第三章 新生・同僚編 無明
微百合回です。
一日かかりましたぁ・・・頭の中に、いろんな辞典が欲しい><
では、お楽しみください。
よろしくお願いします。
柳華楼を出た二人は、空を見上げて、同じ仕草で眩しさに顔をしかめた。
視線を戻すと、黒く磨き上げられた馬車が待っていた。
目を合わせた二人は、肩をすくめて歩き出した。
「お待ちしておりました」
襟に2本の赤線の入ったヴァリャリエル家の従者が、深々と頭を下げて二人を歓迎した。
「お待たせいたしました。それではよろしくお願いします」
従者の一人が、リアのための踏み台を用意してくれた。
うれしいような、恥ずかしいような、複雑な顔をするリアであった。
馬車は静かに揺れながら、貴族街を進んでいく。
窓の外を流れる風景を楽しげに眺めていたリズに、ルーラがそっと声をかける。
「リズ、リズ……このあと、どうなさるおつもりですか?お相手はあのカタリナ様ですよ?」
――カタリナ・ド・ラ・ヴァリャリエル公爵夫人。
世間では“公爵夫人”と呼び慣わされているが、実際には彼女こそがヴァリャリエル家の当主――すなわち公爵その人である。
王家に次ぐ権威を誇り、建国の時代より続く、名門中の名門である。
さらには、現王妃であるリアの母上の親友。
本人曰く「リアのオムツを代えてあげた」とのこと。
王国の南方に点在する無数の島々――その中でも最大級の島を、彼女は領地として治めていた。
まるで王国をそのまま縮めたような領地で、たとえ孤立しても自立できるという。
言ってみれば「王国の中の国」であった。
そんな公爵と、この後会うことになるのだ。
しかも、正体に気が付いていないであろう状態で。
さらに、勘違いの仕方が最悪だ。
「私の事を男だと勘違いされて声をかけられたんですよ?それでお会いしてみたら――「ナンパした相手は殿下の筆頭侍女、ルミナでした」では……ごめんなさいでは済まないでしょう?」
そう。
ヴァリャリエル公爵が見初めた相手は同性であり、しかも、王女に仕える筆頭侍女――。
もはや身内といって差し支えのない立場の者だった。
どうやって公爵の面子を傷つけず、その場を収めるのかと、ルーラ――本名ルミナ・アストリア・ソレイユ。王女付き筆頭侍女にして近衛女官である彼女は、気が気でなかった。
「まさか……」
リアの顔を見て、その表情をこわばらせるルー。
「まさか……私を差し出すおつもりなのでは……?」
視線を合わせようとしないリア。
「殿下にお仕えしてはや10年。あの小さかった殿下がそのような……そのようなお考えを抱かれるとは……」
「最悪……最悪の場合は……ね?」
「……我が忠義は、永久に殿下のもの。殿下の御命令とあれば」
「ごめんね。帰ったら何でも聞いてあげるから」
「……でしたら、今のうちにひとつ、お願いの儀がございます」
「なに?何でも言って」
「この身を公爵に捧げよと御命令に逆らう気はございません。ですが、せめて……ファーストキスくらいは相手を選びたかった――この場には、殿下しかおられませんが」
そう言って、ルーは苦笑いを浮かべた。
「うん」
「……おかしなことを申し上げました。お許しください」
そう言って頭を下げたルーの肩に、リアの手がそっと触れる。
顔を上げた瞬間、ルーの視界が揺らいだ。
唇に触れた感触と、ほのかに漂う甘い香りを残して──
王女は静かに、背筋を伸ばしていた。
「殿下……?」
「ごめんね?せめて私の方がいいのかなって――だって、私しかいないから……」
「殿下、御身はこの国で最も尊きお方のひとりであらせられます。その貞操はいつか迎える伴侶となる方のために、その時のためにこそ守るべきものです。それを……」
「うん、ごめんね。泣かないで」
「私こそ、殿下にこのような真似をさせてしまい、申し訳ございません。この始末は我が命ひとつでどうか……」
「やめてよ。私がしたくてしたことなんだから。ルーには、ずっと私のそばで仕えてもらうんだから、そんなこと言わないで」
リアの小さな手が、ルーの手をぎゅっと握る。
その小さな手は、なぜかルーにはとても大きなものに感じられた。
馬車がとまり、外から声を掛けられた。
返事を待ってドアが開かれ、二人は公爵邸の門前へと降り立った。
振り返ると、眼下に王都が一望できた。
王都は北側にそびえる天蓋山脈の峻険な山々から、緩やかな丘陵地帯、わずかな平野部、そして広がる海へと続いている。
王城をはじめ、貴族の邸宅はこの天蓋山脈に背中を預けるようにして建ち、王都を見下ろせる構造となっていた。
そんな貴族街の中でもひときわ威容を放つのが、ここ、ヴァリャリエル家の王都邸であった。
屋敷に招かれた二人は、いまだ気付かれることなく謁見の時間を待っていた。
