第三章 新生・同僚編 光の中の影
設定資料を作りながら書いてたら時間かかりました。
ごめんなさい。
え?まってないから謝らなくていい?
・・・泣いてもええんやぞ?
太陽が中天へ差し掛かる頃。
初夏の日差しが、通りの明暗を際立たせていた。
石造りの重厚な街区。
そこでは分厚い帳簿が広げられ、契約の羽ペンが忙しなく走り、金貨の心地よい音色が絶え間なく響いている。
貴族や大商人、ギルドマスターといった王都の経済を支える大物たちが、莫大な富と権力を動かす商取引の舞台――まぎれもない、経済の心臓部である。
だが、日が傾き、街に夜の帳が下りる頃には、別の顔を見せることになる。
――まるで、それこそが本性だと言わんばかりに。
重厚な扉の奥では、グラスの触れ合う音と、囁くような音楽に紛れて密談が静かに交わされる。
甘い香の煙は、怪しげな陰謀の輪郭をぼかし、妖艶な女たちがその場に艶やかな彩りを添えていた。
選ばれし者たちの社交は、酒と女の享楽に染まり、その裏で、腐敗と陰謀の糸が密やかに編まれていくのだ。
――ここは、限られた者にしか知りえぬ、夜の王都のもうひとつの顔だった。
そして今、それを知る者が、昼のうちから足を運んでいた。
王女とその侍女という身分を隠し、さらに名前を『リズ』と『ルーラ』という偽名を名乗っていた。
リアは少年のような服装に身を包み、長い髪はひとまとめにし、帽子を目深に被っている。
誰が見ても間違いなく、少年そのものであった。
ルーもまた男装をし、双剣を腰に差し、羽飾りの付いた帽子を被っていた。
美形の剣士――それが、ルーの仮の姿である。
城下にいる間、ふたりは田舎の名主の息子とその護衛という『もっともらしい』関係を装っていた。
過去に何度もこの格好と設定で街へ出ているため、行きつけの店ではその役柄もすっかり浸透していた。
ときに、ルーの美貌に心を奪われた町娘やご婦人、はては貴族の令嬢までも夢中になることがあり――それはそれで、トラブルの種となることもあったのだが……。
「ルーラ?彼らは、君の知り合いかい?」
変装中だからこその、王女らしからぬ軽口だった。
「リズ?ボクにこんな不躾な真似をする連中と、面識があると本気で思っているのかい?……もし、そう思っているなら、ちょっとショックだよ?」
「……もしそうなら、オレもショックだよ」
二人は目的地へ到着し、裏口へ回ろうと路地へ入った瞬間だった。
どうやら、少し前にすれ違った、貴族の御婦人にでも目を付けられてしまったらしい。
つまり、手下を使った『ナンパ』というわけだ。
4人の制服姿の男たちは、無言のまま手際よく配置についた。
1人が後方で周囲を警戒しており、2人がリズとルーラの挟み込むように左右に立った。
そして、ひときわ威厳の備わった男が、代表してルーラに声をかけた。
その統率の取れた動きに、特に打ち合わせなどの様子もなかったことから、かなり手慣れていることがうかがえた。
彼らは皆、同じ装束に身を包んでいた。
それは、初夏の日差しの下でも涼やかな、しかし品格を損なわない薄手の仕立てである。
手触りのよさそうな深い藍色の上着は、夜空を切り取ったかのような色合いを見せていた。
襟元と袖口には銀の刺繍が控えめながらも精微に施されており、彼らが仕える『ド・ラ・ヴァリャリエル公爵家』の紋章が誇らしげに左胸に輝いていた。
「失礼いたします」
軽く会釈をし、ゆっくりと進み出た男の襟には、鮮やかな赤色の2本線が映えていた。
おそらくこの男がリーダーなのだろう。
男は背筋をピンと伸ばしたまま、揺るぎない視線でルーラを見据えていた。
男がその左手を胸の前へゆっくりと上げた瞬間、彼の指には光る銀の指輪が見えた。
王女と、そのお付きの近衛女官――つまりリアとルーには、見覚えがある代物だった。
「私どもはヴァリャリエル公爵家に使える者。公爵夫人が貴殿の稀有な美しさにお心を奪われ、ぜひともお茶の席で歓談したいと仰せつかりましてございます」
「ヴァリャリエル!?」リアは内心の驚きを隠せなかった。
その驚きの声は、公爵の使いを名乗る男の耳に届いてしまっていた。
「少年。今のは不敬にあたりますよ」
男は静かに、だが鋭くそう告げた。
「本来ならば、この場で処罰するところですが……」
そこまで言って、男はリズからルーラへと視線を移した。
言外に『処罰されるか、着いて来るか?』と問うているのだった。
この不敬を働いてしまった少年の正体は、王女であり、次期国王の『オルラ・アウレリア・ルクスヴィカ・コローインフィーリンネ』である。
