第五章 転生者達 刃の下に
「よく降るな……嫌になるぜ」
あどけなさの残る男――彼らの中で一番若い男が、そう呟いた。
窓のないこの倉庫では、外の様子を見ることができなかったが、雨音でそう判断したのだ。
「そう言うなって、これが最後と思えば感慨深くもある」
「そんなもんですかね?」
「ああ、俺なんざ準備段階からずっとこの国にいたからな、もう7年だ。お前と同じくらいの歳に派遣されたからな」
そう言ったのは無精髭を生やした男で、彼は城の衛兵として雇われ、百人長まで出世していた。
恐るべきは、彼らの用意周到さとその辛抱強さだ。
7年前といえばリアがまだ4歳になろうかというところだ。
「俺がこの国に来たのは5年前だが、ここの前は南雲王国で3年、その前は――まぁいい、国に帰れると思えば、この雨だって愛おしく思えるさ」
【影蔵】の使い手はこの国での日々を振り返っていた。
「そんなもんなんすかねぇ」
若い男は半年前に送り込まれた新人だった。
男達の言うことは、サッパリ理解できなかった。
「ところで……あれ、いいんですか?あんな状態ですけど」
誰かがかけた上着そのままに、寝息を立てているリアをさして疑問を口にした。
「我らが王は非常に寛大な方だ、相手がどんな者であろうが、平等に愛される。女ならな」
皮肉たっぷりでそう言ったのは、商人風の男。
「可哀想っすね」
ほんの少し、故郷の妹の顔が脳裏をよぎる。
「……どのみちこの国にいても、好きでもない男と結婚して、子を産んで、しかも政務までこなさなきゃならん」
哀れみとも皮肉ともとれる口調で商人風の男は言った。
「なら、何も考えずただ子を産むだけで済むのは、ある意味楽かもしれんぞ」
「それもそうですね」
異世界の、そして狂った王に仕える彼らの認識だ。
しかし、商人風の男は自分の言った言葉に納得していない様子だ。
彼は、商人として長くこの国の市井に紛れ暮らしてきた。
己の祖国が、いかに狂い、いかに歪んでいるのか気が付いたのだ。
けれど、国に残した家族を思えば、彼に与えられた任務は絶対だった。
「なぁ」
商人風の男は書記官にそう声をかけた。
「なんだ?」
「国に帰ったら――」
「なんだよ?」
「いや、帰ってから話すよ」
その瞬間だった。
物理的な衝撃を伴う爆発音が轟いた。
※※※※
痛いほどに打ち付ける雨が周囲の音を消し、雷光が仲間の影を映す。
ぬかるむ畑の中を泥にまみれながら進む彼ら。
目指すは敵拠点の倉庫。
倉庫を取り囲むように布陣した彼らは、じっと合図を待っていた。
どれほどの時間がたったのだろうか。
数分だったのか、数時間だったのか。
あるいは一瞬だったのか……それは唐突に、突然に発せられた。
音と光の氾濫。
リィンによって織り上げられた魔法――『崩音の調べ』である。
指向性をもって織り上げられたはずの魔法は、非致死性ながらなお、その威力はすさまじく、範囲外にいる彼らの耳をもつんざいた。
彼等は事前に知らされてはいたものの、歯を食いしばって耐えねばならないほどだった。
「いざやまいらん!軍神ハチマヌよ!ご照覧あれ!」
「雷神タケミカのご加護が在らんことを!」
近くに伏せていた戦士たちが一斉に飛び出していく。
弓持ち達はその場で弓を射かけていく。
倉庫前の広場は今や戦場と化していた。
抵抗する敵冒険者達。
彼らの一部は装備を解き休んでいたのだろう、鎧を脱いでいるものもいた。
そこへ新たな魔法が詠唱された。
それは『幻影獅子』と呼ばれる数頭の猛獣を映しだす魔法だ。
これは本来、お祝い事の際に披露する曲芸のようなものであった。
しかし、『崩音の調べ』と奇襲によって混乱している敵相手には効果抜群だった。
敵冒険者は仲間との連携を取れず、組織だった行動ができないでいた。
※※※※
轟音は壁を震わせ、倉庫の天井がきしみ、埃が舞い落ちる。
外から差し込むはずのない灯火が一瞬、昼間よりもなお明るく差し込んだ。
痛みを伴うほどに大音量が耳朶を打つ。
誰もが息を呑み、音の意味を掴めずにいた。
「ぐ!……なんだ!?」
「雷でも落ちたのか!?」
「何事だ!?」
外の様子が見えない彼らにとって、音だけが頼りだった。
そして、油断している彼らはそれを敵襲だなどとは思わなかった。