庭が見える一室でその時を待つ二人の下へ、ヴァリャリエル家のメイドが現れる。
「ようこそお越しくださいました。誠に恐縮ではございますが、我が主はお二人がお疲れではないかと、案じておりました。まずは温かな湯にて、疲れなど落とされてはいかがかと。替えの御衣のご用意もいたします」
「お気遣い、心より御礼申し上げます。ぜひともお言葉に甘え、湯浴みにて疲れを癒したく存じます。しかし、湯あみの作法に関しましては、他者に立ち入られることは控えておりますゆえ、私どものみでお支度させていただければ幸いにございます」
簡単に言えば、「風呂にはいりなさい、着替えも用意したから」「ありがとう。ございますでも二人きりでないとはいりません」という会話であった。
そのやり取りを見ていたリアには、頭が痛くなるような会話であった。
いずれ【今のリア】も慣れるときが来るだろう。
ルーの願い通り、浴室の準備をすべて終わらせたメイドたちは、そのまま退き、二人きりとなった。
「いつも通り、一緒に入るよね?」
「……はい」
王女と侍女が同じ湯に浸かる。本来ならば、決してあってはならないことだった。
しかし、アイジア王家は初代建国王の代から、常識を覆すような変わり者である。
主従の距離が異様に近いのは、もはや『伝統』とまで言えるほどだ。
その慣習があるからこそ、王城内であれば、侍女が王女の入浴に立ち会うことはもちろん、時として同じ湯に身を浸すことも不自然ではなかった。
それは王家の中だけの特別な許しであり、外の世界ではほとんどありえない、いや、すべきではないと誰もが弁えていたことである。
そしてここは、王城ではない。
ならば、今は『剣士』という身分で王女に付き従うルーラが、その世話という名目で湯に浸かるのは筋が通らない。
しかし、筆頭侍女たるルーラにとって、王女を一人で入浴させ、その身を洗わせ、湯から上がらせるなど、断じて許せることではなかった。
普段ならば、あらゆる状況において即決即断を下すルーラが、珍しく迷いの表情を浮かべている。
それはきっと、公爵邸へ向かう馬車の中での、あの出来事が脳裏に焼き付いているからだろう。
「さっ」
リアがその手を差し出す。
ルーはその手を取って浴室へと進む。
「これでは役割が、あべこべですね」と、照れ笑いを浮かべる。
「いいんじゃない?私とルーの間でいまさらでしょう?」
確かに言われてみればそうだった。
この王女は変わり者の王家のなかでも、さらに変わったお方だった。
目の前の人の幸せを祈らずにはいられない。
それどころか、積極的に幸せにしようと絡んでくる。
そんな性格だからこそ、イナンナは救われているのだ。
そんな性格だからこそ、我がソレイユ家も安泰というわけだ。
反面、見も知らない人の事は、にの次さんの次だ。
政を司る王家がそれではいけない。
王たる者こそ、顔も知らぬ民のためにこそ善政を尽くさねばならない。
目の前の少女は、いずれ婿を迎え、そして王位を継ぐ。
その王配がどのような人物であるかはまだ分からないが、どんな方であれ、私は王女を、オルラ・アウレリア・ルクスヴィカ殿下をお支えするのだと、王女の髪を洗いながら誓うルミナ・アストリア・ソレイユであった。
殿下の御命令であれば、この身も、命さえ、ささげよう。
そう、誓ったのであった。
風呂から上がり身支度を整えて、控えの間に待っていると、先ほどのメイドがやってきて公爵の元へ案内してくれた。
庭園に出ると、空にはすでに宵闇の気配が漂う時刻となっていた。
初夏とはいえ、陽光の名残を慮ってか、公爵の待つ東屋までの小径には、まるで天蓋のような大ぶりの日傘が連ねられていた。
庭園のそこかしこに、季節の花が咲き誇り、淡い香りが宵の風に運ばれていた。
歩みを進めると、金髪を高い位置で結い上げ、花飾りを挿した女性が目に入った。
控えめな化粧と耳飾り、白を基調としたドレスの胸元には、赤く大きな宝石の首飾りが輝いている。
健康的な肌がその装いに映え、見る者を圧倒するような気品と美しさをたたえていた。
「……美しい」
ルーラの口から、思わず感嘆の声が漏れる。
「本当に……」
リアもまた、小さくうなずいた。
あの美しい妙齢の女性が、リアの知るカタリナ小母様だとは信じられなかった。
もしや、偽物なのでは?と疑ってしまう始末だ。
東屋へ着いて、案内のメイドが客人の到着を告げた。
「閣下。ただいま、お客様をお連れいたしました」
リズとルーラの二人は一歩進み出ると、片膝をつき、右手を胸に当てて礼を取る。
「このたび、閣下の御尊顔を直に拝せる栄に浴し、恐悦至極にございます」
その所作は見事なもので、ただの市井の剣士とはとても思えぬ気品であった。
