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第三章 新生・彼編 紡

あるぇ?気が付いたら、ろくせんもじ なんだぁこれ・・・。

 ラプトリス大陸。

 東西に長いこの大陸は、その中央部を南北に走る大山脈によって分断されている。

 この大山脈の名を【天蓋山脈】といい、この山脈の南端にまるでしがみつくように存在するのが、アイジア王国だ。でこの国が、基軸通貨の発行国であり、世界の貨幣制度を担っている。

 山脈の東西には大地溝帯が横たわっており、これを【深淵の淵】と呼ぶ。

 さらにそれらを取り巻くように森林が広がっており、【別離の森】という。


 この別離の森から西に広がるのが大草原地帯と呼ばれる高地で、草原の民と呼ばれる諸部族の合議制によって治められている。

 この草原地帯の周囲に広がる低地部では、農耕や狩猟、漁業なども盛んな諸王国群となっている。

 アイジア王国の南にはかつて大陸があったとされているが、伝説によれば神魔大戦の余波で砕け、今の諸島群となったとされている。



 《というのが、私の知るところだ》


 ギャル天女と別れて遠くに見える都市へ向かう道すがら、頭の中でメルにゃんからこの世界についてのレクチャーを受けているところであった。


 この世界に転生した直後とは違って、今は身ぎれいな姿だが、さきほどから何度かすれ違う現地人とのギャップに、町で悪目立ちしないかと心配だった。


 《ここがどこかは分からないが、草原地帯では無い。おそらく、その南方都市のどれかだと思うが、あの町へ行けばそれもわかるだろう。石壁に囲まれた臆病者の町なら間違いない。》


