駄菓子屋の彼女
温かいお話です。
2025/09/16 一部加筆修正しました。
昼下がり、散歩をしていると、
新しい建物たちに挟まれ、
居心地悪そうにしている、古ぼけた、小さなお店を見つけた。
すっかり色あせた青いテント、小学生の頃、友人たちと毎日のように通っていた駄菓子屋だった。
体調を崩した私は、この夏、実家のあるH市に戻っていた。
社会の荒波に揉まれ、早8年、
自分なりに必死にやってきたつもりだった。
嫌いな上司の機嫌を取り、
理不尽なクライアントには叱られ、
嫌味たらしい同期とは昇格の座を争った。
しかし、もともと精神的に強くなかった私は、
いつしか、そういった生活に参ってしまい、
次第に睡眠のリズムが崩れ、食が細くなり、
そしてついに倒れてしまった
実家に帰ったものの、特段やることなかった。
貯金で本や酒、煙草を買った。
「好きなだけ、居ていいから」
母の優しさはかえって申し訳なく、苦しかった。
そんな事情もあり、散歩は私の日課になっていた。
* * *
好奇心から、ガラガラと引き戸を開けて、
駄菓子屋の中に入っていく。
見渡すと、懐かしい駄菓子たちが所狭しと並んでいた。
小学生時代にタイムスリップしたような気分だった。
「はーい、いらっしゃ……」
子供をあやすように声をかけた女性店員は、
相手が壮年の男だと分かると、コホンと咳払いをして
顔を赤らめた。
(以前は八千代さんというおばあさんがやりくりしていたはずだが……)
ばつが悪くなったが、
このまま帰るのもやるせないので、
彼女に軽く会釈し、ゆっくりと店内を回り始めた。
しかし、商品を見ていると、当時の様子が思い出される。
例えば、ある遠足での出来事。
3つの内ひとつが酸っぱいという
ロシアンルーレットのような趣旨のガムがあった。
「僕はこのガムの必勝法を知っているんだ」
と、したり顔のK君は、中央のガムを指さした。
「いいかい、ほら、よく見てごらん。
少し形が違っているだろう、これが————」
「じゃあ俺はコレをもらうぜ」
ガキ大将のO君が左側のガムを手に取る。
「僕はコレで」
それから私は右側を。
残った真ん中のひとつは当然、K君のものだった。
ガムを口に放り込むときの、覚悟の決まった彼の顔を
私は今でもハッキリ思い出せる。
「ふふ、懐かしい?貴くん」
と、店員。私は驚いた。
田辺貴之から名前の一部をとって「貴くん」
私は確かにそう呼ばれていた。
「覚えてない?」
そう言って、彼女は自分を指さした。
頬にできた可愛らしいえくぼで、
ようやく過去の記憶と彼女が結びついた。
私たちのグループの紅一点で、
ガキ大将のOといつも喧嘩ばかりしていた活発な子。
「夏帆ちゃ…夏帆…?」
私より2つ下だったので、今年で28のはずだ。
そんな彼女を「ちゃん」付けするのはさすがに憚れ、
急いで言い直した。
彼女は満足そうに頷く。
「東京に行ったって聞いていたけど?」
「ああ、戻ってきたんだ」
「そうなんだ、また、どうして」
少し戸惑ったが正直に話した。
振られた恋人にはうまく話せなかった事情が、
思いのほか素直に言葉にできて、自分でも驚いていた。
彼女は、私の話を真剣に聞いてくれた。
「ふぅん、貴くんでも、そういうとこあるのね」
明るく、のんびりした口調だった。
「僕でも……ってどういうこと?」
「学校の成績もよかったし、『いい学校行った』だとか『いい企業入った』だとか、
そんな噂ばかり聞いていたから。
すっかり、遠くにいっちゃった感じがして」
「でも、今の話聞いて、なんだか安心しちゃった」
ほんのり顔が熱くなるのを感じた。
「……煙草はある?」
「はい」
彼女の手元には、煙草を模して作られた「ココアシガレット」。
私は苦笑して、お金を払うとそれを受け取った。
「ライターは?」
「間に合ってる」
懐からライターを取り出して、
シガレットに火をつけるまねをすると、
今度は彼女が笑った。
「……皆は?」
彼女は頭の中で数を数えるような表情をして。
「Kは確か東北のいい大学に行って、
そのまま研究に没頭してるっていってたかな」
「彼らしいや、専門は?」
「分子生物学……とかいったかな?