要救助者――リアだけはそれに対して無反応だった。
その時、今度は裏手で小さな音と共に扉が開き複数の影がなだれ込んだ。
※※※※
裏手に布陣したディッダと騎士たち、そして少女。
裏手に見張りがいない、その隙を突きドア前まで接近していた。
誰しもが震えるほどの緊張をしていた。
彼女達のこの戦いが全てを決するのだ。
大音量が鳴り響き、衝撃を全身で感じた。
作戦開始の合図だ。
敵の中に混乱が広がっていく。
全員ではないが、その多くが表側へと足を向け、裏口の静寂さには気が付いていない。
雨音がやけにうるさく感じられた。
裏口をそっと開け中を確認したディッダは、隊長のルミナ騎士へ視線で合図を送る。
頷きで答えるルミナ隊長。
ディッダを先頭に静かに、素早く突入いていく。
騎士たちは鎧の音で気付かれないようにと、あらかじめその鎧の多くを脱いでいた。
ディッダのアドバイスだった。
突入後、ディッダの早業で弓が放たれ、たちまちのうちに三人を射抜いた。
なだれ込んだ騎士たちはあらかじめ予想されていた場所へ向けて走る。
射抜かれた敵の叫び声により侵入者に気づいた敵は、慌てながらも抜剣し、リアを奪われまいと走り出す。
先にリアのいる場所を確保したのは敵側だった。
それはもとより彼女を守っていた四人が、あまり遠くない場所から駆け戻ってきたのだ。
しかしその瞬間、二名がナイフに吸い込まれるかのようにその胸でナイフを受け止めていた。
「それは見た!」
ルミナの特殊能力は三秒先の未来を見ることができる、未来視だ。
彼女にはその未来が見えていた。
だからこそ予めナイフを投げていたのだ。
周囲には敵がそのナイフの到達地点に自ら進んで刺さりに行くかのようにみえた。
残りはリアの左右に一人ずつ。
右の男がリアの腕を取り、剣をリアの首筋に押し当て、その人質を盾のように構えた。
それを見た左の男は、そのまま騎士隊の前へ飛び出した。
ルミナ達突入隊に緊張が走る。
リアを人質に取られてしまっては、手も足も出せなくなる。
そうなれば、目の前にいる王太女を救助どころではない。
ディッダの放った矢が、王女を抱き起した敵の額に吸い込まれた。
騎士隊に安どの空気が流れた。
騎士隊とリアの間には、あと一人。
こうなっては多勢に無勢。
騎士に囲まれ、数合の後、剣の露と消えた。
ルミナがリアを優しく抱き起す。
それは、やつれ、虚ろな目をして、よだれを垂らした、リアの抜け殻のように見えた。
「な――殿下!殿下!リア殿下!」
戦場の喧騒が遠のいた。
仲間の怒号も剣戟の音も、ルミナにはもう届かない、届いていない。
「美しく、優しく、気高く、可憐で、可愛らしく、華やかで、艶やかで、健気で、朗らかで、慈愛に満ちて、そよ風のような、夜明けのような――愛おしい人!」
彼女はただ、腕の中の少女の名を呼び続ける。
その声に万の祈りを込めて、その名を呼んだ。
※※※※
少女の心は闇の中にいた。
四日間。五感のほとんどを奪われ、食事も水も与えられず、身体を動かす自由すらない。
それが四日間。
なにかを思えば……何かを考えれば……それは絶望へと変わっていった。
なにより水を食事を口にできなかった期間が長すぎた。
解放後に水を飲み食事を与えられたが、誘拐犯たちが与えたものは、彼らの食事と同じ『干し肉とチーズとシチュー』だった。
しかし、これは『リフィーディング症候群』を引き起こすには十分な内容だった。
本来なら早急に、薄い粥などを摂らせ徐々に回復させる必要があった。
しかし、ここにはそのようなものはない。
リフィーディング症候群とは、弱った内臓を無理に働かせて体内バランスを崩し、命にかかわる合併症を引き起こすというものだ。
そしてリアの意識は混濁し、体は小刻みに震えていた。
◇◇◇◇
夢か。
いつの頃だったか……ずいぶん昔のような、最近のような……。
彼とは親友だ。
落ち込んだ時も、嬉しい時も一緒にいた。
あいつが女だったら良かったのに――何度か思ったことがある。
でも、今は俺が女か――なら良いか。
ああ……帰りたいなぁ。
ルーには悪いけど……いや、いっそルーも一緒に……はは……いいね。
愉快だ。
ああでも……帰らなきゃ……ルーが泣いてる…………ルー? どこ?……そこにいるのは……ルー?
