第四章 今生 同僚編 祈りの果て
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リアは様々な限界が近かった。
どれほどの時間が経ったのかすら分からない。
当初は濡れた服を口にして、癒していた渇きも、しだいに服は乾いてしまい、もはやそれも叶わなくなった。
助けを求める声さえ、渇きを加速させるだけだった。
食事は言わずもがなである。
最初は鳴っていたお腹も、今ではその音を潜めていた。
そして限られた範囲――恐らく大人サイズの人形――でしか、動かせない身体。
ただ、意識と無関係とはいえ動いているため――どうやらこの動きは誰かの生活をトレースしている様だった――血栓症と褥瘡――つまり床ずれのリスクは、他の問題よりはマシだった。
とは言え、問題がなくなったわけではないが。
そしてどうやっても回避できない問題――生理現象の処理が差し迫っていた。
水分を取れていない、食事を取れていない、とは言えそれまでの分を身体は排泄を求めている。
我慢が過ぎれば、それはそれで身体を壊す。
とはいえ、これは尊厳の問題でもあった。
(お願い……今だけは、動かないで……!まだ耐えられる、だから……!)
身を捩ることもできず、強制的に動かされ、ポーズ次第では、その我慢すら無駄に終わる。
そして今、体は再び強制的に動かされはじめていた。
(いや!やめて!……これ以上はぁ!今動いたら!)
まるで柔軟体操でもしているかの様だった。
屈伸からの開脚、飛び跳ねて、のけぞって……。
通常時であれば、程よい運動で心地よい疲労感を得られ、お通じにも良く、喜ばれた事だろう……そう、通常時であれば。
しかし今は、苦痛と羞恥を伴うだけだった。
そしてこの体操は、彼女の必死の堰を無惨に打ち砕いた。
自覚と同時に、熱いものが脚を伝って広がっていく。
羞恥と屈辱が胸を焼き、意識が真っ白になっていた。
……終わった頃には、全てが終わっていた。
その美しい顔は涙と鼻水、涎で無惨に濡れそぼっていた。
無遠慮に飛び跳ね、動きまわったせいで汚物は広がり、もとより狭い空間に悪臭が蔓延していた。
美しく溌剌とした、誰もが憧れるリアは、もはや見る影もなかった。
ただうわごとの様に、ルーの名を呼んでいた。
※※※※
一方その頃、ルーは不審者の尋問を始めていた。
あらゆる疑わしきものを調べ上げた末、残ったものが、この一見無関係と思われる不審者達だった。
とは言え、もともと城に出入りする者達だ。
たまたま、聞き取りの際に言い淀んだり、何かを隠す様なそぶりを見せた者達だ。
……幾度となく尋問は行われ、もう新しい証言など出てこないだろうと思われていた。
ルーは取り調べが行われている部屋に入るなり剣を抜き放ち、相手に飛び掛かるという奇行を見せた。
慌てて周りにいた兵士や、騎士たちに押さえられ事なきを得た。
その後もルーは部屋の片隅に残り事あるごとに、斬りかかろうとしていた。
少し前、ルーの認めた書状を持った使いが、柳華楼へ到着。
事態を知ったイナンナにより、即座に一流の尋問役、人の心に干渉できる夢魔族の目隠し巫女が派遣された。
到着後、急ぎ打ち合わせのうえで、この芝居をうっているのだった。
勿論、皆が殺気だっていたからこそ、信憑性の出たものだった。
そうやって翌日の昼過ぎのこと。
何人目かの尋問の際に、新しい証言を得ることができた。
証言者の庭師曰く、
「その人は、庭の片隅で、普段人が来ないところで誰かと話してました。けど、相手の姿は見たことがありません」と証言した。
続けてこうも証言した。
「その人は、事件のあった当日の夜も、同じ場所で、ただ、嬉しいことがあったのかとても興奮しているように見えました」
その人物とは、城の掃除を担う『掃除女』のひとりだった。
庭師は彼女に心を寄せており、それが恥ずかしくて、そして彼女を信じて、この不審な行動を言い出せなかったのだという。
掃除女には当初の聞き取り時に、事件時刻にはアリバイが証明されていた。
それ故に捜査から外れていたが、再度調査をする事になった。
何せ、かかっているのは王太女の安全なのだ。
庭師の恋愛など捜査陣にはどうでも良かった。
ルーが直接尋問をするために、はやる気持ちを抑えて掃除女の部屋へ向う。
その時……部屋から悲鳴と大きな物音が響いた。
何事かと慌てて部屋へ突入してみると、掃除女が黒ずくめの男に襲われているところだった。
ルーの判断は早かった。
その状況を目にするや否や、抜剣しその黒ずくめの男を切り捨てた。
急ぎ踏み込んだ近衛達の手によって一命を取り留めた掃除女は、城内の医務室で昏睡状態であり、調査は停滞するかと思われた。
「ルーラ――じゃなかった、ルー殿、提案があります。ただし、危険な賭けになりますが……」
