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エデンへの帰路

作者: 梧桐彰
掲載日:2025/11/23

 人類は永遠の眠りについた。




 最後の一人は男性だった。


 海に乗り出した一艘のボートの中で生を終えた。


 カプセルの横には飲み残したワインと、共同訳の聖書。


 ゆらゆらと揺れる木製の甲板に乗って、水平線の向こうへ彼は行った。




 彼は長命だった。


 人類が長命になった時代を生きた。




 旧約聖書を開いてみよう。


 かつての人類は驚くほど長生きだったと言われている。


 人類の祖、アダムは930歳まで生きたという。


 大洪水を生き延びたノアも950歳まで生きたという。


 だが、海を割り、民衆をエジプトから脱出させたモーセは、120歳までしか生きなかった。




 それから数千年後。




 ヒトが細胞分裂を繰り返す際、染色体に遺伝情報が書き込まれずに短くなっていくテロメアという部分があるとわかった。


 命の回数券と呼ばれるこのテロメアを使い切るまでの期間は約120年。


 これがヒトの寿命であった。




 ある日、このテロメアを使うことなく生きる方法が見つかった。


 ヒトは長命に戻った。


 アダムのように、ノアのように生きた。




 ヒトは生み、増えて、地に満ちた。


 そして、ヒトは満ち足りた。




 満ち足りたヒトは再び減った。


 十分に増えたヒトは、それ以上増えることを望まなかった。




 ある者はその長い長い寿命に満足して自ら命を終えた。


 ある者は兵士や無法者になり暴力という娯楽の中に果てた。


 ある者は病気になり、ある者は事故で、この世から去った。




 *




 ボートに乗った彼には、愛していた女性がいた。


 彼も女性に愛されていた。


 世界からほとんどの人が去っても、二人の愛はそこにあった。




 *




「最後の二人だね」




 二人がボートに乗る数日前、そう彼女は言った。




「最後かぁ」




 そう彼が答えた。




 二人は砂浜に座り、海を見つめていた。


 943歳になる二人の姿は、青年のころのまま。


 潮風を受けて目を細める。


 バサバサと二人の髪が交互に鳴った。




「ずいぶんいろんなとこ行ったよね」


「世界一周いいなとか言って、結局十周したしな」


「百周だって」


「南極点の周りぐるぐる回ったのはノーカウント」




 えー、と、彼女が笑う。




「ずいぶんいろんな人に会ったよね」


「百ヶ国はさすがに多すぎた」


「百十二ヶ国」


「そういうの覚えてるよな、お前」




 ざばん。波の音。


 その向こうに魚が跳ねる。




「あたしのこと好き?」


「うん」


「付き合って何日?」


「15万8千飛んで16日」


「記憶力いいじゃん」


「これだけ言ってりゃ忘れないよ」


「今でも好き?」


「うん」


「そっかあ」


「俺のことは好きかな」


「うん、好きだよ」




 二人、一緒に足を延ばして、砂をざくっと削る。


 西日の作る影が斜めに伸びる。




「二人でやったことないことあるかなあ」


「別れるとか?」


「それはやだな」


「俺だってやだよ」


「そっかあ」


「当たり前だろ」




 手を重ねて、きゅっと握る。




「子供、作らなかったね」


「人類最後の一人はさすがにない」


「結婚もしてくれなかったし」


「したじゃん。指輪交換して、ぼろぼろの教会で」


「ローマ法王庁ね。カトリックって、立会人がいないと結婚じゃないらしいよ」


「俺はしたつもりだったんだって」


「祭壇に残ってた本、適当に読んだふりだけしてさあ」


「何書いてあるかわかんねえもん」


「だからラテン語勉強すればよかったんだよ。どうせ暇なんだし」


「しゃべる相手がいないのに意味わかんないって言ったのお前だよ」


「おぼえてませーん」


「記憶力悪いなあ」




 そっと顔を近づけて、浅くキスをした。




「長生きできてよかった?」


「そりゃそうだな」


「誰にもあえなくなったじゃない」


「お前がいるだろ」


「他にさ」


「お前がいるからいいよ」


「そうかな」


「そうさ」


「そうだよね」