※※※※
リアの周りでは騎士隊と誘拐犯達との戦闘が続いている。
「何としても取り戻せ!国の家族の為にも!」
「殿下をお守りしろ!」
混戦。
敵味方入り乱れて、怒号や断末魔の叫びがあちらこちらで上がる。
「ルー殿下を外へ!」
肩を叩かれ我に返ったルミナはリアを抱き上げる。
そのあまりの軽さにはっと息を呑む。
足が止まる。
走ってはいけないと、そう感じたからだ。
「さぁ、帰りましょう……ごぼぉ」
咳とともに血を吐き出すルミナ。
鎖骨の下から剣先が生えていた。
混戦の中、騎士達をすり抜けルミナまで到達した剣が背中を貫いたのだ。
よろめくも、力の入らない足で大地を踏みしめる。
激痛が伴うも、笑顔を忘れない。
リアが――この子がいつ起きてもいいように。
「……くっ、さぁ帰りましょう」
ここで倒れるわけにはいかない。
その思いが、ルミナの足を動かした。
「カタリ……ナ様もお待ち……ですよ」血飛沫と共に咳が続く。
リアの顔が赤く染まっていく。
状況は不利だった。
倉庫内に詰めていのは、要人誘拐を任務とするほどの特殊部隊なのだ。
帰路に着くという思いで油断こそしていたものの、その腕はプロ中のプロだった。
勿論近衛騎士も戦闘のプロだったが、音を立てないのを目的にして鎧を脱いでいたのが仇となり、慣れない状態で戦闘に挑んで、勝てる相手ではなかった。
ディッダだけは通常装備だったが、少女でさえもその鎧を脱いで戦っていた。
※※※※
《命のやり取りだよお兄さん》
《ああっ腕がなるね!》
《お兄さん、今お兄さんはきっと高揚してるんだと思う。確かに野盗を相手に復讐を果たし、キーンや訓練官相手にも圧勝してみせた。お兄さんは強いよ。でもね、お兄さん。今までのことは子供の遊びみたいなもんだよ。だからね、これが初めての命のやり取りだよ》
《なっなんだよ。そんなこと言ってビビらせようってのか?》
《そうだよ。いいかいお兄さん。相手は本気で殺そうとしてくるし、そのための訓練を受けた連中だよ。
本気の殺し合いなんだよ。だからねお兄さん……怪我の無いように、カッコ悪くたっていいから生きて》
《ああ……メルにゃんと一緒にいたいからな、大丈夫だよ》
突入前、少女の中で交わされた会話だった。
そして今、少女は3人の敵に囲まれて、ビビっていた。
技術はある。しかしながら決まったはずの覚悟は、なぜか消え失せていた。
メルニアと一緒にいたい。
生きて帰りたい。
無事に帰りたいという思いが、むくむくと、異様なほどに膨らんでいた。
そのせいで少女の踏み込みを、剣先を鈍らせ、結果が伴わず、さらに腰が引けてしまったのだ。
こんな状態では集中することも、己の持つ『波の支配』へ意識を向けることなど出来なかった。
喉が異様に乾く。
恐怖から、灰が締め付けられていた。
(息が……うまく吸えない)
切先が震えて、ビビっているのがバレバレだ。
《とまれ!とまれ!くそ!――なんで、なんでこんな!》
《次が来るよ!よけて!》
こんなはずじゃなかった――経験から立て直そうと稽古を思い出し、過去の実戦を思い出してみた。
しかし、絡みついた恐怖を拭うことは難しかった。
見渡せば多くの騎士が血の海に沈んでいる。
その姿に、自身の姿を重ねてみてしまい、足がすくむ。
身体が思うように動かなかった。
こんな時なのに『反復練習はこんな時のために体が動くよう覚えさせるためだったのか』などと頭をよぎった。
《落ち着け!落ち着け俺!》
《無理しないで!もう逃げていいんだよ!》
隊長も後ろから刺され、風前の灯火といった状態だ。
反対の壁際ではディッダが孤軍奮闘していた。
泥と血にまみれながら、まるで波を割るように敵を押し返している。
《ディッダを……助けなきゃ……》
剣戟の音、誰かの断末魔。