それを見た公爵は「ほぉ」と感嘆の声を上げる。
「面を上げられよ。見事な挨拶、痛み入る。当家では有能な人材を招聘しておってな。街で見かけたそなたならばと思ってな」
ふふふとご満悦の様子であった。
「お初にお目にかかります。私はリズ。ハポニアのリズでございます」
「付き従いますは、ルーラ。ただのルーラでございます」
公爵家で用意された着替えは、もちろんのこと、男性用のそれであったため、服装からは気が付かなかったし、声も低くしていた。
そのためここまでカタリナは気が付かなかった。
しかし、ふとした言葉に違和感を覚えた。
「少年よ、そなたハポニアの出身だといったな?あそこは王家直轄……の……」
リズの、いや、その顔に確かに王女リアの面影を認め、驚きのあまり立ち上がると、わなわなと震えだした。
目当ての剣士の、お付き程度に思っていた少年が、他ならぬ己が敬愛する王妃の娘であり、次期国王となる方、そしてかつて自らがオムツを代えてやった幼子リアであったと、その時になってようやく気づいたのだ。
「なんということだ……みなの者下がれ」
すると、公爵、リア、ルーを置いてほかのものは皆が退いた。
「く……何のまねだリアよ」
羞恥と、まずいところを見られたという思い、そして必死に威厳を保とうとする思いが相まって、複雑な表情となっていた。
「ご機嫌麗しゅう、カタリナ小母様」
そんな公爵にかける言葉も思いつかないまま、出た言葉は習慣化された挨拶だった。
「麗しいものか。……すると、そちは……ああ、確か、リアの近衛であったな」
頭を押さえて、チラリとルーをみてそう尋ねた。
「はっ。御尊顔を拝し奉り恐悦至極にございます」
お辞儀で返事を返すルーラ。
「まぁ……そのまま立たせておくわけにもいかぬな……二人とも座るがよい」
ルーがそっと引いた椅子へ、リアは流れるような動作で着席した。
その横に待機しようとするルーに公爵は再び、座るように促した。
「……はっ。失礼します」
「しかし、リアよやってくれたな」
「小母さま。ここへ連れてきたのは小母さまですよ?」
「……そうであったな。許せ」
ルーの顔をチラリとみたカタリナは、大きくため息をつき――「お前かぁ……お前かぁ」と肩を落とした。
「して、お前たちはあそこで何をやっておったのだ?そのような格好までして」
公爵は、その親密性から王太女のリアを『お前』呼ばわりするのであった。
「それが……いろいろとありまして……」
リアは言いよどむ。
それもそうだ、なにしろ、一国の王女が暗殺されかけたのだ。
正確にはその暗殺は成功し、その肉体に転生者が入っているのだ。
公爵の目の前にいるのは、彼女の知るリア本人ではない。
だが、魂の融合を果たしたからには、別人ということもない。
「もしや、そなたの暗殺未遂に関することか?」
主従揃って用意されたお茶に口を付けたろところだった。
あまりの衝撃に含んだお茶を噴き出してしまう二人。
「ばかもの!何をやっておるか!」
布巾であたりを当たり前のように拭き始める公爵。
「も!申し訳ございません!私が!閣下にそのような!」あわてて公爵に代わって拭き取ろうとするルーラであったが――「なに、構わぬ。昔はおむつ替えの時にひっかけられたものだ。この程度の事何ということもない」とリア王女の顔を見ながら笑うカタリナであった。
「小母さま、どこでそれを!?」
「お姉様からの手紙に書いてあったぞ」
そう、リアの母――つまり現王妃は国家機密として扱うべきことがらを、公爵へ漏らしていたのだ。今までも、このようなことは度々あったのだが、二人の関係性からして、急を要することではない。と、見過ごされてきたのだった。
「手紙には、そうとは書いていなかったがな。ただ、そこから推察するには十分だった」
「母上も小母さまも、もう少し……なんというか、緊張感をお持ちいただきたく思います」
やれやれと、肩をすくめて苦笑いをこぼした。
「……ところで、一時的に心臓が止まっていた書いてあったな。――よく、戻った。嬉しく思うぞ」
「ありがとうございます。まだ、未練もありましたゆえ、舞い戻ってまいりました」
「……そうか」
カタリナの目には、うっすらと涙が浮かんでいた。
空は茜色を過ぎ、黄昏時が近づいていた。
短かった影が、長くなり、海からの風が吹き始めていた。
潮の香りが、微かに鼻先をかすめる。
「今宵は泊っていくがよい。お姉様にはそのようにお許しを得ているからな」
小母さまというものは、どこの世界でも愛に溢れ、そして強引だった。
いかがでしたでしょうか?
微百合です。
楽しんでいただけたなら幸いです。
では、次回にまたお会いしましょう。




