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辺境追放された俺、実は神々に選ばれた“隠された加護”持ちでした〜のんびり暮らすつもりが、美少女と国々を救うことに〜  作者: 妙原奇天


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第16話「糸市(いといち)、縫う橋」

 夕暮れの甘いパンを半分こにしたあと、胸の輪はごく小さく鳴って、南の黒板から届いた短い文が頭の奥でほどけていた。――次、糸。わたしら、裂かれそう。

 帝国のカシア。境路の向こうで、派と派の糸が張り詰め、どこかで切れそうになっている。折らずに曲げることを学んだばかりだが、今度は結ぶ番だ。


 夜のうちに、写し板の余白へ新しい列を立てた。いと

 項目は四つ。むすゆる

 結は約束、継は断絶をまたぐ手当、撚は意見の違いを一本にまとめる力、緩はほどく余白――切らずにほどく逃げ道。結ぶことは縛ることじゃない。のんびりは、きつい結び目を嫌う。


 翌朝、商会の大広間で皆に示した。ハルドは帳の端を指でとんとん叩き、短く頷く。

「“緩”が入っているのがいい。解き道がある結びは、強い」

 司祭は白壁の前で合掌し、「祈りにも“緩”が要る」と目を細めた。「詩節をひとつ置くと、人は自分でほどける」

 レグルスは棒の先で砂に図を描く。「糸の秤が必要だな。張りすぎは切れる。緩みすぎは役に立たない」

 エイベルが粉袋を撫でる。「糸の張りは“音”になる。細い木枠に糸を張って撚り琴を作れば、張りが音高に出る」

 ダリオは影の耳を数え、「切る刃は来る」とあっさり言った。

 フィリスは柄を肩に乗せ、笑った。「切らせなきゃいい。切れても、結び直せばいい」


 王家の監査官は、王都内だけで糸を結ぶのではなく、境で結ぶことを提案した。

二都糸市にと・いといちを開こう。王都と帝国、同じ時刻に同じ“結”を晒しに載せる。結び目は公開だ」

 “市”にしたのは、売り買いではなく、交換の場所にするためだ。約束の見本を並べ、人が触れて確かめる。


 場所は南砦の手前、運河が分岐して浅瀬を作る縫い渡し。王都側と帝国側の晒の柱から、運河の上に撚り橋を張る。板ではない。白い縄をかさね、二重撚りで、切られても片方で持つ。橋といっても渡るのではない。結びを載せる台にするのだ。


 準備は半日で動き出した。職人街から来た若い織工が木枠を担ぎ、紙漉きの老人が糸の見本帳を抱え、港の船頭は太い縄を肩にかけ、子どもらは結びまめと呼ぶ小さな木片を袋一杯に持って走った。結び豆はほどきやすい結びの芯だ。堅結びを禁じ、豆を芯にして結ぶのりを“糸市”の**おきて**にした。結んだまま眠れる結びだけを許す。


