第四章 今生 彼編 家路
ただ、そこにある日常。
ノヨシの武具店から、宿屋へ帰ってきた少女はさっそくマジックバッグから姿見を取り出して、例の指輪をはめてみた。
するとどうだ、黒曜石の瞳はさらにその深みを増し、揺らめく赤い十字が浮かみあがるではないか。
それはまるで、 地獄の業火のようでもあり、少女の心の揺らめきのようにも見えた。
《……なにこれ、すごい》
《お兄さん、感想はそれだけなの?》
《すごすぎて、わけがわかんない》
《ああ、なるほど、それはそうね。私もよくわかんないわ》
《ん?メルにゃんも知らなかったの?》
指輪をはめたり外したりしながら、鏡に映る瞳に感心するひとりと、ひと柱。
《ううん、私の眼は普通の黒曜石だったな。だいたい、瞳の中で炎みたいに揺らぐ十字ってなに?》
《こっちがききたいよ》
ベッドにその身を投げ出して、薄暗いランタンの灯りに照らされた天井を見ながら考えた。
《これって、お兄さんが来てからじゃない?》
《俺の目も普通の目だよ?》
《うん、でもきっと転生者の証みたいなものじゃないのかな?》
《なるほど、それはありうる》
《……》
《……いま、天命様のこと考えたでしょ?》
《へぇあ!?》
《でも、天命様なら説明してくれそうだけどね》
《呼んでみる?》
《無駄でしょ。それに会いたいだけだよね?》
《そ、そんなわけっ》
《はい、今日はもう寝まーす。せっかくだから、指輪付けておこうね》
少女の中のメルニアが、身体の主導権を奪った。
《ぐ……今夜はなしかぁ》
メルニアは残念がるお兄さんをかわいいと思いながらも、今夜だけは彼を焦らすようにして、静かに眠りに落ちるのだった。
※※※※
彼は夢を見ていた。
ここ数日、繰り返し見てきた夢だ。
これは生前の夢だ。
親友と出会ったのは、大学の部活の交流会でだった。
『古武道部』それが彼らの所属していた部活だ。
他県の大学ではあったものの、古武道という比較的珍しいものであったから、横のつながりは強く創部以来、交流が続いていた。
地元の道場に通い、部内でも飛びぬけて達者であった彼らは、その似た境遇からすぐに打ち解けた。
長期休みになれば、高速を数時間もかけてお互いの家まで遊びに行くほどだった。
何度も組み手をし、言葉を交わす以上に拳を、掌底を、手刀を、肘を、膝を交わしてきたのだ。
言葉など必要ない。
その一挙手一投足で相手の考えていることがわかるほどに。
……その親友がソファでうとうとしているのを見たのが最後。
そして、親友宅の火災。
「あいつは無事だろうか」
そう思った時だった。
ふと声が聞こえた気がした。
それは、親友の声ではなかった。だが、親友のものだと確信できた。
「無事か?……おい!無事なのか!?」
その声は、小さく、弱々しかった。
かつて一度だけ、親友が打ちひしがれているのを見たことがある。
――彼女に裏切られ、借金まで背負わされ、部屋の金品を持ち逃げされたとき。
あの姿は見ている方も胸が張り裂けんばかりだった。
そして今、闇の中から響いたのは、あの時と同じ弱い声。
【殺してくれ。お前の手で】
闇の向こう、姿は見えず、声も違う。
けれど、親友の意思は、死を望んでいた。
「いいぜ。ならいっしょに死んでやるよ」
微笑みを浮かべながら、そう答える。
「そうそう、その前に、お前に合わせたい人がいるんだ」
メルニアの事を思い浮かべていた。
「おれがここ数日間で経験したことを、聞いて欲しいんだ」
異世界転生したこと。魔法が使えるようになったこと。ドワーフに会ったこと。