この国において、彼女がどのように振舞おうと、それを『不敬』といえるのは父王くらいのものであった。
しかし、公爵家の使者は少年の正体に気づくはずもなく、美形の剣士の従者くらいに見ていた。
「……リズ?」
美形の剣士は、少年と視線を合わせながら、言外に『今のはまずかったですね』と肩をすくめてみせた。
「ごめん」
それを理解したリズことリアは『何とかして』と片手をあげて謝ってみせた。
しかし状況はといえば、芳しくなかった。
彼女たちは変装し、身分を隠しこの場にいたのだ。
それ故に、名乗ってこの場を回避するわけにもいかず、何とかやり過ごす術を探るしかなかった。
本来であれば、田舎の名主の息子というリズが雇い主であり、ルーラはその護衛という設定だ。
ならば応対するのはリズの役目のはずだった。
しかし、リズ――いや、リアはこの男の主である『カタリナ小母様』――正式には『カタリナ・ド・ラ・ヴァリャリエル公爵夫人』が苦手だった。
“できれば関わりあいたくない人”――その筆頭といっていい。
理由は明快だ。ヴァリャリエル家は王家に次ぐ権威を誇る名門中の名門。その現当主にして、母上の親友、幼いころから何かと目をかけられてきた相手であり、つい先日も「次はいつ遊びに来るの?」や「〇〇伯爵家の嫡子とはお見合いしてみてもいいんじゃない?」など、ぐいぐいと迫ってくるような人物である。
だが――今の彼女は、いつものあの快活な小母様ではなかった。
従者を通してルーラを見初めたというのは、単なるお節介でも、社交でもない。
それはきっと、“ひとりの女”としての顔なのだ。
そう気づいてしまった以上、気まずくないはずがなかった。
無論、そんな主の苦手とする人物を、彼女の近衛女官兼、筆頭侍女のルーが知らないはずもない。
そっと袖をつまみ、ルーラの後ろに隠れたリズをかばうように、一歩前へ出て、それでいて堂々と、返答した。
「大変光栄なことながら、火急の用事にておめもじ叶いませぬことを、お詫び申し上げたい」
ルーラは礼を崩さず、かつ丁寧に断ってみせた。
市井の剣士では、こうは振る舞えなかっただろう。
それは美しく、嫌みなく、従者たちも思わず、感嘆の声を漏らすほど見事な礼だった。
しかし、公爵家の従者も子供の使いではない。
下命された事を全うするために、知恵を働かせる。
「ならば、その用事に我らヴァリャリエル公爵家がお力添えを致しましょう。さすればその用事も速やかに終わる事でしょう」
「いえ、ヴァリャリエル公爵家の方々にそのようなことをしていただくわけには、まいりません。どうかお構いなく」
「……さようでございますか。カタリナ・ド・ラ・ヴァリャリエル公爵閣下は、誠に寛大かつ誇り高いお方でございます。されど不敬の儀をなされたことを、お咎めなしとされるとは、私には到底考え難く存じます。貴殿がこの度、お断りされたならば、その次第をご報告いたしますのが私の務め。さすれば、その少年の不敬の事柄も必ずや閣下のお耳に入る事でござりましょう。――しかしながら、貴殿が閣下のお誘いに応じられ、その場にて少年の件を謝罪をされたならば、きっとご寛恕いただけるものと存じ上げます」
ここまで言われてしまっては、もはや仕方がない。
身分さえ明かせば、たやすくこの場を収めることも出来ただろうが、それは叶わないことだった。
「では、私どもの用事はすぐそこの――柳華楼です。裏から入りますので、このままここでお待ちいただければ」と、そう言い添えて、ルーラは黒く重厚なドアを一瞥した。
二人はその扉へと向かうと符丁通りに扉を叩く。
すると小さなのぞき窓が開き、野太い声で誰何される。
それに応じると、扉は軋みを上げて開かれ、二人はそのまま中へと姿を消した。
それから30分も経たぬうち、彼女達は再び姿を現した。
そこには、すでに先ほどの従者たちと、一台の馬車が待ち構えていた。
それは、黒曜石のように磨き上げられた漆黒の車体に、銀の縁取りが精緻に施された、威厳ある二頭立ての馬車である。
側面には、銀で象られた三日月と天秤、そして剣と交差する二本の杖。
まさしく、ド・ラ・ヴァリャリエル公爵家の紋章にほかならなかった。
リズとルーラは顔を見合わせ、しばし無言のまま視線を交わすと、観念したように、静かにその馬車へと乗り込んだ。
馬車は二人を乗せて滑るように走り出す。
傾き始めた陽の光が石畳の街を白く染め上げる。
世界は光に満ちている。
しかし、王女を狙う影は今もどこかで蠢いているに違いなかった。
目的地にすらまともに付けない、王女様。かわいいねぇ;;