それが次の瞬間には自分のものになるのではという恐怖が、不思議なほどお兄さんの心を縛る。
《お兄さん!逃げて!ここで死んじゃ嫌だよ!》
《逃げるったって!》
迫り来る三本の剣が少女に流血を強いる。
――その時だった。
世界は音を失い――色を奪われたかのようだった。
そして、少女は目撃する。
リアとルミナが、七色の煌めく炎に包まれているのを。
※※※※
ルミナはかつてリアと共に過ごした日々を思い出していた。
◆◆◆◆
初めて会った日のこと。
『なんとお可愛いのでしょう!』
初めて名前を呼ばれたこと。
『ああ!父上でもなく母上でもなく!何という光栄でしょう!』
初めてリアが歩いた日のこと。
『まぁ!お上手ですよ殿下!』
初めてわがままを言った日のこと。
『ダメですよ殿下。それはルーが悲しいですよ』
初めてお勉強をした日のこと。
『お勉強をすればみんなが喜びますし、それを活かせば国が喜びますよ』
初めての告白のこと。
『え?私と結婚ですか?……そうですね。殿下が王位に就かれて、国の法を変えられたらお受けしますよ』
ああ――可愛いかわいい、私の殿下。
どうか健やかにお過ごしください。
どうかこの国を、民を、ご自身を……幸福へとお導きくだ……
殿か……わたしの……かわいい……でんか…………あ……
※※※※
もはや意識もないルミナはただそれでも、リアを守ろうと、リアの体へ覆い被さってその身を盾とした。
「…………」
ルミナの唇が声にならない祈りをあげた。
拘束具が小さな音を立てて、外れさらに――。
それを何と表現すべきか。
科学でもなく、魔法でも無い。
あえて言葉にするなら、これはルミナ・アストリア・ソレイユ 彼女が起こした【奇跡】だった。
「……ぅ」
リアの顔にみるみる生気が戻っていく。
もう二度と戻る事は無いはずだったリアが、ルミナの祈りによって蘇ったのだ。
その頬に、一筋の跡が現れる。
赤く染まった肌を伝うそれは、溢れた――涙の跡だった。
「……ぅ?……そこに いるの?」
ルミナは答えない。
「……重いよ、ルー……るぅ?」
ルミナに触れた手がビショリと濡れる。
「ねぇ?どうしたの?」
濡れた手を見る。
赤い――赤黒い――テラテラとぬめるような赤――これは――血?……血だ!
リアの中で朦朧としていた意識が突然澄み渡る。
周囲には数名の近衛と冒険者――そして……ルー。
ルーはリアを庇うように、覆い被さっていた。
リアに背を向けたまま近衛騎士が声を荒げた。
「殿下!お逃げください!表には味方がいます!」
「ルー ルー?一緒に行こう?」
「殿下!ルミナのことは諦めを!さぁ!早く!」
この騎士も傷が増えていた。
白であったはずの服は赤く、赤黒く染まっていた。
リアを呼び戻した奇跡は、その代償に彼女の最も大切な人を失わせた。
かけられていた上着は肩から落ち、その肌は露わとなる。
雪のように白い肌はルミナの血に染まり、異様な程に艶めいていた。
「ルー」
ルミナを揺さぶる手は、震えている。
「はぁ はぁ ルー……起きなさい ルー」
涙に揺れるその声は、優しく不安を孕んでいた。
「ルー!小母様が怒りますよ!……ねぇ ルゥ」
握った手は、血で滑り、力無く、落ちた。
それが覆しようのない、現実のように思えた。
何もかもが遠のいた。
剣戟も、叫びも、雨音も。
ただ、腹立たしいほどに、自身の鼓動だけが聞こえていた。
慟哭。
目の前の現実に、腹の底から、喉がつぶれるのではないかというほどに、叫んだ。
言葉にならない叫びをあげた。
瞬間――リアの瞳から、煌めく七色の炎の奔流が迸り、彼女たちの身体を包む火柱となった。
それは風にも散らず、血の匂いを焼き清めながら静かに立ち上る。
彼女に与えられた【ギフト】が今、華ひらく。