 聖署の回廊では、司祭が**結祈むすびいの**の節を短くつくった。

「**最小の**で誓い、最短の息で返礼し、最初の緩を置く」

 誓いは短いほどほどけやすい。ほどける誓いは、破られにくい。


 昼過ぎ、船で南へ。王都の柱は白く手を振り、境の風は穏やかだった。胸の輪は、****の筋で脈を打っている。結び合える心の拍は、たしかにある。


          ◇


 浅瀬に舟を寄せると、帝国側の岸にも人が集まっていた。黒板を抱えたカシアが一歩出て、こちらに会釈する。

「うかつの市か」

「うかつの結びだ」俺は笑って返す。「二都糸市、開こう」

 彼女の背後に、色の異なる外套が三つ。灰、藍、あかつち。帝国内の三つの派――風読かざよみ鉄面てつづら、**策筆さくふで**だという。彼女は声を潜める。

「裂け目は、鉄面だ。のりで締め付け、折るのを良しとする。風読は曲げたい。策筆は帳に“見える嘘”を足してまで繕う」

「見える嘘は、晒で灰になる」

「だから私はここにいる」


 撚り橋を張る。王都側から太縄を投げ、帝国側からも太縄を返す。真ん中で撚り合わせ、豆を芯にして仮結び。撚り琴を地に据え、糸の張りを音で測る。

 「キの音でよし」エイベルが頷く。

 同じ音が両岸から響いた瞬間、胸の輪が小さく鳴った。張りすぎず、緩みすぎず。結ぶ前の、よい撚りだ。


 最初の結は、簡単なものからにした。

 「水一樽/返茶一袋/期限・三日/緩・いつでも」

 短い句だ。王都の晒、帝国の黒板、両方に同時に載せる。結び句を読み上げるのではなく、書いて見せる。声は派を熱くし、字は派を冷ます。

 カシアが黒板に同じ句を刻んだ。

「結:水↔茶/三日/緩。……よい。“緩”がある」


 二つ目は、少し踏み込む。

 「夜見張り一/風読み一/報せ・灯/緩・半刻」

 “半刻でほどける結び”。見張りの共有は敵か味方かを揺らしやすい。だから緩を最初に書く。

 レグルスが棒で地面に短い図を引く。王都見張りの位置、帝国風読みの位置、それぞれ境を越えない線で結ぶ。

 若い神官が灯壺を撫で、灯の節を一つだけ置いた。

 「声がなくても、灯で“報せ”が通る」


 晒の柱に糸の列が灯り始める。黒、黒、ところどころ灰。赤はまだ出ない。人々の呼吸が揃い、撚り橋の上で木製の結び豆が小さく鳴る。

 俺は深く息を吐いた。結は、罵り合いではなく、手の仕事だ。


          ◇


 昼下がり、撚り琴の音が、すっと軋んだ。

 張りが不自然に上がる。

 ダリオが影の耳を立てる。「刃」

 黒い外套が撚り橋の下に潜り、縄に細い刃を当てた。鉄面の一人だ。切って裂くのが“正しさ”だと信じている顔。

 フィリスが迷わず飛んだ。だが、剣は抜かない。柄で縄の向きを叩き、力を刃から逃がす。

 縄は切れない。だが、片側の撚が崩れて、撚り琴の音がオへ落ちる。

 俺は叫ばず、結び豆を三つ、橋の結び目へ投げ入れた。豆は芯になって“ゆるい結び”を作る。緩が先に入り、張りはアまで戻る。

 ハルドが静かに人を回し、柄で刃を路へ流して地に落とした。

 男は逃げない。逃げられない。見えるところでは、足は遅くなる。

 カシアが彼に近づく。顔布を上げ、短い結句を告げた。

 「緩・三刻」

 彼女の派の掟――まず緩を置く。結ぶ前に、ほどく道。男はびくりと肩を震わせ、やがて膝をついた。折れるのではなく、ほどけたのだ。


 撚り琴の音はキへ戻る。

 俺は写し板に「継:切れ未然/撚:二重/緩:豆三」と記し、柱に渡した。晒は、誰が何をしたかを忘れない。だが、晒しの目的は責めることではない。やり方の共有だ。


 そのすぐあと、帝国側の策筆の青年が黒板を掲げ、短い文を走らせた。

 「結句・長すぎ/反発・高」

 彼の派は文章で繕う。長い文で全てを縛ろうとする癖がある。

 俺は板に書いて返す。

 「結句・短く/緩・先に」

 カシアが彼に向けて親指の爪ほどの木片――ほどき札を渡した。結びを解く権利を先に渡しておく、縁起の良い札だ。青年は目を丸くし、それから小さく笑った。ほどきが手にある結びは、怖くない。


