第五章 転生者達 縁
あの方登場
ある近衛はその一部始終を目撃した。
赤毛の少女が王太女殿下へ毛布をかけようとした瞬間――。
それはまるでとてつもない衝撃を受けたかのように、弓形にのけぞるふたり。
赤毛の少女はその場で倒れ、王太女はその姿勢のまま、天を仰いでいた。
炎の華が王太女へと還り、再びその瞳に炎が灯る。
その炎は、やはり七色に光り輝いていた。
世界は再び静寂に包まれ、七色の炎だけが揺らめいた。
先ほどの衝撃から回復した王太女は、自身に起こった不思議な現象よりも、ルミナが戻ってくることを祈り続けた。
「……」
頬を伝う涙は、希望か絶望か。
こぼれた涙はルミナの頬を濡らし、それはまるで彼女の涙でもあるかのようだった。
王太女は愛おし気にルミナの髪を梳かす。
動かない。
そんなルミナを見て王太女は何事かを呟いた。
それは誰の耳にも届かない。
やがて、王太女はルミナに顔を寄せると……それが最後であるかのように――大切に、大切に、唇を重ねた。
そして近衛は見たのだ。
再び奇跡が起こるのを。
ルミナの顔にみるみる正気が戻っていく。
王太女は気づかないまま――最後の別れを惜しみながら、唇を離す。
呼吸音。
それは新鮮な空気を一気に、大量に吸い込もうとする音だった。
※※※※
ルミナはただ、夢の中にいるような状態であった。
ただ虚しさだけが、彼女の胸にあった。
暑くもなく、寒くもない。
気がつけばルミナは白い服を着て、白い空間に立っていた。
太陽はないのに明るく、しかし影もない。
何も聞こえない。
足音も、鼓動の音も。
自身の声さえも。
どこまでが上なのか、どこからが下なのかさえ分からないほどの白い空間だった。
『立っていた』とはいえ、地に足がついている感覚はない。
ただ、『立っている』と認識しただけだ。
歩き出す。
ただそれが正しい気がして。
前方には幾本もの長大な列が見えてくる。
それは最初、蜃気楼のように揺らめきながら、白の中にゆっくりと形を取っていった。
列に近づくにつれて、他にも同じような人々が視界に入る。
いつの間にか列に並んでいた。
誰も声を発しない。だが、列の流れには明確な“秩序”があった。
そのまま順番を待つ。
前方には、唯一そこだけが色を有している、受付のような場所があった。
ルミナの順番が来た時、そこにいたのは、濃紺の窮屈そうな服を着た、麗しい女性だった。
白の世界に、唯一“影”を持つ存在。それが彼女だった。
(見た事のない服装だ)
カリカリと書類に書き込む音が響く。
彼女の発する音――それが唯一の音だった。
その女性は書類を書く手を止める。
そして書類を手に、席を立つと「もしかして」といって近づいた。
彼女から漂う香りは、どこかで触れた気がして、記憶を遡る。
(たしか……殿下の寝所で……一度だけ)
「ああ、やっぱりあの子の身内なのね」
そう、この女性はリアを転生させたぴっちりスーツの天女だった。
もちろんルミナはそんな事を知る由もない。
ルミナの周りを回ってそんな事を言った彼女は、書類に目を戻しぶつぶつと何事かを呟いた。
「……この子、地球型未来惑星行き……あと、67秒……呼び戻しが72秒後?……ねぇ、貴女……今までの人生どうだった?」
(今までの……人生?)
ルミナの脳裏には走馬灯のように、これまでの人生が映されていた。
それはリアを中心に据えた人生だった。
同世代の娘が恋をして、結婚して、母になっていた。
ある娘は冒険者として世界を巡って、会う度に珍しい話をしていた。
では、ルミナ自身はどうだったろうか。
まだ子供の時分から王城へあがり、実の弟や妹の世話ではなくて、血の繋がらない子供の世話をする。
剣の訓練を受け、側仕えとして恥ずかしくない教養を身につけた。
何人かの男性に告白されたことも、縁談話が来たこともある。
けれど全て断った。
それは『オルラ・アウレリア・ルクスヴィカ・コローインフィーリンネ』という少女と共に過ごす時間とは比較にはならなかったからだ。
あの少女は、可愛らしく、愛らしく、愉快で、そして愛おしい。
血は繋がらずとも、姉妹のようであり、親子のようでもあった。
事実、父母であらせられる、国王陛下や王妃殿下よりも、自身の方が一緒にいる時間は長いのだ。
それに最近は、以前にも増して輝いて見える。
そして【未来の王】なのだ。
その王を育て奉ったのは、誰でもない。
ルミナ・アストリア・ソレイユなのだ。
(楽しかった)
(あの子は、歴史に残る偉大な王になる)
(私の可愛いリア――)
(ファーストキスの相手)
(もっと――ずっと一緒にいたい)
(せめてキスの責任は取ってもらいたいものですね)
(……もっとあの子のそばにいたい)
いろんな思いが、浮かんでくる。
そのひとつ、ひとつが華やいでいた。
「そう、分かりました」
彼女は微笑みを湛え、ペンを指で弄ぶ。
――沈黙。
(ツミカ先輩なら、きっと――)
天女は尊敬する先輩の顔を思い浮かべながら――。
わざとらしくペンを床に落とす。
その手癖は、書類上の『定め』を一瞬だけ逸らすためのもの。
理に背く、禁じられた介入。
それでも彼女は微笑んだ。
「あらいけない……ごめんね。そのペン、取ってくれる?」
(――私は、あなたのようにはなれないけど。
でも、あなたなら……きっとこうしましたよね)
「(69、70、71、72)……貴女を地上に戻す祈りが届いたわ。おめでとう」
そう言って、ペンを受け取った天女は続けた。
「上級転生審議官にしてニ級天女――あなたの主と絆を結ぶ者――【理衆】の名において、愛する人の下へ還ることを事を許します」
ルミナにはそれが何を意味するのか、おぼろげながら分かった気がした。
この――天女様は、無茶をしたのだ。
(なぜ……ですか?)
「さぁ……どうしてかしらね。私にもわからないわ」
そういって肩をすくめてみせた天女は、書類に何やら書き込んでこういった。
「ファーストキスの責任は、取ってもらいなさい。じゃ、いってらっしゃい」
それは軽い口調だった。
まるで、お茶にでも誘うかのように。
足元が喪失し、おちていくような感覚――。
虚しさが遠のき、代わりに、胸の奥で微かな鼓動が芽生えた。
白がほどけ、七色の炎が迸る。
まず、色が戻ってきた。
つぎに、包み込むような温もり。
最後に、頬を伝う雫の感触。
――還るべき場所が、彼女を呼んでいた。
※※※※
やがて、王太女はルミナに顔を寄せると、それが最後であるかのように、大切に、大切に――唇を重ねた。
そしてその口付けは、ルミナを呼び戻す祈りを届けた。
――願いの結晶たる奇跡――
ルミナの顔にみるみる正気が戻っていく。
王太女は気づかないまま最後の別れを惜しむ。
そっと唇を離す。
リアの耳に唯一届いたもの、それは、周囲の音と比べればとても小さな、普通なら聞き逃してしまう音だった。
愛おしい人の呼吸音。
それは、生を確かめるかのようで――。
そして、生きる意志を世界へ告げるかのようだった。
ぴっちりスーツの天女:理衆様。
そのうち人気投票と化してみたいな・・・チラ