――異世界には日本の影響があって、なかなか住みやすいこと。
「いっぱい、いっぱい、聞いてくれ。そのあとでなら、かまわんよ」
闇の中へ向けて手を差し伸べる。
指先が、何か――いや、誰かの手に触れた気がした。
触れたと思った瞬間、目が――覚めた。
※※※※
《お兄さん!お兄さん!大丈夫!?》
《え?なに?》
《なにって……涙が》
目を覚ましてみると、確かに涙が溢れていた。――この涙だけが、夢の続きのようで……。
《夢を見た気がする……なにか――助けないといけないって……何だったかな》
朝の身支度を整えながら、少女は鏡の前に立つ。
そこには――煌めくような赤い髪、健康的な日焼け跡を残している白い肌。
豊な曲線は柔らかく、しかし、鍛えられた腹筋と見事な調和を形づくっていた。
そしてその瞳は、夜空の闇に揺らめく、炎のような赤い十字が浮かんでいた。
指輪を外して、考える。
《せっかくお守りだってもらったものだから、身に着けておきたいよねぇ》
《わかるけど、指以外に身に着ける方法なんて……紐通して首から下げとくとか?》
《あははっ! いいね! 天才! それ採用》
そんな話し合いの結果、革紐を通し、首から下げることにした。
瞳は、いつもの黒瑪瑙の瞳に戻っていた。
今日は休養日だ。
鍋ぶた旅団の事情に合わせて、この日は休みとして、翌日彼らと一緒に簡単な依頼を受ける。
『依頼の受け方から、完了までを経験させておこう』という彼らの優しさだった。
それが終われば、いよいよ少女は故郷へ向けて旅立つことになる。
この日が、彼らと過ごせる最後の日になるかもしれなかった。
彼等は冒険者だ。いつか、何かの依頼を受け、帰ってこれないかもしれないのだ。
彼等は言う『一期一会ってこういうことだろ』
それに、メルニアの故郷は戦争の機運が高まっているという。
氏族の戦士でもあったメルニアはきっと前線に立つだろう。
そうすれば、帰ってこれないのはメルニアかもしれないのだ。
お互いにそれを口にすることはない。
ちゃんとわかっている。
だからこそ、五人と一人と一柱は今日という日を楽しんだ。
市場を見て回る。屋台の珍しい食べ物を食べては舌鼓を打ち、珍しい大道芸をみて笑い、人気の芝居を見ては涙を流した。
平和な一日だ。
気が付けば聖堂の杜へ来ていた。
彼等は言葉少なに参拝をすまし、参道の脇にある茶屋で一息ついていた。
誰ともなしに、空を見上げて、いつの間にやら皆が同じようにしていた。
青く澄み渡る空の向こう、真っ白な雲がそびえたつ。
メルニアの故郷の方角だ。
「火と水と」
ディッダが空を見上げながら、ぽつりと口にした。
「風と大地の」
レイヴンがそれに続くかのように呟いた。
「神々よ」
エドモンドが、祈るように呟けば、
「武運長久」
キーンが、力強く言い切った。
「君を守らせ」
そして最後、リィンが優しく、少女を抱きしめて呟いた。
【火と水と 風と大地の 神々よ 武運長久 君を守らせ】
彼等の思いの籠った歌だった。
少女は、その胸に溢れる感情を言葉にできなかった。
その代わりに、溢れたものが在る。
頬を伝い、嗚咽とともに胸に落ちた雫は、彼らの絆の証だ。
「ばか!何かっこつけてんの……リィンも、ディも、キーンも、レイも、エドも!」
笑い声が上がる。
少女も肩を震わせながら笑った。
いつか帰って来よう。
この景色の中へ。
少女はそう心に決めた。
夕陽が聖堂の杜を赤く染め上げ、烏が夜の訪れを告げる。
「そろそろ帰ろうか」
そうだ、帰ろう。
今はまだ、彼らと一緒に。
家に帰ろう。