私、詳しいことはわからないけど」
「Oは……」
「アイツは工業高校でて、結構大きな工場に勤めるようになったらしいけど、
それからは一向に連絡をよこさない」
「そうか……しかし、君はOと付き合っていたんだろう?」
「いつの話してるのよ?一年も続かなかったわ」
「いい男だと思うけど」
「まさか。私、乱暴者は嫌い。
ああいうヤツは友達くらいの関係がちょうどいいのよ」
「それで、君は……」
「私? 私はこの通り、駄菓子屋の店員」
彼女ははにかんだ。
「ここは八千代さんのお店だっただろう。
雇われたのか?」
こんな小さな駄菓子屋に人を雇う余裕なんてなさそうだが……
「ふふふ、嫌ね、忘れたの?
八千代おばあちゃんは私の祖母よ」
「初耳だ、そんな話聞いたことなかった」
「あれ、そうだっけ」
彼女はあっけらかんとした笑みを浮かべたが、
やがて、その表情に影が差した。
「私もちょうど6年くらい前かな……
大学出てからはしばらくは東京にいたんだけどね」
「でも、ちょっと仕事で失敗しちゃって」
仕事。ドクンと心臓が音を立てる。
「うん、今の私からは想像もできないだろうけど、
これでもキャリアウーマンだったのよ」
「でも、取引先のお偉いさんとトラブル起こしちゃって、
それがまた大きな取引先だったから……」
真新しいスーツを着た彼女が客先でペコペコする姿を想像して、
なんだかいたたまれない気持ちになる。
「だから、私も、貴くんと一緒」
彼女は吹っ切れたように笑った。
「でもね、ちょうどお祖母ちゃんが年でお店を続けられなくなったって聞いて、
なんとかせがんで、継がせてもらえることになったってわけ」
「繁盛してるようには見えないが……」
「心配要らないわ。今は貯金もあるし、それに————」
ちょうどその時、小学生くらいの子供たちが
ガラガラと引き戸をあけて入ってきた。
男の子2人と女の子の3人組。
男の子たちは真っ先に駄菓子の方に走って行ったが、
後ろの女の子は私の前で立ち止まり、何やら納得したようにニヤニヤした。
「おーい、なにやってんだ」
「なんでも」
「早く来いよ」
「はーい」
子供たちがキャッキャッとお菓子を物色し始める。
「はい、いらっしゃい。
そうそう、ラムネがあるわよ」
顔なじみなのだろう、
夏帆がそう提案すると、子供達から歓声が上がった。
クーラーボックスから取り出されたラムネを受け取った3人は器用にビー玉を落とし、
ゴクゴクとやる。
カランコロンという涼しい音が心地いい。
「ごちそうさま!おい、行こうぜ」
「あら、もう少し涼んでいったらいいのに」
「今日は夏祭りがあるんだ」
「それに、彼氏さんの時間使わせちゃ申し訳ないし」
女の子がまたニヤニヤした。
私たちは顔を見合わせて赤面した。
まったく、ませた子もいたものだ。
子供たちが去ると、また、お店はシンとした。
「駄菓子屋もなかなかいいでしょう?」
彼女は微笑んだ。
* * *
帰り道、すっかり暗くなった道を歩く。
H市の夜空は、東京とはまるで違った。
……随分話し込んだものだ。
スマホが震えた。通知を確認する。
先ほど連絡先を交換した夏帆から
早速メッセージが来ていた。
「今日はありがとね。たくさん話せてたのしかったよ」
頬が熱くなるのがわかる。
ヒューン、ドォォォォォォオオオオン。
鼓膜が震える。海の方角に、花火が打ちあがった。
そういえば子供たちが今日は夏祭りだと言っていたっけ。
もう一度彼女からのメッセージを眺める。
あれこれ文面を整えて送信すると、
私はひとり苦笑した。