第二章 転生・同僚編 同僚
世の中の全ての、お父さんとお母さんに感謝をささげます。
目が覚めると、ふかふかのベッドの中だった。
何やらとても大きいベッドだ。
天蓋付きで、レースのカーテンの向こう、窓があるのだろうか、揺れるごとに光が見える。
ボヤける目を擦りながら、光の方へ転がってみる。
やたら高いベッドをなんとか降りて、おぼつかない足取りで窓辺まで行く。
随分大きな窓だ...もしかして巨人の家にでも迷い込んだのだろうか...そんなバカなことを考えた。
「殿下!」
もう少しで窓と言うところで、そんな声が聞こえた。
反射で振り返るよりも早く、勢いよく抱き上げられた。
「殿下!もうお身体は大丈夫なのですか!?」
どうやらメイドさんのようだ。
驚きと、女性に抱っこされるという恥ずかしさから、あわあわと「はなして」と、その一言が出ない。
「殿下――ベッドに戻りましょう。いま、典医をお呼びしますから。ね?ベッドに戻りましょう?」
随分と子ども扱いをするものだ。
それに、俺を持ち上げるなんて、見かけによらず、力持ちらしい。
窓が遠ざかっていく。
チラリと空の青と、緑が見えた気がした。
そのころには多少落ち着きを取り戻せたつもりだったが、再び落ち着きを手放すことになった。
――鏡を見たのだ。
そこには、幼女を抱っこするメイドさんが映っていた。
……そうだ、メイドさんに抱っこされた幼女だ。
メイドさんと、幼女。
メイド、幼女……あれ!?
俺はどこ!?
よく見れば、鏡の中の幼女は、なぜか俺と同じ動きをしている。
さらに、俺の口から出る声は、妙に可愛らしい女の子の声だ……。
――つまり、この幼女は俺……なのか!?
「……嘘だ」
記憶が混乱している、たしかに転生とかどうとか……それが何で、女の子ぉ?
「嘘じゃありませんよ殿下、お父上さまとお母上さまが、こちらへ向かわれているそうですよ」
「……父……上?……母上?」
「そうですよ、お二人とも殿下を、それはもう心配されておられましたから」
「しん……ぱい?」
ベッドに寝かされて、その後も父上と母上が、どれだけ心配していたかということを聞かされながら、それでも話は……耳に入ってこなかった。
――転生したのは、なんとなく思い出した……でも、なんで美少女?
どうしても、頭に霞がかかったように、考えがうまくまとまらない。
視界の端に映った自分の手が――小さな女の子のそれだ。
学生時代に鍛えた、傷だらけの、ごつごつとした、岩のような拳ではなくて、小さな、まるくて柔らかい、女の子の手。
さっき鏡に映って見えたのは、緩く波打つ、プラチナのような髪。
文字通り、箱入り娘だったのだろう。
日焼けなどしたことの無い、白い肌。
年のころは――十歳前後……といったところか。
俺の鍛えた身体。
血と汗と努力の末に、積み上げたものが――すべて、一瞬で……失われた。
三十数年、一緒に生きてきた肉体は、死んだ。
代わりに、見ず知らずの、幼女の体に押し込められたようだった。
俺という存在を、否定された。
積み上げてきたものが、否定された。
胸に……穴が開いたみたいだ。
虚しくて、悲しくて、やるせない。
「殿下!どうなされました!?どこか痛みますか!?」
メイドさんが、俺の顔を――いや、幼女の顔をのぞき込んできた。
心配そうにのぞき込む彼女は、ハンカチを取り出して、幼女の顔にそっと添えた。
「……なに?」
また、あの可愛らしい声だ。
「……涙が」
「……涙?」
頬を伝う、ひやりとした感触。
そうか……泣いているのか。
気が付けば、感情が爆発していた。
涙を止められず、しゃくりあげ、ついには鳴き声を上げる。
大の大人が……いや、きっと、これは――彼女の体が覚えていた涙だ。
あのあと、俺はベッドへ運ばれ、医者の到着を待つことになった。
メイドさんはその間ずっと、彼女の手を――いや、俺の手を……か、握っていてくれた。
優しさと、あたたかさを持った、立派な人だと思った。
涙を流したせいか、少しだけ、心が軽くなった気がする。
けれどそれは、メイドさんが傍にいてくれたことも、大きいだろう。
医者が到着し、いざ診察かと思いきや、この幼女の肌には直接は触れずに、メイドの協力の下で脈を測ったり触診したりと……。
どうも、貴人の、しかも女性の肌に触れてはならないということらしいが……それで、専門的なことが判断できるのか、はなはだ疑問が残るところだ。
しかし――貴人?……俺が?
そういえば殿下って呼ばれてたのは、俺のことか?
そうこうしている間に、どうやら、父上、母上が到着されたようだった。
「リア!大丈夫なのか!?」
大声でそう言いながら、大股で近寄って来た男性がおそらく、お父さん。
後ろに続く美人なお姉さんが……お母さん?
庶民だった俺には、お母さんといえば「オカン」が定番だった。
けれど、その女性を見た時、確かにその人は、お母様――いや、母上か。
しかし、「リア」――これが、この身体の名前らしい。
そう意識した瞬間、名前にまつわる記憶だけが、もやが晴れたように、浮かび上がった。
そうだ、この幼い身体の名前は【オルラ・アウレリア・ルクスヴィカ・コローインフィーリンネ】だ。
長い……長すぎる!
俺の名前なんてもっと短 い……名前……なんだっけ……?
頭の中がぐちゃぐちゃだ。
それでも、少しずつ――俺の記憶と、この体のそれが、溶けて、混ざり合っていくように感じる。
……でも、今はやめよう。無理に考えるのは。
でないと、頭も、身体も――何もかもが……元の俺と違いすぎて、吐きそうだ。
髭の男性――父上か……父上が、ベッドの端に腰を下ろして、こちらを心配そうに、のぞき込んでいた。
年のころは、30代前半といったところか――俺より若いな。
そんな俺の手を取って、心配そうな眼差しを向けてくれる……申し訳ない。
その優しさを受け取るべき【娘】は、多分もう、いないんだ。
原因はわからない。
ただ――あなた方が心配する、それが、この子を殺したんだろう。
そして、そこへ俺がやってきた。
知らない。けれど、今となっては、そうだとわかる。
溶けていく、彼女の残滓が、 俺にそう告げている。
あっちに残した、俺の両親も――こんな顔して心配してくれているんだろうか。
……いや。
俺がここにいるということは、きっと……泣いてくれているのだろう。
せめて、せめて一言――愛しているって、伝えたかったな。
親より先に逝くなんて、これ以上ない……親不孝だ。
ごめん……お父さん。お母さん。
そして――父上。母上。申し訳ございません。
また、涙が溢れてきた。
止まらない。
涙が、流れる度に、彼女と、俺が、ゆっくりと混ざっていく――。
あの日握った、あたたかい手。
あの日歌った、大好きな歌。
笑顔がいっぱいの、テーブル。
俺の知らない記憶なのに、懐かしくて胸が苦しくなる。
その想いが、今、俺の中に静かに満ちていく。
まるで、「この想いを、お願い」と――託されたかのように。
ごめん。
そして――ありがとう。
どうか、親孝行してください。
そして、子や孫に、引き継ぐべきものを引き継いであげてください。
有難うございます。
読んでくださったあなたに、感謝を。




