八王子神社クリニック
――2026年1月1日 東京都八王子市某所の神社
東京の片田舎、甲州街道沿いの、少し古びた家並みが肩を寄せ合って続く小さな集落に、その神社はあった。
とはいえ、歴史はそれほど古くない。建立八十年。老舗を名乗るにはやや若く、しかし人々の生活にはすっかり溶け込んだ「地元の神社」だ。
社殿の奥には、現世の人間には見えないある設備がある。
『診察室』
畳敷きの部屋に机とカルテ棚。だが雰囲気は病院というより、やはり神社の延長上だ。
そこには、和装の白衣をまとった「神様」が静かに腰掛けていた。
――午前0時20分。
境内では、若いカップルが初詣をしている。
この片田舎で、日付が変わってすぐに訪れる人は多くない。吐く息が白い。二人は手を合わせ、控えめに祈り、少し照れながら笑っていた。
だが、その姿を――診察室の中のプレートが映し出していた。
人間の世界ならレントゲン写真を貼るはずの板に、今の境内の様子がぽうっと浮かび上がる。
診察室では、そのカップルのご先祖たちの霊が椅子に腰掛け、問診を受けていた。
「でね、ひ孫にもやっと彼女ができたんですよー! 私、嬉しくて嬉しくて!それでね、先生――」
やたら張り切る曾祖母の霊を、隣の曾祖父が軽く咳払いして止める。
「話し込みすぎだぞ。……先生だって忙しいのに」
神様は、困ったようでも、どこか楽しげに笑った。
「いや、この時間はまだ暇なものですよ。では――恋愛成就のお祈り薬を出しておきますね。お雑煮に入れるようにしてください」
曾祖母の霊は、涙が出そうな顔で何度も頭を下げ、曾祖父に肘で小突かれながら、満足そうに帰っていった。
静寂が戻る。
夜が、少しずつ新年の空気に変わっていく。
――午前8時30分。
JAのステッカーが貼られた軽トラックが神社の前で停まる。
見た目七十過ぎの男が降りてきた。長靴、泥のついたジャンパー――朝から畑に出ていたのだろう。
5円玉を一枚だけ、そっと賽銭箱へ投げる。
「今年も病気なく元気でいられますように……」
深く、一礼。
診察室では、その男の両親の霊が座っていた。
「今年も元気でいられるでしょうかねえ」
母親の霊が微笑み、父親の霊が少し心配そうに言う。
「あいつも七十六ですからねえ……今年も健康に過ごせればいいんですが……」
神様はカルテをめくり、ゆっくりとうなずく。
「食べ物にも気をつけているようですし、今年も問題はないでしょう。無病息災のお薬を出しておきますので、朝食の温かいものに入れるようにしてくださいね」
二つの霊は、揃って胸を撫で下ろし、礼をして消えていった。
――午後2時40分。
今度は家族連れ。
父、母、そして高校生ぐらいの息子。三人とも真剣な顔で手を合わせている。
診察室は、つい先ほどまでになく賑やかだった。
十人以上の霊が詰めかけ、祈りを訴えていたのだ。
「お祈りの内容は……東京大学合格ですか」
神様がカルテを見て言うと、祖母の霊が前に出て声を震わせた。
「孫は本当に頑張っているんです……! でも、私、昨年亡くなってしまって、一緒にお参りに行けなくて……。先生、どうか……!」
神様は、静かに息を吸い、首を傾げる。
「これは、なかなか難しいお祈りですねぇ……。大学寺院・浅草寺の先生に紹介状を書いておきます。霊のみなさんは、そちらへ行くようにしてくださいね」
霊たちは深く頭を下げ、慌ただしく空へと昇っていった。
――浅草寺。
東京を代表する寺院は、現世も霊界も年始は修羅場である。
人の波。霊の波。世界が二層になって揺れている。
本殿の前には診察を待つ霊たちの列。
掲示板には、無慈悲な数字。
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待ち時間
紹介状あり:40時間
紹介状なし:130時間
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霊たちは肩を落としながらも並ぶ。
「相変わらず、この時期は長いねえ……」
「紹介状があるだけマシだってさ。現世の人が直接初詣に来ちゃうと、霊はさらに後回しになるんだと」
そう言い合っていると、ずらりと神々しい一団が現れた。
院長である偉そうな神様を先頭に、若い医療神や看護神が一列に従う。
院長は、次々と霊に声をかける。
そして、彼らの前で立ち止まった。
「君たちはどうして浅草寺へ?」
祖母の霊が深々と頭を下げた。
「孫の東京大学合格を願いに……。八王子の片田舎から、みんなでやってきました……!」
院長は満足そうに胸を張る。
「任せたまえ。わが寺院の神々は皆、優秀だ。必ず力になるよ」
そう言い残し、去って行った。
――それから38時間後。
ようやく診察室の扉が開いた。
中にいたのは、霊になって五十年ほどの、まだ若い神様だった。
「東大合格ですね。……紹介状も確認しました。ふむ、なかなか大変なお祈りです」
カルテをめくる音だけが響く。
霊たちは息を飲んだ。
神様は、少し申し訳なさそうに、しかし優しく言った。
「恐らく――東京大学のお薬は体質に合わないでしょう。代わりに、早稲田大学合格の処方箋を出しておきます。社務所で受け取ってください」
一瞬の沈黙のあと――霊たちは爆発した。
「早稲田大学ですって!すごいじゃないか!」
「孫ちゃん、よくやったねえ!」
「ばんざーい!ばんざーい!」
診察室は祝宴会場のように沸き立った。
そこへ看護神がきっちり割って入る。
「先生は次の問診があります!外へお願いします!」
霊たちはまだ喜びに浮かれながら、賑やかに診察室を出ていった。
――2026年、新しい一年が、確かに始まっていた。
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