 《臆病者?……町へ入るのにお金はかかったりしないのか?》

 《場所によるな。たいていの場合は大銅貨が数枚から、高くても小銀貨数枚ってとこだな。》


 そう言われても、転生後の魂の融合が中途半端なままな『転生者』にはわからない。

 だが、いまだ独立した意識を持つ『メルニア』には、それが分かる。

 それによれば、貨幣は9種類。

 うち日常で使うのは中小銀貨、大中銅貨の4種類。

 メルニアの記憶を通じて知った感覚では――。


 中銀貨、馬を狩ったり中級武具を買うときに。

 小銀貨、一日の宿代や数人で食事するときに。

 大銅貨、パンや野菜を買うときに。

 中銅貨、りんご1個など。


 中銀貨より上のものを使う場合は、不動産の購入であったりと、庶民であれば人生に何度も使うことはない。

 さらに上には、アイジア金貨、ラプトリス金貨、ハルサン金貨と続き、ハルサン金貨は統一王と呼ばれた男の名前を冠しているという。


 ハルサン金貨は国家間の取引などに使う。メルにゃんは現物を見たことはない。

 ラプトリス金貨は、大陸の名前が付けられた金貨で、上級貴族の年収や大型の船を買えるくらいだという。やはり現物は見たことない。

 アイジア金貨は、その統一王が起こした国の名前が付けられた金貨。名馬や、魔導書が買えるくらい。ちなみにアイジア王国は現在、衰退の一途をたどっていると聞く。

 ただし、アイジア金貨は最も普及している金貨と言っていいだろう。これは何度か見たことがある。


 転生者とメルニア――少女は、周囲の小麦畑に囲まれた街道まで出て、そこを町へ向けて歩いていた。

 初夏の風が、緑の絨毯を撫でて行く。

 メルにゃんは、故郷の草原を。

 転生者は、ばあちゃんの住む田舎を思い出していた。


 途中、何組かの――農奴だろうか、とすれ違った。

 いかにも中世の農民といった装いだ。

 粗末な麻布のチュニックに、くたびれたレギンス。靴は、革と布を継ぎ接ぎしたようなもの。

 おそらく、風呂に入る習慣はあまりないのだろう。

 汗と土にまみれたその姿は、現代人の目からするとかなり不衛生に映った。


 しかしそれも、町が近づくにつれて、こぎれいになっていった。

 市壁、市門が見えるころには商隊(キャラバン)らしき一行が列をなしており、市門を通る順番を待っているようだった。

 その列の前の方を見れば、何やらもめているのかもしれない、列はぴくりとも動かない。しばらく足止めされるかもしれない――そんな予感が、少女の胸をよぎった。


 《メルにゃん、俺達ってお金持ってるのかな?》

 商隊の後ろに並びながら、心の中でそう問いかけた。

 《え?天女様にもらった、マジックバッグにあんなにいっぱいあったじゃないか》

 メルニアが思い浮かべてるシーンはそのまま、転生者に共有されたが、そこには馬鹿ほど大きな金の塊などはあったが肝心の『貨幣』は影も形もなかった。

 《な?お金、持ってないんだわ。俺たち。どうしよう?》


 呆れたような声色で、言い放つ。

 《たしかに、天女様からは「引っ張っていけ」とは言われたが、こういうことじゃないと思うんだ。どう思うお兄さん?》

 《メルにゃん、忘れないでくれ。俺はこの世界でまだ2日目なんだ。しかも、メルにゃん以外の人間を知らない。共有している記憶もあるけど、この状況で役に立ちそうな記憶は見当たらなくてね。身の回りの事って従者の人たちがしてくれてたでしょう?自分でやったことないでしょ?だから入門に関する記憶もないからね?この目の前の商隊の商人へ話しかけてもいいけど、メルにゃんを売った商人のように嫌悪の対象でしょう?うまく行けるかなぁ?》

 《ぐ……そ、そうか。しかし、お兄さんの方が口は立つし、任せた方がよさそうだぞ?》


 自問自答とでも言うべき会話をしている少女――側から見れば、焦点の合わない目をして……意思の感じられない口元をしている。

 商隊の護衛が訝しげに見ていた。

 彼は十分な経験を積んだ冒険者だったが、目の前の少女の事を計りかねていた。

 まず、異国風ではあるが、高級そうな服をまとっていた。

 目を惹く赤い髪も見るからにサラサラしていて、風に揺れるたび、光を受けて煌めく様は、まるで光の精霊が戯れているかのようだった。

 冒険者や商人の荒れた肌に囲まれる中、その少女の肌は異様に整い、健康的に焼けてはいるものの、それがかえって現実離れした清潔感と魅力を持ち、周囲の視線を惹きつけていた。

 服は白い――貫頭衣のような形状だが、極めて精巧に仕立てられていた。

 胸元には赤い刺繍が施され、何かの紋章のように見える。

 それも、どこかの貴族か、特別な組織に属する者の証だろう。

 腰には黒い革帯。

 そこに、大小二振りの曲刀のような武器が吊られている。足元も堅牢な革のブーツだ。

 装いは一見すると剣士だが、その質と意匠は、ただの傭兵ではない。

 そして何より、顔がいい。あまりにも整いすぎている――圧倒されるほどに。

 その少女が、今はただ、焦点の定まらない目で、そこに立っているのだ。



「なんなんだこいつ……」

 そのつぶやきを、聞いた彼の仲間が彼の視線の先にある光景を見て、同じ感想を呟いた。

 そしてその噂は次第に広まっていき、ついにはこの商隊の主の耳に届く。


 ――曰く、異国の貴人がすぐ後ろに並んでいる。


「なに?……挨拶をしておこうか、何かのチャンスにつながるかもしれないしな」

「ですが、会頭。さっき様子を見てきましたが……少し注意が必要かと。実際にご覧ください」

「貴人なんてそんなもんだろう。おだてておけば儲けになるかもしれん。さ、どこだい」

「……いや、貴人……貴人って感じでもないんですけどねぇ」



 《なんか、周りの様子がおかしくないか?》

 《ちょっと会話に気を取られ過ぎたな……かなり目立ってしまったようだよ》


 少女の目には力が戻り、その口元は確固たる意志を感じる。


 周囲には数人の護衛役の冒険者が取り巻いており、商隊を護衛しているのか、メルニアを護衛しているのか、判断が付かないような状態だった。

 あとは門を抜けるだけという状態だったからこそ、盗賊相手の警備ではなく、むしろこの怪しい少女を警戒しての布陣にみえた。


「おや?これはいったいどういう状態なのかな?」

 豊かな髭を蓄え、恰幅も良く身なりの良い男が現れてそう言うと、護衛は男とメルニアとの間に入り事情を説明し始めた。

 メルニアは耳を澄ませ、会話の中から状況を探ろうとしていた。


「会頭。この少女が……まぁ列に並んでるだけでしょうけど、身なりはまるで貴族のようでもあり、供も連れずにひとりでいるようですし、武器らしきものを持っているところからすると剣士のようでもありますが、あまりにも気の抜けた表情から剣士らしさもなく……判断に困っていたところです」


