第六章 同僚 理と情の狭間
世界観紹介
種族:夢魔族
女性を夢魔族。男性をインキュバスと呼ぶこともある。
夢魔族を指して、淫魔族という別称も存在する。
彼等は種族の能力として、他社の精神に感応し操ることができるとされている。
彼等の中には魅了の魔眼を持つ者が多く生まれ、梓月もその一人である。
彼女の名前に漢字が使われているのは、統一王が日本からの転生者であり、彼が淫魔族に与えた影響がそれほどに大きかったという証左である。
王城の奥。
限られた者しか利用できない秘密の小部屋。
窓はなく、閉ざされた空間にわずかな圧迫感が漂う。
魔法の灯りがやわらかく部屋を照らしていた。
装飾品の類はなく、壁には王家とアイジア王国の紋章だけが掛けられていた。
テーブルとイスは一流の職人による逸品――この部屋が誰のためにあるのかを雄弁に語っていた。
【魅了】を阻害する薄紫色の薄荷のような香りの煙――『禁心香』が焚かれている。
煙が薄い幕となって魅了の力を押し返し、触れ合うたびに小さな火花を散らす。
その様はまるで一種の芸術作品のようでもあった。
王城ですら滅多に焚かれぬほどの高価な代物だった。
禁心香の効果で、リアの周りは小さな七色の火花がひっきりなしに飛び交っている。
リアから【魅了】の力が漏れ出ていることを示していた。
参加していたのは国王マグナス、王妃イレーネ、宰相ダレン・ダレンダル、大聖殿の宮司タチバナ・グレンティーヌ、そして王太女リア。
リアの背後には近衛ルミナが控え、隣には“専門家”として夢魔族の巫女・梓月の姿があった。
「私は、封印をすべきだと考えます」
宰相が硬い声で口にした。
七十を超えた老齢ながら長く国を支え、『無事の宰相』と謳われるダレン。
「魅了は国を滅ぼすほどの恐るべき力。たとえ殿下にその意思はなくとも、現にそのように漏れているのならば、いずれ思わぬ形で影を落とすことでしょう。封印すべきです。せめて厳重に隔離を」
それは国を守ることを最優先とした、冷たく合理的で、政治的な言葉だった。
(まるで妲己みたいに扱ってくれるね……王を惑わすんじゃなく、私が王になるのだから、関係なくないかな)
リアは内心、肩をすくめながら、前世に伝わる『傾国の美女』の事を思い出していた。
(はぁ宰相って理屈ばかりね。好きになれないわ)
「いいえ、宰相閣下。そのお言葉は『神の奇跡』への冒涜ですわ」
宮司――タチバナは穏やかな笑みを浮かべながらも、その瞳は熱を帯びていた。
「魅了とは、神が与えし『愛の光』――それを封じるなど、神意に逆らう行為。ましてや王太女殿下にその力が宿ったのです。これを世に示し、信仰の礎とすることこそ、神意に適うでしょう!。王家と聖堂が再び一体となれば、国の威光はこれまで以上に高まるでしょう!さすれば、再び大陸の統一も可能となりましょう!」
盛りは過ぎたとはいえ、やはり美女は美女。
その言葉には迫力があった。
(聖職者なのに美魔女なんて言葉が似合う……おいおい父上、どこ見てるんです?父上だけに乳ですか?――ってやかましいわ)
とセルフボケツッコミをかますリア。
その視線に気が付いて、思わず視線と逸らす、父マグナスであった。
「それに封印とは言いますが、その方法は目を潰すことでしょう?そんな残酷な事を殿下に?到底受け入れられません!」
(神の?ああそうか、転生の時に天女様がくれたから……
――綺麗な方だったな……スタイルも良かったし、好きだわ)
あらぬ方向へ思考が進みはじめた時、耳元で囁かれた。
「誰のことを考えてるんですか?」
ルミナだった。
微笑みの奥に、寂しさと嫉妬が混ざっていた。
「ルーのことだよ」
そう言って誤魔化した。
(それに封印て……目を潰すって何!?最悪、宰相を排除しないとな)
どっちも物騒であった。
「……やめてくださいませ。これは『娘』の話です」
リアの実母、イレーネ妃の静かな声が、場の熱を凍らせた。
「この子はまだ子供なのです。封印も、奇跡も、どちらもこの子の望みではないでしょう」
彼女はリアを一瞥し、柔らかな表情で続ける。
「私はリアの母であると同時に、『次代の王を育てる者』。その立場からも意見を述べましょう。この子は王太女。民の希望であり、象徴です。ゆえに、慎重でなければなりません。……制御が叶うまで、外出と謁見を制限することを提案いたします」
その言葉には娘を守る気持ちが込められていた。
「……専門家の意見はどうか?」
リアの父で現国王の、マグナス王。
この場の議長である。
「専門家だなんて、なんだか照れちゃうわぁ」
緋袴姿に黒のレースの魔封布で目隠しをした、夢魔族の巫女、梓月は笑って答える。
「リア――殿下の力が漏れ出ているのはね、単純にその『扱い方』を知らないからってわけ。それは子供としては当たり前なのよね。――夢魔族の場合は修行して制御できるようになって初めて大人と認められるの。だから――修行すれば制御できるわ。私達のようにね」
