡す。

――いない。

はっきりと分かる。

彼は今日、この電車に乗っていない。

理由は分からない。

分からないからこそ、考えてしまう。

私が避けたから?

気まずくさせたから?

胸の奥に小さな罪悪感が生まれる。


電車が動き出す。

揺れが、いつもより大きく感じられた。

私は壁に背を預け、目を閉じる。

――当たり前じゃない。

そう思う。

毎朝、同じ人がいること。

同じ距離で、同じ空間を共有すること。

それが、どれほど脆いものだったか。


途中の駅で人が大きく入れ替わる。

そのたびに、私は彼を探してしまう。

現れるはずがないのに。

職場に着く頃には、気持ちが重く沈んでいた。

仕事中も集中しきれない。

画面を見つめながら、何度も朝の光景がよみがえる。

――これで、終わりなのかな。

話すこともなかった関係に終わりという言葉を使うのは、おかしいかもしれない。

それでも、確かに存在していた「何か」が失われた気がした。


帰り道、私は少し遠回りをした。

理由はない。

ただ、気分転換がしたかった。

夜の駅は、朝とは違う顔をしている。

人は多いのに、どこか孤独だ。

ホームで電車を待ちながら、私は彼のことを考えていた。

顔も名前も知らない。

声も聞いたことがない。

それなのに、彼がいない朝は、こんなにも静かだった。


次の日も、その次の日も、彼は現れなかった。

私は少しずつ、彼を探すのをやめていく。

探してもいない。

それが現実だと理解し始める。

けれど、完全に諦めるには、まだ早かった。


数日後の朝。

私は、いつもより少し早く家を出た。

理由は、はっきりしている。

――もし、時間を変えたら、会えるかもしれない。

期待と不安が混ざり合う。


駅に着く。

ホームに上がる。

私は、これまで立ったことのない位置に立った。

電車が来る。

人の流れに身を任せながら、車内を見渡す。

――いた。

一瞬、息を止める。

少し離れた位置に見慣れた背中があった。

彼は、こちらに気づいていない。

いつもと違う時間、いつもと違う車両。

偶然かもしれない。

でも、完全に切れたわけではなかった。

胸の奥に小さな熱が灯る。

それと同時に不安も顔を出す。

――近づいて、いいのかな。

以前のように、同じ距離で立つことは、もうできない気がした。


電車が動き出す。

私は、あえて距離を保ったまま彼の背中を見つめる。

視線は届かない。

それでも、この朝は完全な終わりではなかった。

ずれてしまった時間の中で、再び交差する可能性が、ほんのわずかに残されている。

その事だけが、今の私を前に進ませていた。

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