 会頭と呼ばれた男は、護衛の冒険者と比べれば頭ひとつほど低く、その身長は150センチくらいだ。

 メルニアは少女だが、草原の戦士として鍛えられ、氏族長の娘として栄養もしっかり取れて育ってきた。

 運動と栄養を十分に摂ってきた彼女の身長は165センチを超える。

 同年代の少女たちの中でも大きい方だった。


「はじめまして。わしはアイジア王国に籍を置く商人。『ハシモ』と申します。どうかお見知りおきを。良ければ貴方様のお名前をお伺いしても?」

 人当たりの良い笑顔でそういって礼をする男。

 目の前の少女は、確かに商隊の皆が噂するように、気品に満ち美しく、それでいてまだ子供だった。

 このあたりでは珍しい燃えるような赤毛が印象的だった。



 《なんか礼儀正しいぽい人が来たよ!?どうするのこれ!礼の返し方わかんないよ!》

 ハシモが行ったのは『ボウ・アンド・スクレープ』というお辞儀の一種で、ごく一般的な作法だが、転生者はそれに対する正しい所作を知らない。

 《任せて!》


 少女はスカート部分を両手で摘み、膝を軽く折り、優雅にカーテシーと呼ばれる挨拶を返した。


 《おお!これか!見たことある!自分ですることになるとは思わなかったけど!》

 《うるさいよ、お兄さん。いま大事なとこなんだから》



 この二人のやりとりは当然ながら、周囲の人には見えていない。

 何しろ、一部ではあるものの魂が融合しているもの同士の、胸の中でだけ交わされる対話なのだから。

 もしこれが見通せる者がいるとすれば、よほどの霊能力者か、その類の存在だろう。


「私の名前は、ミルユル・メルニア」


 その名前を聞いたハシモの顔からは笑顔が消えうせ、緊張が走っていた。

 周囲を見れば、ハシモだけでなく彼の部下や近くにいた護衛までもが、緊張した表情を見せている。


 《メルにゃん、なんかまずかったみたいよ?》

 《私の名前が?――そんな馬鹿な》


「ミルユル殿……この1月ほどの間、街へ行かれたことは?」

 緊張の面持ちでそう尋ねる、ハシモにただならぬ雰囲気を感じて、少女は言葉を慎重に選んだ。

「いえ、森の奥で……しばらく、追っていたものがありましたので」

 それは真実の一端であり、けれど全てではない。

 少女が選んだのは、嘘にならない範囲での『主導権を握るための』言葉だった。


 ハシモはそれをどこまで信じたかは、分からなかった。

 しかし、ハシモは商人である。

 人の顔を読み、言葉の裏を読み、心の隙間を狙う腕利きの商人である。

 この短いやり取りの中で、少女が何かを察し、何かを隠そうとしていることには気づいていた。


 ――それでも。


「なるほど。でしたら、この1月ほどの情勢をご存じありませんな?」


「……ええ」

 少女は表情を崩さず、次の言葉を待った。

 その様子に、なおさら危うさを感じる。


「でしたら、是非、お買い上げいただきたい情報がございます。――なに、決して損はさせません。むしろ、お買い上げいただかない方が損でございますよ」


 口調はいつもの調子だが、どこか慎重だった。

 商売であると同時に、これは“警告”でもある。

 今の彼女に知らせずにはいられない――そんな思いが、言葉の端に滲んでいた。


「ミルユル殿。どうぞこちらへ」


 少女の警戒は解けてはいない。

 しかし、少女にはこの商人を利用したいという事情があった。

 商人が何を企んでいるのかは分からなかったが、最悪の場合は、腰の剣に物を言わせることもやむを得ない――そう思えた。

 なにせ、相手は、諸王国の連中なのだから。



 《……》

 《なによ?》

 《……さっきのさ、追っていた相手って、あの野良犬みたいな盗賊連中のことだろ。俺たちはさ、誇り高い戦士でいような》

