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第三章 新生・彼編 剣戯の舞姫

焚火の匂い。いいですよね。

 ハシモの護衛であるキーンは冒険者だ。

 かつてアイジア王国の闘技大会で入賞経験もあるという猛者である。

 そんな彼がいま、子供に挑まれていた。

 彼は困惑していた。

 当然、周囲が止めてくれるはずだと思っていた。

 だというのに、むしろノリノリで勧めてくる。

 少女が取り出したあの木の棒は、何かの魔法の道具(アイテム)だったのだろうかと、不思議に思わずにはいられなかった。

 引くに引けなくなったキーンは、仕方なく挑戦を受けるのだった。


 これが、長きに渡り語られる彼らの奇妙な関係の、記念すべき第一歩となった。


 

 焚き火に照らされて、筋骨隆々の戦士と、赤毛の少女が対峙している。

 キーンは、長身で、鎖鎧に兜、盾で身を固めている。

 獲物は片手剣。模擬戦のため鞘に入れたままだ。

 

 少女は白いワンピース。それだけだった。

 二本の曲刀は腰にさしたままだ。


「お嬢さん、まさかとは思うがその格好でやるのかい?」

 レイヴンが外野から声をかけた。


「ええ。この格好で挑んだのですから、この格好で最後まで」

 レイヴンを振り向くことなく少女は答えた。

 

「随分とせっかちな性分だな。でも、お嬢さん、それだとキーンが安心して腕を振るえないぜ。どうせ時間はあるんだ。装備があるなら身につけた方がいいぜ?」

 

 レイヴンは少女がこの姿で現れたのを見ていない。

 だから荷物は別にあるのだろうと思ったのだ。

 実際にはマジックバッグに入っているが、大勢の前でそれをひけらかすような真似は控えるべきだと、メルニアに言われていた。


「これが、私の持っているすべてです」

 そう言いながら、少女はそっと服をつまんでみせた。


「そうかよ……キーン、くれぐれも怪我させんじゃねぇぞ!」


 場が静まり返る中、キーンが一歩、焚火の光の中へと踏み出した。

 兜に覆われたその顔は伺い知れないが、鞘入りの剣を手に、確かな気迫を放っている。


 一方、少女は構えてすらいない。

 足は肩幅に開き、脱力している。

 その目は『遠山の目付』と呼ばれるものになっている。

 これは、一点を凝視するのではなく全体を見るという武道の基本のひとつである。

 今の少女に『恐怖』はない。

 転生者の死とメルニアの死で計2回の死を経験しているのだ。

 今更、死のうがどうということはない。

 ただ、身体を動かすお兄さんの隣で、メルニアの魂は気が気ではなかったが。

 しかし、お兄さんは、それすらも気にならないほどに集中していた。

 

 代表してハシモが始めの合図を出した。

 

 キーン。盾を前方へ構え、片手剣を担ぐようにして腰を落とす。

 これは相手の攻撃を盾で受ける、あるいはいなし、できた隙へ剣を叩き込む構えだ。

 相手側からすれば、目の前の盾が邪魔で本体を狙いづらくなるうえ、視界も遮られて攻撃の初動を見落としやすくなる。


 少女は依然構えない。

(なるほど……盾持ちは初めてだけど、やっぱり邪魔だな)


 この時、少女は違和感を覚えた。


 ――それは、自分の中にあった。

 集中が高まるにつれ、視界が澄み渡り、まるでこの場の全てを俯瞰しているかのような感覚になっていた。

 さらには、キーンの呼吸すら、感じとれるほどに感覚は研ぎ澄まされていく。



 キーンが間合いを詰める。

 盾をわずかに持ち上げて体を隠し、その陰から剣が閃いた。

 

 しかし、異変ともいうべき現象が起きた。

 ――少女にはそれが、スローモーションのように見えたのだ。

 まるで綿毛がそよ風に舞うような、そんなのんびりとしたスピードに感じたのだ。


 困惑すると同時に、ギャル天女の顔が脳裏に浮かんだ。

(なるほど。そういうことか……転生特典的なことかな……何にしても、感謝だな)

 そして――あの柔らかい、唇の感触を思い出した。

 

 ――油断。

 

 気づけば、剣が目の前まで迫っていた。慌てて身を引く。

 

《お兄さん?なに、いまの。なんで、天女様の事思い浮かべたの?》

《はぇ?》

《ねぇ?天女様とのキスを思い出してたよね?》

《メルにゃん?いま、そんな場合じゃないよ?》

《……あとでちゃんとお話し、しましょうね?》

 閃きのごとき一瞬で交わされた会話である。

 

 再び迫る剣を、慌ててかわしながら距離を取る。

 呼吸を整え、集中を高める。


 すると……世界の流れが、遅く感じられるようになってくる。


 続けて振り下ろされる剣。

 それを半身で躱すと、少女の足元でワンピースの裾が軽く舞った。

 彼女はすり足で、キーンの懐へ飛び込み――背負いあげて、投げた。

 死合いではないため、頭から落とすのは避けて、背中から。


 それは瞬きほどの速さだった。

 まさに一瞬。


 周囲からは、キーンが打ち込んだかと思ったら、次の瞬間には倒れており、少女は立っていた。

 

 少女は未だ呆けているキーンのそばで、ワンピースの裾を押さえてしゃがみ込み、その首筋を「えい」と軽く触れた。


「これで終わり――じゃないですよね?」


 どよめく場でその言葉は、キーンの耳にはっきりと届いた。


 キーンは何が起きたのか理解できなかった。

 確かに少女を侮ってはいたし、手加減もしていた。

 しかし、そんなものを遥かに上回る衝撃だった。

 視界がブレたかと思った瞬間、夜空を見上げていたのだから。

 状況から見れば投げ飛ばされたのだろう。

 しかしそれでも信じられなかった。

「これで終わり――じゃないですよね?」

 少女が顔を覗き込んで聞いてきた。

 見事な投げ技に、悔しさも湧かなかった。

「ああ、次はもっと持ち堪えてみせるよ」

 

 激しい戦闘の末、場は大いに盛り上がり、他の焚き火からも観客がやってきていた。

 

 結果、二勝三敗。

 少女の負けに終わった。



 周囲の観客からは「やっぱりキーンはすげぇな!」と称賛の声が上がり、「お嬢ちゃんもよくやった!」と少女の健闘をたたえる声もあがる。


 キーンは勝ったのだ。

 だというのに――呼吸すら忘れるほどに、視線は「敗者(彼女)」から離せなかった。

 否、圧倒的強者である『その敗者』から。


 

 (勝たせて……もらった。まるでダンスをエスコートするかの様に、導かれ、操られ、実力以上の動きが出来た――出来てしまった)


 体の奥底に刻まれた、圧倒的な実力差。

 肌が粟立ち、ぶるりと震えた。

 それは、初夏の夜に吹いた風のせいではなかった。


 試合を油断なく見ていたレイヴンも同じく、戦慄を禁じ得なかった。

 (仕事の都合まで考慮され、勝ち星を譲られた?……人間……なのか?精霊とか、もっと別の何かじゃないのか?)


 周囲が笑い、湧き、拍手を送る中――キーンとレイヴンの世界だけが、静まり返っていた。

 それほどまでに、彼女の強さは“異質”だった。



 笑顔の少女は汗ひとつかかず、静かに身だしなみを整えていた。

 赤い髪が夜風に遊ばれ、焚き火の光の中で揺れている。

 ――まるで、あの激戦が幻だったかのように。



舞姫


彼女の二つ名。

いくつかある中のひとつ。

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