          ◇


 夕刻までに、十の結が載り、五つの継が結ばれ、撚の音は高すぎず低すぎず、緩は各結びに必ずひとつ置かれた。

 その間にも何度か刃は来た。鉄面のやり方は、ひたすら切る。

 だが、撚り橋は二重で、豆は多く、柄は速く、晒は早い。切られたところは継の列に載り、やり方として街へ戻る。

 港では、職人街では、聖署では、子どもたちが今日の“結の見本”を見て、遊びに変えていく。のんびりは、こうして深くなる。


 陽が傾き、最後の結の番だ。

 「結:市場の吠え(風評)↔返礼の幔幕/期限・七日/緩・随時」

 風評と返礼の交換。声と字の往還を約束にする。

 カシアは黒板に同じ句を刻み、俺の目をまっすぐ見た。

 「王都と帝国の糸は、まだ細い。けれど、結ばれた」

 「細い糸のほうが、撚りが効く」


 胸の輪が深く鳴り、余白の声が落ちた。

 ――よく結んだ。

 ――裂かずに、継ぎ、撚り、緩を置いた。

 ――第十の試練、通過。


 その瞬間、撚り琴のキの音が、夕風の中で短く高く上がった。音は高いが、耳に痛くない。喜びの張りだ。


          ◇


 王都へ戻る舟の上で、司祭が微笑む。

「“結祈”は、在るを繋ぐ祈りね。誓いじゃない。在ると在るの間に紐を渡す」

「誓いは固い。紐はゆるい。ゆるいほうが、長持ちする」

 ハルドは簿冊に新しい項目を増やした。結費ゆいひ。撚り橋の縄、結び豆、撚り琴、ほどき札、甘いパン。

「帳に入れれば、在るだ」

 レグルスは棒の先で砂に短い稽古の図を描き、ダリオは影の耳を丸で囲み、エイベルは撚り琴の調律を覚え、若い神官は“見守り祈・糸”の札を青い紐に通した。

 フィリスは舟べりにあごを乗せ、薄く笑う。

「ねえ、エルン。私たちの糸は、どんな結び?」

「“緩”が先に置いてあるやつ」

「ずるい答え」

「のんびりに効く」

 彼女は肩で笑い、俺の肘に自分の肘を軽く結んだ。固くない。ほどこうと思えば、いつでもほどける。だから、ずっとほどかないでいられる。


          ◇


 王都に戻ると、晒の柱の糸の列は早速、街の手で太り始めた。商会と職人組の値切り合いを“撚”に載せて短句にし、港と孤児院の荷運びを“継”に載せ、聖署の見守り当番を“結”に載せ、全てに緩を置く。

 偽柱は、合図唱に続いて“結び句”の練習台になった。錫の白には今、「結短・緩先」の大きな字。子どもらがそこへ自分たちの結び句を墨で足し、笑いながら豆をつまむ。教材は、こうして増えていく。


 その晩、旧塔の上に新しい灯がひとつ点った。先夜、“音無し香”の網を張ったあの塔だ。塔晒の黒が残ったまま、結の白が脇に立つ。

 ――塔番と市の若い者が、結を結んだのだ。「塔の灯一/市の梯子一/緩・随時」。

 塔は、街へ少しずつ返る。折らずに、継いで。


 夜半、境路から黒板の短文。

「裂き、減。結、増。撚り琴、音良。返、甘饅頭。」

 最後の一語で皆が笑った。甘いものは、糸を太くする。

 俺は返す。

「返礼:甘パン二。緩・常。」


 胸の輪は穏やかに鳴り、次の声を静かに運んできた。

 ――第十一。布を織れ。糸をおもてにし、模様を見える場に敷け。

 糸は縫い橋を渡り、紐は市を巡り、次は布だ。路の上に面を張る。人の歩みが迷わないよう、模様を描く。

 のんびりは、旗じゃない。もう布だ。風を受け、光を返し、声を和らげ、人の足裏をやさしく導く。


 フィリスが欠伸をして、俺の手を引いた。

「明日は布市だね。寝よ」

「“見守り休”、出してから」

「はいはい。緩も置いとく」

 青い紐に“見守り休”の札が揺れ、晒の柱の白が月の光で薄く光る。

 王都の夜は、ほどけるように静かで、結ばれるように温かかった。


(第16話 了)

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