第四章 今生 同僚編 手を差し伸べたるモノ
無理せず、ゆっくりと、かみしめながら、どうぞ。
(?……暗い……全く何も見えない……体は……痛くはない……夢?……人混みに紛れて……誰かの手が……心臓を……胸を触られた瞬間、足元が無くなったような?)
――リアの中にジワリと広がる何かがあった。
リアは、人混みの中で工作員たちによって、近衛たちから引き剥がされ、囚われの身となったのだった。
しかし、リアには手段も目的も分からなかった。
落とし穴を考えもしたが、流石に場所や標的の選別が難しい事を考えると、この案は破棄された。
――それはシミの様に広がっていく。
次に考えたのは、『意識が肉体から切り離された』状態だ。
(植物状態?雷に撃たれてこうなってしまったのかもしれない……だとしたら……)
底知れぬ恐怖を振り払うように、別の事を考えた。
(もし誘拐だとしたら?……まだ、望みはある。絶対ルーが助けてくれる。助けてくれた時には、簡単な冗談でも言って笑わせてあげよう)
腹心のルーに対する信頼が厚い証拠であった。
(しかし……狭い!棺桶?いや、その割には壁に凹凸が多い。人型?……動ける範囲が狭い……魔法……発動しない……)
それはまるで、人形の中に入れられているかのようだった。
時折、その入れ物――やはり人形だろうか――が動いて、リアの抵抗など無関係に動かされ、精神はすり減り、耐え難い重圧となってのしかかっていく。
――彼女の心は、本人も気が付かぬほど、緩やかに、確実に、蝕まれはじめていた。
(肌寒い……外?……というわけではなさそう……)
リアは必死に状況を探ろうとし、打開策を模索しはじめていた。
(助かる方法は、きっとあるはずだから)
※※※※
城内のとある一室。
それは尖塔の最上階にあった。
夜明けと共に男は目を覚まし、軽く朝食を摂ったのち身支度を整えた。
隣室が男の職場であった。
大きな机にインク壺が幾つも並べられ、いくつもの印章が整然と並べられていた。
壁一面に、大きな書類棚が並び、溢れた書類が足元にまで積み上がり、山となっていた。
朝の仕事を適切に処理し、ふと窓の外を見る。
「この景色とも、もうすぐおさらばか……長かった……」
しみじみとしたその声は、誰もいない部屋に溶けて消えた。
「5年……まさか、あんな形でチャンスが巡ってこようとは」
男は故郷の景色と、残して来た家族を思っていた。
「作戦に若干のずれがあるが、結果が全てだ。褒賞も出世も思いのままだろうな」
喜びの感情を抑えきれず、満面の笑みを浮かべる。
「何せ手土産は――王太女なのだから」
男の笑い声が響いていた。
ドアが荒々しくノックされる。
男は、心臓が飛び出る勢いで驚いた。
何せ、男が行った事は発覚すれば、拷問に次ぐ拷問、そして【死】が確定しているのだ。
そこに情状酌量など有りはしない。
跳ねる心臓を、なんとか抑え込もうとしながらドアへと向かう。
「はーい、ただいま!」
いつもよりも少し、声のトーンが高かったかもしれない。
いつも通りを心がけながら、深呼吸ののちドアを開けた。
そこには近衛騎士と、兵士が数人立っていた。
思わず息を呑む男。
「これは……どうされました?」
「書記官殿、例の件でお部屋をあらためさせて頂きます」
有無を言わせず、部屋へ入り一同は、近衛騎士の指揮の元で無駄のない動きで、天井、書棚、その裏、床下の有無まで、その全てを確認していく。
書記官と呼ばれた男は、近衛騎士に親しげに声をかけた。
「私もあの場に居合わせましたが……捜索の具合はどうですか?」
「ああ、書記官殿もいらっしゃったんでしたね。聞き取り調査の件はありがとうございました」
「いえ、書記官として当然の務めですから」
そうこの男は、捜査に協力という名目で、聞き取り調査の、調書を作成するその場にいたのだ。
ルーが知ったら即、その首が宙を舞うだろう。
「捜査の具合……でしたね。順調ですよ。今は証拠を集めているところです」
嘘だった。
なんの進展もなかった。
しかし、兵士の手前、そんなことは言えなかった。
この時、近衛は微かな違和感を覚えたが、兵士の完了報告を受け、思考は中断された。
そのまま再び違和感が意識に上ることはなかった。
「書記官殿、捜索は終わりました。それではまた……今度は、じっくり時間をとって」
そう言って、兵士を引き連れて出て行った。
男――書記官は、閉じられた扉を見ながら、近衛の言葉を思い出していた。
『捜索は順調・証拠集めをしている・また会おう』しかも『じっくり時間をとって』とも言った。
書記官は冷や汗をかき、喉が異常に乾いていた。
証拠はない。
証言だって口裏を合わせている。
目撃者だっていないはずだ。
この日のために、訓練を重ねて来たんだ。
失敗するはずなどない。
書記官は自分に言い聞かせる様に呟きながら、落ち着かない様子で部屋の中をウロウロする。
もし……。
もし、万が一にも綻びがあったのなら?
そもそも、準備こそ何年もしてきたものの、タイミングはあまりにも急だった。
かつ、状況によっては、中止する事すら計画に含まれていた。
ところが幸運が重なりとんとん拍子に、事が進んだ。
(この時ほど神に感謝したことはない)
だが……ここまで順調すぎた、何か忘れているのではないか……一度そう思うと、不安はとめどなく膨らんできた。
※※※※
ぐわぁん!ぐわぁん!
リアの耳に届いたその音は、まるで水中に響いてるかのようだった。
そして再び、強制的に動かされる。
音は続いていた。
(これは……なに?……話声?くそ!よく聞こえない!)
体の自由はきかず、奇妙な音が響くだけ。
(誰か!誰か!そこにいますか!だれか!)
全力で体を動かしてみる。
しかし、わずかな隙間分、動かすことができるだけでそれ以上は不可能に思われた。
(く……だれか!そこにいるのでしょう!誰か!ねぇ!ねぇ!)
リアの声は、外に聞こえない。
そこに思い至った。至ってしまったのだ。
リアの中に広がっていた、不安は、その名を恐怖へと変え、彼女の心を飲み込んでいく。
(だして!ねぇ!きこえないの!ここにいるの!)
その声は、音にならず、自身の耳にも聞こえない。
ゆっくりと……ひとつ、またひとつと、リアの『輪郭』が薄く曖昧になっていく。
(だして!ここから!だして!お願いよ!助けて!ルー!助けて!ルゥ!)
リアの『声』は誰にも届かない。
だれも、救いの手を差し伸べない。
だれも、彼女を見ていない。
闇の中で唯一、【恐怖】だけが彼女の手を取り、決して離さなかった。
閉所恐怖症の私、辛い執筆でした。




