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第三章 新生・同僚編 業

よろしくお願いします。

 すっかり夜の帳が降りた頃だった。

 王都の南――海からの風が潮の香りを、丘の上にある公爵邸まで運んできていた。

 その香りに触れるたび、この国が大陸の東西貿易における唯一のルートであり、同じく海上貿易の要衝である海洋国家だということを思い出す。

 公爵邸の展望テラスから南を臨めば、街の光が、天の星に負けじと輝いていた。

 そして、その向こうには夜の海――果てなき闇が広がっている。

 普段から、王女の近衛女官として緊張の任務に従事するルーにとっては、久しぶりのゆるんだ時間だった。


 この光景を、任務外で初めて見たルーは、ひと目で心を奪われていた。


「どうだ。良い景色だろう?」

 振り返ると、公爵(カタリナ)がグラスを持って立っていた。

 昼間の、どこか儚げな印象とは違い、力強い印象を受けた。

 それは、深いえんじ色のベルベットのフロックコートに、さらに濃い色のウエストコート。クリーム色のブリーチズ。

 鍛えられ引き締まっていながらも、魅力溢れる公爵のボディライン。

 強く男性的な魅力と、押さえきれない女性の魅力が混在する。

 それでいて、昼間と変わらぬ、いや、昼間以上の美しさを湛えた人物だった。


「閣下!そのようなこと、お言いつけ下されば、私がお持ち致しましたのに!」

「よい。よい」

 笑いながら歩み寄ると、グラスをひとつ差し出した。


 しばしの沈黙。


「この度は迷惑をかけた。その詫びというわけではないが、滞在中は客としてもてなさせてくれ」


「迷惑だなんて、とんでもございません!」

「嘘をつくな。あの悲壮感漂う顔を見ればわかる。まるで決死の覚悟を決めているかのようだったぞ」

「……いえ。決してそんなことは……」

「そうか。てっきり、我に抱かれる覚悟を決めているのかと思ったぞ」

「な!?なななっ……なにをおっしゃいます!」


 ルーのもつグラスをさっと、取り上げたかと思うと、片方の手をその腰に回し、力強く引き寄せた。

「もういっそのこと、お前が相手なら構わぬぞ」


 ルミナ・アストリア・ソレイユは、没落したとはいえ子爵家の長子である。

 いずれは、家を継いで子爵となる人物である。

 彼女がこうして働いているのは没落し、生活能力のない現子爵と兄弟たちを養うためであり、王宮という場での高等教育を身にけるためでもある。

 つまり、当然、当たり前のごとく、彼氏などいたためしがないのだ。

 抱きしめられた経験もなければ、抱き寄せられた経験もない。


 昼間の馬車の中での出来事は、彼女にとっては青天の霹靂ともいうべき出来事だった。

 それに、ある程度の覚悟を決めていた状態だったのだ。

 ところが、いまは全くの不意を突かれた。

 ルーの近衛女官たらしめている能力も、いまは全く油断している状態だったのだ。


 つまり、「ひゃぁん」などという彼女らしからぬ声が漏れたのも、無理はなかった。

「どうだ。その覚悟を無駄にしないためにも、今宵は共に」

「ご、ご冗談を」

 思いの外力強い公爵の腕を振り解けずにいると、救いの手が差し伸べられた。

「小母様!小母様が仰ると冗談も冗談では済まなくなります。それとも、本気でルーを愛してくださるなら、別ですが?」


「殿下!?」


「ふぅ……冗談だ」

 肩をすくませながら公爵(カタリナ)は捉えた獲物を解放した。


「お風呂から上がって来てみれば――小母様は冗談が過ぎます。ルー?貴女も油断が過ぎるんじゃないですか?」

「申し訳ありません」肩を落とすルーとは反対に「何を言うか、我は半分は本気だったぞ」


「……半分」


 ルーには恋愛経験がない。

 だからこそ、たとえ相手が同性でも――少し、嬉しいと思ってしまったのだ。


「……半分、ですか」


 そう。『半分は本気』とは言われた。

 けれど、裏を返せば残りの半分は冗談だということになる。


 安心した気持ちと、からかわれたような悔しさ。

 そのふたつが入り混じって、ルーの胸の内は少しだけ複雑だった。



