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第四章 今生 同寮編 握る手、震える心

 公爵邸でのお泊り会の翌々日。

 朝のうちは爽やかな青空が広がっていたものの、昼過ぎからは雲行きが怪しくなってきていた。

 初夏の気温に湿度が加わり、不快指数は上昇の一途をたどっていた。


 王城の端、訓練場に設えられた貴賓席に、二人の淑女は腰掛けていた。

 ひとりは王太女である、オルラ・アウレリア・ルクスヴィカ・コローインフィーリンネ。


 そしてもう一人は、その王女を赤子の頃から知り、その母である王妃の親友、カタリナ・ド・ラ・ヴァリャリエル公爵夫人。


 先日の王太女の提案通り、公爵夫人は自身の騎士団を率いて登城し、王太女の騎士団との演習に来たというわけだった。


 王太女――リアの傍には常に、腹心であり、近衛女官にして筆頭侍女のルミナ・アストリア・ソレイユ、通称「ルー」が付き従っていた。

 そして今はリアの背後に控え、その後ろ姿を静かに見守っていた。


(公爵邸でのお泊りの後、なんだかよそよそしい……まるで私に隠し事をしているような――まさか。そんなことがあるはずがない。殿下が私に隠し事など……)



 時は一日遡る。


 ルーが公休日のこの日、リアはさっそく護衛を振り切って――騎士団長、バヤル・ヴァレンティンの執務室へむかった。

 本日の生贄――もとい、カタリナ小母様の夫候補、カイルの情報収集である。


 執務室の上座にリアが座り、下座に団長が座っている。

 質実剛健を旨とする騎士団ゆえに、応接セットも質素であった。

 ふかふかのソファなど、ここには存在しない。

 普段団長が腰かける椅子は、もともと背が高いうえに特別頑丈に作られているせいで重く、そして、非常に硬かった。


(椅子に上るのも一苦労なのに……固すぎてお尻が痛い)


 どうしてもおさまりが悪く、もじもじしてしまうのだった。


「それで、本日の御用件は、騎士見習いカイルの事で、ご質問があるとか?」

 未来の国王であり、この騎士団――ルクスヴィカ近衛騎士団の存在理由である王太女が、供もつれず、しかもお忍びで訪れたということは『ただ事ではない』と身構えていた。


「カイルのどういったことについて、お聞きになりたいのでしょうか?」

 普段部下には豪放磊落な団長も、リアの前では細心の注意を払わざるを得ず、緊張していた。


「はい、カイルの剣の腕前はどうですか?」

(椅子が……座り心地が……)


「剣の腕前は騎士団でも五本の指に入るかと。自宅で姉に――姉は、殿下の近衛女官でしたな。その姉に、指導を受けているらしく、光るものが在ります」

(おや?殿下の様子が……もじもじと……)


「では単刀直入に聞きます、ヴァリャリエル家の騎士団に勝てますか?」

(くっ……落ち着かない子供だと思われてるに違いない、恥ずかしい)


「ヴァリャリエル家――海龍公爵の騎士団といえば……蒼龍騎士団ですね?」

 団長は顎髭をしごきながら、しばし黙考する。

「残念ながら、勝てるとは言い切れません」


「勝率はどれくらいですか?」


 団長は再び考え込む。

 リアはそれを邪魔しないように、ただ黙って答えが返ってくるのを待っていた。

 ただ……(うう、まるで石臼にでも座っているかのようです!)と我慢に顔を真っ赤にしながら苦悩していたけれど。


 質問の答えをすでに出ていた。

 しかし、黙考しているように見えたのはリアの様子がおかしいことに対して、考え込んでいたのだった。


(もしや殿下は、カイルの事が……)

 団長の推察は、やや妙な方向に傾きかけていた。


「カイルならば、人柄もよく忠義に厚い。『殿下の騎士』とするには、実績がまだ足りませんが――」

「では、その実績を作る場を用意します」

 リアはさらりと切り出した。

「急ですが、明日合同演習を実施します。それに彼を出場させてください」


「明日!?……承知しました!」(やはり……これは間違いない)


「それと、カイルの好みも探ってください。食べ物や趣味、何でも結構です。……あとは女性の好み、髪型、服装も」

 (お尻が……我慢の限界……!)


「明日の夜明けまでに!頼みましたよ!」

 真っ赤な顔で涙まで浮かべながらそう告げると、椅子を飛び降り――「団長!」そういって椅子をバシバシ叩いた。

 言葉にはしなかったが『椅子の座り心地が悪すぎる!変えておいてください!』という意味だった。


 しかしそれを見た団長は『あれは殿下の合図に違いない!団長の椅子がかかっているのだ!先日生まれた孫の為にも絶対失敗できない!』と決意を固めるのだった。


 リアは早足で部屋を出ていった。

 誰もいない場所で、お尻を全力で揉みほぐすために。


「お任せを!」

 リアの後ろ姿に声をかけながら、団長は満面の笑みを浮かべる。

 (殿下……あの反応、決まりだ! 殿下はカイルを好いておられる!)




 そして演習当日である。

 ルーは主人のよそよそしさに、不安と不満を抱き、リアはカイルの成績とルーにバレないかとヒヤヒヤし、公爵はカイルの反応に期待と不安を抱いていた。

 ひとり団長だけが自信満々であった。


 貴賓のふたりの横には、ルクスヴィカ近衛騎士団の団長。

 反対には蒼龍騎士団の団長が、解説役として控えていた。


 少年のような恰好をしたリアが公爵の服装を褒めた。

「これは……綺麗です小母様。ほんとうに服装、間に合って良かったですね」

「ああ、あれの好みが落ち着いた服装で、メガネのお姉さんだと聞いたときには焦ったぞ。そんな服持ってないからな」

「では、今着ているものは、どうされたのです?」

「そんな事もあろうかと、仕立て屋を押さえておいたのだ」


 胸を張って、本日の装いを自慢する。

 それはヴァリャリエル家の騎士団で制定された軍服を改造したもので、普段の彼女が着ることのない淡い色合いが目を引いた。

 白を基調に、胸元の大きなリボンネクタイは淡い水色地に藍色で家紋が刺繍され、腰回りにはスカートのように広がる飾り布があしらわれている。

 そしてショートパンツから伸びる脚はサイハイブーツに包まれ、この国の伝統とされる『絶対領域』を見事に作り出していた。


「さすがです小母様。ではメガネの方は?」

「度を入れるのは時間がかかるということだったのでな、所謂伊達メガネというやつだ」

「おお!私にもかけさせてください」

「いいぞ。たくさん用意したからな」


 そういうと公爵の侍従が、眼鏡がいくつも入ったケースを持って現れた。


 うきうきでメガネを撰び合うふたりは、まるで仲の良い姉妹のようだ。


(いつもなら、私が眼鏡を撰んで差し上げるのに……)

 知らず知らず、こぶしを握る。


 ルーの機嫌はますます悪くなるのであった。


 (お泊りの時から……やはり何かあったのでしょうか……もしや!?閣下は私の代わりに殿下を!?)


 ルーの心は乱れて、不安が押し寄せていた。


 訓練場では騎士たちが一糸乱れぬ動きを見せている。

 剣が光を反射し、甲冑のきしむ音が静かに響く。

 その中で、カイルもまた、何も知らぬまま、剣を握りしめていた。

 手に力が入り、胸の奥が静かに熱くなるのを感じながら――




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