それは禁忌とされる夢魔族の、種族能力の行使に関するものだった。
人の夢――精神に干渉できる彼女たちの能力は、非常に強力で、かつ危険なものだった。
それ故に基本、厳しく規制されている。
普段はその能力を抑え込むための目隠し――黒のレースの魔封布――の着用を義務付けられているのだった。
この能力で掃除女の精神に干渉し、聞き出そうと言うのだ。
勿論、通常は人前で目隠しを取る事はどんな理由だろうと厳しく罰せられる。
「責任は全て私が取ります。今は何よりもリア殿下の安全が優先です」
掃除女は、生死と夢現の境を彷徨う事となった。
※※※※
リアが恐怖に囚われ、ルー以下、近衛と兵士が必死の捜索をするなか、その動きに逆行するものも存在した。
ヴィアトーレ公爵の圧力により城門は解放されることとなった。
外交儀礼上の不都合があると言うのがヴィアトーレの側の主張であった。
玉座の間にて、ヴィアトーレはリアの父――レイナルド・マグナス・ルクスヴィカ・コローインフィーリンネ――マグナス王の前で控えていた。
「国王陛下に謹んで言上仕ります。他国の使節らを門外にて留め置かれまして、すでに三日」
その言葉はまさに忠臣のそれであり――
「このままでは、たかが一介の盗人ごときに、わが王国が三日も国賓を足止めしたと笑われましょう」
――諫言を言上する覚悟のこもった台詞であった。
「それは国の威信を損ない、外交の場にて永く尾を引く禍根となりかねませぬ」
しかし、王はそれがコソ泥などではないことを知っており、その言葉を受けいれるわけにはいかなかった。
「……されど、宝物を盗んだ賊は、未だ捕えておらぬ。門を開けば、民は王が秩序より体面を優先したと疑うであろう」
ヴィアトーレは大きくうなずいて、其れに同意を示す。
「陛下の御憂慮、誠に尤もに存じます」
しかし、この男の目的は、国の体面を守る事ではない。
「されば、暫時の措置として門を開かせ、通行の折には従前にも増して厳格なる改めを課させられれば、賊を逃さず、かつ国の体面も守り得るものにございます」
その言葉巧みにして、王の心を動かすには十分な話術であった。
「陛下の御采配ひとつにより、国の体面と秩序、双方を守り得ること、何卒ご高察賜りますよう、伏して奉る次第にございます」
確かに城外には他国からの使節が、足止めを食っている。
城内をくまなく捜査した事実を持って、『賊の姿無し』と判断する意見もある。
王はしばし、目を閉じる。
その顔は娘の無事と、1千万を超える国民の未来とを天秤にかける、苦悩の表情だった。
王は、この忠臣の言葉を受け入れ、以下のごとく決断を下す。
「うむ……ならば、門を開くとしよう」
確かに城外には他国からの使節が、足止めを食っている。
城内をくまなく捜査した事実を持って、『賊の姿無し』と判断する意見もあり、開城の後押しとなった。
謁見後、ヴィアトーレは自室から、夜の城下を眺めながら独りごちた。
「どこの誰かは知らんが……お膳立てはしてやったぞ、せいぜい上手く踊るがいい」
※※※※
ルー達近衛が、掃除女のうわ言のような証言から、書記官の存在を導き出したのは翌日の昼前である。
実に城門が開いてから約12時間後のことであった。
掃除女のうわ言――証言によれば、書記官と彼女は恋仲とのことだった。
忙しい彼のために故郷から来る行商人に連絡を取って、手紙の受け渡しをしていたと言う。
当初、字の読めなかった掃除女は書記官の役に立ちたい一心で字を覚えた。
そして字を読めるようになったころ、その手紙には、王太女の名前が載っていたのを見たことがあると言う。
書記官は急遽、故郷に用事ができたと言って旅立ちの準備をしていた。
「彼が戻ってきたら、私たち結婚するの」
3ヶ月後には戻ってくると、そうしたら結婚をする約束を交わしたという。
薬師が回復させ、目隠し巫女が精神に干渉するということを繰り返し、ようやく聞き出すことができた内容だった。
しかし、書記官の休職、離職の届は出ておらず、怪しんだ近衛は部屋に突入。
そこには既に書記官の姿はなく、慌てて出発したのか書類が散乱していた。
目隠し巫女が、【幸運】を招く祈りを捧げ、静かに入室した。
「かけまくも畏み 伊邪那美の大神――」
その祈りは、一種の魔法――神々へと通ずる一種のまじないであり、対価には咎人の命を贄とするものだった。
果たして祈りが叶えられたのか……確かな幸運が続くこととなる。
まず散乱した書類の中に、王太女の誘拐を示す暗号文を発見。
更には解読用の手引きも見つけることができた。
目隠し巫女をはじめ、多くの者の尽力により希望の尻尾を掴んだルーは、休む間もなくその文書に書かれた町へ、近衛隊を率いて馬を駆り立てた。
お疲れ様でした。
あったかいココアでも飲んで ゆっくりしてください。