 この後、公爵邸のメイドに、もう遅いからと寝室に戻るように言われ、リアとルーはそれぞれにあてがわれた部屋へ。


 時刻も日付が変わるごろ、眠りに着こうかというその時、部屋のドアが開いたことに、リアは気がついた。


「誰か!」

 暗闇に向かって鋭く誰何すると闇の中から、浮かび上がったのは――公爵だった。

「そう怖い顔をするな。せっかくの美人が台無しだぞ?」

「……何かの嫌味ですか?」

 一瞬豆鉄砲を喰らったような顔をしてその歩みを止めた公爵は、昔から知っている子が一端の口を聞くようになったものだと、豪快に笑った。

「――やれやれ。お前は、良き女王になるだろうよ」

 そう言ってベッドに潜り込んでいく公爵。

「ちょ、ちょっちょ。ちょっと!何やってるんですか!人を呼びますよっ!」

「なぁに、昔は一緒に寝たではないか。久しぶりにと思ってな。それに、人払いはしておいた」

 最初こそ、冗談ぽくはなしてはいたものの、最後には真剣なトーンとなっていた。




「――なるほど、つまりお前はあのシルヴァンという男が怪しいと睨んでるんだな」



「はい、まだ関係があるかどうか分かりませんが、怪しい行動といえばあの男位かと」

 公爵はそれを聞いて、しばらく考え込んだかと思うと、そういえばと言って昔話を語り出した。


「『昔、ある船の船長に歳の離れた兄弟がいた。その兄弟は仲が良かったが、兄は控えめで何事にも弟をたてた。長子継承が慣わしの我が国では、その船を引き継ぐのは長男だった。が、何事も控えめなその男は船長を辞退しようとし、弟もすっかりその気になって船長になると言い出した。ところが、古参の乗組員はそれに猛反対した。理由は、長子継承が制度であり、伝統だからだ。長年の説得に折れた兄は船長になり、弟は船を降りた』という。お前が生まれる前の話だ」

「……つまり?」

「いくら制度だ、伝統だと言っても、よくに目が眩んだり、愚昧な連中にはそれが理解できんらしい。それで船を割るくらいなら、海へ投げ込むしかあるまい」

 彼女の言葉には王国貴族、そして十数万人の人口を預かる領主として、重たい言葉だった。


「……はい。心得ています」


「……お前の父にも、弟がいただろう」


 ここまで言われて初めて気付いた。

 いや、その点に気付きたくなかったと言うべきか。

 まさか身内の犯行だとは思いたくなかった。

 しかし、思えば多くの権力争いなど身内で起こるものだ。


「ですが……私がいなくなったとて、彼の方には王位が行くことはありません。サイもフローも元気ですし――まさか、二人とも!?」

 サイはリアの弟でフローは妹の名前である。


「さてな、同じ公爵とはいえ、うちとは格が違う。それに次代からは侯爵だ。ますます釣り合わん。こちらから話しかけるような家ではないしな」


 『この国の王家は変わってる』とはすでに述べてあるが、ここで少し紹介しておこう。

 多くの王家が男性長子を世継ぎにするのに対し、この国、アイジア王国は性別を無視して長子継承としている事。

 通常は王家の子が多くの場合、爵位を与えられたり、臣籍降下や出家という道を辿ることになる。

 しかし、初代王は(とぼ)しい知識で考えた。

「特権階級がめちゃくちゃ増えるし、それが腐敗し始めたら大変そう」

 さらには、特に功績が無いのに血筋だけで特権階級を引き継ぐのをよしとしなかったからだ。

 何より『自分は平民の出でここまで来たのだから、子孫よがんばれ』という願いもあった。


 では、他の貴族はどうかといえば、王家が長子相続なのだから、貴族の子も同じだった。

 貴族は建国時から現在に至るまで時の王がその功績を後世まで讃えるものとして、報酬として贈られたものであるため、そのまま継承される。

 しかし、王が代替わりするごとに、その兄弟が公爵になっていてはいずれ10世代、20世代となった時には公爵ばかりが多い国になってしまう。

 だから、王の兄弟として爵位を賜る者は、その世代のみ。

 次代は侯爵。その次は伯爵。最後は平民まで落ちていくのだ。

 だが、平民まで落ちる代であっても、王家の恩情として地方の村長や、町長などに就くことができ、貴族の高等教育をその知識や教養、文化などを地域へ還元し国の地力を上げることにひと役買っているのであった。