「そうさ」




 そして日が傾くころ。


 二人の座る砂の上に、波がボートを運んできた。




「なんか来た」


「乗ってみる?」


「あんま乗ったことないな、こういうの」


「誰か乗ってるかなあ」




 ボートをのぞき込む。


 白骨の二人が並んで手を握っていた。




「わあ」


「グロ注意」


「そういうこと言わない」


「さすがに見慣れたけどな」


「仲いいなあ。でもどうやればこの状態で亡くなれるんだろ」


「多分毒飲んだんだろうな」




 指さした先に、透明な空のアンプル。


 ラベルには何も書いていないけれど、二人はそれで納得した。




「ね」


「ん?」


「まだやったことないこと、思いついた」


「どんな?」


「こんな風に終わりたい。二人で」




 *




 流れ着いた遺体を埋葬してから、ボートを掃除した。




 やることは簡単に決まったけれど、毒薬を探すのは大変だった。


 薬局にはないし、病院や工場にも見つからなかった。


 もう使わないからか、だれかが使ってしまったからか。




 彼がある日、一人で街を歩いていた時。


 たくさんの人が白骨になった教会に、毒薬が置いてあった。


 キリスト教って自殺しちゃダメじゃなかったかな、と思いながら。




 使用期限は少し過ぎていたけれど、調べて使えそうなことはわかった。


 ついでになんとなく、祭壇の横に転がった聖書も拾ってきた。




 海辺のテントに戻る。




「おーい、見つかったよー」




 大声を出したけれど、返事はなかった。


 夕暮れ、彼はみかんの缶詰めを開けて、半分だけ食べた。




 ふと、ボートを置いた場所を見て、そこに何もないことに気が付いた。


 砂の線が、海に向かって引かれている。




 水に入って目を凝らした。


 沖にボートが浮かんでいるのが見えた。




「うわ、マジか!」




 波に流されたのだろうか。


 服を脱いで海に入った。


 そんなに遠くないように見える。




 十数分はかかったが、なんとか追いついた。


 船べりをつかむ。


 中に彼女はいた。




「あーもう!」




 オールは船にくっついたままだ。


 這い上がるように乗り込んで、


 岸に向かって漕いだ。




 浜に乗り上げて、砂に足を戻す。


 彼女をボートに乗せたまま。




「ひー、やばかった」




 ふらふらとテントに戻り、少し休憩した。


 そして、隅に転がっている手紙を拾い上げ、そっとそれを開いた。




 =======================================


 ごめんね


 一緒に行こうって言ったのにごめんね


 先にボートに乗せてね


 あとからのんびりでいいから、一緒に来てね


 =======================================




 手紙を破って、ほっと息をついた。


 


「最後の最後で約束破るとこだったな」




 ちぎった紙切れは風に乗って遠くへ。


 テントをたたんで、もう一度ボートに乗り込んだ。


 先に乗っている彼女は、じっと目を閉じていた。




 昨日、彼女は息を引き取った。


 なんの病気かはわからなかった。


 調べることも、治すこともできなかった。


 高い熱の中、あいしてるとありがとうをたくさん繰り返して、彼女は長い長い生涯を終えた。




 彼は亡くなった彼女を背負ってボートに乗せ、それから街を走り回った。


 そしてたどり着いたのが今だ。




「よし、行こうぜ」




 ボートに毒薬を混ぜたワインと聖書を乗せる。




「よいしょっ!」




 力強くボートをもう一度海へ押し込む。


 シャツを脱いで上がり込む。




「これでオッケーだな」




 大きく伸びをした。


 沈む太陽がまぶしかった。


 夕日に照らされて、安らかに眠る彼女の寝顔を見た。




「すげえいい一生だったよ。すげえ幸せだったよ。ありがとうな」




 言いながら、彼は一気に液体を流し込み、寝転がって目を閉じた。


 彼女の手をしっかりと握りしめながら。




 そして、人類は永遠の眠りについた。

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