 《……》

 《俺のいた世界ではさ、そういう誇りある戦士の事を【侍】って呼ぶんだ》

 《サムライ?》

 《ああ、俺はさ、あのときメルにゃんの中に……侍の姿を見たんだ。だからさ、手を貸せたんだ》

 《……ふん》

 メルニアは小さく鼻を鳴らしたが、心の底でくすぐったそうに笑っているのが伝わってきた。魂を共有していれば、そんなものは隠しようがない。



 案内されたのは、商隊メンバーが休むための居住スペースとして使われている馬車だった。

 乗客用ではないため快適さには欠けるが、手足を伸ばせるスペースと、折り畳みの寝具が複数備えられていた。


「さ、どうぞ。警戒される気持ちは分かります。ですので、腰のものはそのままでかまいません」


 少女はハシモとじっと目を合わせる。

 少なくとも、嘘をついているようには見えなかった。


 いざとなれば、剣も魔法も【ギフト】もある。


 《相手は商人だ。マジックバッグの中に宝石があったはし、それで取引すればいいよ》

 《宝石?ああ、あの石ころか?》

 《役に立つのかって感じだな。そこは任せてくれよ》


 馬車に乗り込み、ハシモとその部下がひとり乗り込んで、ドアを閉めた。

 外の音は聞こえない。

 おそらく、こうやって外に漏れないように話をするのに使ったりするのだろう。


 透明とは言い難い――あまり質の良くないガラス窓を通して陽の光が差し込む。


「ミルユル殿。まずは確認ですが、貴殿のお名前は草原の民のそれと同じ響きがあります。貴殿は、草原の民ですね?」


 誇りを抱くべきか、身を守るべきか。少女は迷った。


 草原の民と諸王国は歴史上、大小さまざまな戦を繰り広げてきた。

 ここ数年は落ち着いているとはいえ、それは、書類上の話しにすぎない。

 両者は戦場を駆け、友を奪われ、親兄弟を奪われ――そして、敵の友を奪い、親兄弟を奪ってきた。

 その恨みは深く、双方の心に澱のように沈殿する。


 そんな個人の感情が、紙切れ一枚で消えてなくなるわけがない。


 少女自身は【戦場】へ出たことはないが、しかし、少女が誰を手にかけたとか関係ないのだ。

 少女が草原の民である以上、諸王国人は彼女をお恨み、彼女は諸王国人を恨むのだ。


 馬車の中で、2対1の状況で、草原の民であることを彼らに告げるのが果たして得策か……。


 少女は、いや、転生者は脇差の鯉口を密かに切ると、ほんのわずかに息を吐いた。

 肩の力が抜けたのは、覚悟が定まった証。

 命のやり取りも、もはや恐れるに足らなかった。

 そして、少女は頷き、ゆるぎない声音で告げた。


「ミルユル族、ミルユル氏族、長の娘。風の民の血を継ぎ、炎の精霊と縁を結ぶ者――ミルユル・メルニア。お察しの通り、私は草原の民です」


「はっ……やはり……」

 ハシモの表情は、暗い馬車の中では十分に読むことはできなかったが、その声は驚きと悲痛な響きが含まれていた。


 一瞬の沈黙。

 馬車の中の空気は張りつめていた。


「ミルユル殿、落ち着いて聞いてください」

 少女が首肯するのを見届けたハシモは、深呼吸ののち重々しく口を開いた。



「諸王国連合と、草原の、【戦争】が再開されそうです」



 それは最初、どこか他人事のように耳に届いた。

 だが、脳裏には――故郷の草原、兄弟たち、そしてメルニアを生かすために死んでいった仲間たちの姿が浮かんだ。


 そして彼女自身が手にかけた盗賊たち――恐怖にひきつった顔も、そこにあった。


 急ぎ帰る理由がまたひとつ、増えたのだった。


さらっと読める文字数でしたかね? いかがですか?

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