 もちろん国庫の何割かの額を納税するなどの国家的貢献があれば、その時点での地位は安泰となるのだが、そうやって爵位を継承しているのは多くはなかった。

 さらに領地を得ようと思えば並大抵の事ではない。

 もちろん長い歴史の中には、親の代で平民まで落ちながら、現在は伯爵まで上り詰めた貴族家なども存在する。

 それは、貴族としての特権が永遠ではないことを示す、アイジア王国独自の制度の象徴でもあった。


 このように、この国では、爵位の継承が許された貴族を門内貴族と呼び、代を重ねるごとに爵位が下がりゆく家を門外貴族と称した。


 だが、皆が皆おとなしく従ったわけではない。

 この制度が施行されて以降、爵位の降下を不服とした門外貴族による反乱が幾度となく起こった。歴史の闇に消えたとはいえ、彼らがすべて死んだわけではない。

 中には他国へ亡命したり、自身の領地ごと隣国へ寝返る者たちも存在した。

 その結果、現在の複雑な国境線が形成される一因ともなり、これらの歴史的背景から、時に門外貴族は『国の足かせ』と呼ばれることさえあった。


「門外貴族……というやつですね?」

「そうだ。我ら貴族と臣民をまとめるのがお前の務めだ。だが、門外貴族は――あえて言えば、この国の足かせだ。身内とはいえ時には切り捨てる覚悟が必要だぞ」


「肝に銘じておきます――ですが、アトラスの叔父様がそんなことされるとは……」


「では他に、玉座に届きそうなものはいないか?」


「……わかりません」


「そうか……なら、十分注意することだ。ともかく、そのシルヴァンとやらはこちらでも調べてみよう。あんまり目立つことをすれば雲隠れしてしまう。一先ずはいつも通りに過ごすといい」


「それなら、またここへ遊びに来てもよろしいですか?」

「……お前、いつも城を抜け出しているのか?」

「――えーっと」


 何かうまい言い訳を考えてみたが、無許可で抜け出してる時点で何を言っても怒られるのは目に見えている。

 公爵(カタリナ)とはそういう人物だというのが、リアの人物評価であった。

 だからこそ、いっそ取引を持ち掛けてみることにしたのだった。

 心の中で、彼女の腹心のルーには謝りながら。


「そうだ!小母様っ今度お城に来ませんか?」

「あ?城なんぞ、行きたくなったらいつでも行くが?」

「私の騎士団は皆元気でよくやってくれています!」


「……お前、昼間の事で私を愚弄するのか?だとするならば、たとえ王太女だとて、我が家門の誇りのためにただでは済まさんぞ」


 身から出た錆じゃないのか?と思いながらも流石に口にはしなかった。

「いえ、そうではありません!小母様!ルーの!ルーの弟がいるのです!」

「は?――あの者の弟がどうしたと?」

「そっくりなんです。顔も、仕草も。血筋は間違いありません」

「……続けろ」

「カイルというもので、歳は17、誠実で将来も有望です。ぜひ、小母様の騎士団と演習などされてはいかがでしょうか?」

「ふむ――小賢しくも知恵を付けたな。お前なりの策か」


 苦々しい思いを抱きつつも、あの幼女がここまで言うようになった成長に、胸の奥がじんわりと温かくなった。

 そして、王たる者がこれくらいのことを言い放つのは当然のことだと頼もしく感じ、思わず笑いがこみあげてきたのだった。


 こうして、約束は果たされた。

 二昼夜明けて翌々日、王城の訓練場にて実践演習は始まった。


 それが王城の歴史に、新しいページを加えることになろうとは、誰も思いもしなかったのである。

 

風邪ひいてしんどかった・・・

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