『黒のレースの魔封布』のせいで顔の半分は見えないが、ドヤ顔だということは皆に伝わった。
「昔、夢魔族の子供は感情が昂るだけで周囲を巻き込むこともあったの。だから――よく暴走してたらしいわ。それで里には数年に一度、周辺の魔獣や魔物が魅了されて大海嘯で押し寄せてたって話。だから、いまは暴走しないようにする修行方法も確立されてるし、こんなアイテムも作り出されたってわけ」
顔の半分を覆う目隠しをペロリとめくってみせた。
美しい顔が露わになり、エメラルドの瞳が印象的だった。
彼女の周りでも金色の火花が散った。
それは彼女の魅了の力に禁心香が反応している証拠だった。
そして、バチバチと周囲にその金色は広がりを見せていく。
梓月の周囲に大量の火花が咲いた。
それは例えるなら、無数の線香花火のようで、その瞬きは神秘的な彼女の美さを引き立てていた。
その美しさに、皆が感心していると、不意に止む。
こんどは火花が空中に絵を描く。びっくり箱から飛び出したピエロの絵だった。
それは梓月なりの制御の証――言葉よりも雄弁な実演だった
「だから、大丈夫」
そう言いながら、予備の【黒のレースの魔封布】をテーブルの中央へすいっと押しやった。
会議の参加者達はこれを手に取り、触り心地や、自身の目に当ててみたりした。
「ふむ……その修行にどれほどの時間がかかる?それは城でもできることなのか?」
議長としてマグナス王が問いかける。
「日常の中でも出来るけど、周りへの影響を考えるなら、最初は夢魔族の里で修行して、コツを掴んだら日常へ戻る感じかな。私達のように、力を持って生まれたわけじゃないから、きっとすぐにコツが掴めるよう」
「ふつう逆ではないのか?」
宰相のダレンが疑問を口にした。
「うーん――その普通がわからないけど、私たちは生まれ持った力だから、それがない状態を想像するのが難しいのよね」
ダレンをはじめこの場のみんなを見渡して、梓月は続ける。
「でもね、リアは持たない状態を知っているし、持ってる状態も知っている。だからきっと簡単だと思うわ」
どうにも納得いかない面々に、さらに続ける。
「たとえば心臓は常に動いているけど、心臓が止まってる感覚って想像できる?」
肩をすくめておどけて見せて、梓月は続けた。
「リアは『力を持たない自分』を覚えてる。だから、そこへ戻る感覚も――きっと、誰より早く掴めるはず」
目隠しを付けながら、その口元は笑っていた。
「大丈夫。リア――殿下なら、きっとすぐにできるようになるわ」
リアは瞳を閉じ、俯いていた。
皆の言うことを聞き逃すまいと、聞くことに、集中することにしたのだ。
そうでなければ、まわりで散っている火花の音で聞き逃してしまいそうだったから。
(……魅了の力――こんなもの、あってもなくても私は変わらないのに……でも、人はそれを安易には信じられない。わかってはいるけど、もどかしいな)
リアは心が沈んでいくのを感じていた。
『気分が』ではない。それはとても静かで、このまま消えてしまうことさえ受け入れてしまいそうな――静かな誘惑だった。
(いっそ――力のままに生きていくとか――)
しかし、それと同時に『孤独感』がまし、『寂しさ』が膨らんでいた。
「リア!」
ルミナの声と温もりに意識が戻ってきた。
「わわ!?なに!?どうしたの?」
抱き着いているルミナに訳が分からないリアは尋ねた。
「火花が!……部屋を満たすほどの火花が出ていました」
「……そう」
心配そうなルミナを落ち着かせようと、頭を撫でて、愛おし気に見つめる。
ルミナと触れ合うことで、伝わってくる温もりが、リアの胸中で膨らみ始めた孤独感や負の感情を溶かしていく。
満たされていく。
すると、火花は消えたではないか。
「あら、これは修行も意外とすぐ終わるかもしれないわね」
こうして会議は、リアの夢魔族の里での修行を認めることとなった。
夢魔族。別名、淫魔族。
夢魔族の里――終日霞が漂い、夜ごと艶やかな歌声が響く地。
――そんなところでの修行である。
リアが帰って来たとき、生娘であったことは奇跡と呼ぶほかないだろう。
統一王の時代から、かなりの時間が経っているが、幾度となく日本からの転生者が現れ日本文化を浸透させてきた。
だが、彼らは職人ではないし、何かの専門家ではなかったので、上下水道等は初期のものだし、機械文明が発達するまでには至っていない。
宮司の名前が「タチバナ」なのは、その歴史が守り受け継がれてきたから。
では、王家の「コローインフィーリンネ」は何かというと、権力争いと無縁ではなく、単一の姓ではなくなって、さらになまってきた歴史があり、結果としてこのような形になっています。




