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プロローグ 未明の儀 ※特別編

特別編です。


次回からはしっかりラノベ。

月が昇り、夜の帳が下りる。

 季節は初夏。


 日が沈むとまだ肌寒い。


 屈強な男衛士たちに守られた、重厚な扉が、ゆっくりと開かれていく。

 その先に広がっていたのは、荘厳なる巨大な空間だった。


 内部は、薄着が気にならぬほどの、温もりに満ちている。

 床や、柱に込められた古の魔法のおかげで、淡く、柔らかな光を灯していた。

 そして、どこからともなく――懐かしき調べが、静かに流れてくる。

 それが、いつ、どこで聴いたものなのかは思い出せなかった。

 ただ、胸の奥を静かに揺らす旋律であることだけは、確かだった。


 幾本もの柱に支えられた天井には、神話のごとき物語が、天井に浮かぶ星のように広がっていた。

 そこに描かれていたのは、時を超え、名を連ねた幾柱もの女神たち。

 その中には――どこかで見たような、懐かしい面影が、ほのかに混じっていた。


 この広間の中央には深紅の絨毯がしかれ、今、一人の女王が、無数の煌びやかな女衛士に見守られながらゆっくりと玉座へと向かう。

 その先は、権威と威厳の象徴たる、玉座。

 そしてその玉座には、すでに一人の女性が腰を下ろし、足を組み、来たる女王を見下ろしていた。


 そう、この玉座は女王のものではない。

 女王は、玉座の人物に敗れたのだ。

 身も心も。

 ――いや、敗北ではない。

 ただ、女帝の武勇に。笑顔に。なによりその心に。魅せられたのだ。


 玉座の下で女王は跪き、首を垂れる。


 近習が女王に名乗りを上げるように促そうと口を開くが、玉座の人物はそれを軽く手を挙げて制した。


「久しいな」

 まるで天上の調べのようなその声は、あたかも耳元でささやかれたかのように女王の下へ届いた。


 女王の脳裡にはかつての戦場の熱と、風が、思い出されていた。

「はい……クラヤルルクでの陣中以来でございます」



 彼女の声色は敗者のそれではなく、まるで……


「どうだ、余は約定を守ったぞ?」


 まるで……

 「(われ)、かの約定を果たさんがため今宵この刻を、月影を数えて待ちわびておりました。拝顔の栄を賜り、欣悦至極(きんえつしごく)にございます」

 愛しい人への愛の囁きのようであった。

 

 その言葉に玉座の主は眉をひそめた。


「そなた、約定を違えたな」


 瞳に浮かぶ喜色とは裏腹に、感情を抑えたその声は、静かな波紋のように辺りへと広がっていった。

 

 しかし『約定を違えた』と告げられた瞬間、女王の胸はざわめいた。

 ――そんなつもりなど、決してなかったのだ。

 

 むしろ羞恥に耐え、楽しみにしていたとすら述べたのだ。

 ではいったい何のことだろうかと、考えずにはいられなかった。

 女王と玉座の人物とでは、越えがたい地位の差があった。

 だからこそ身に覚えのない事に焦りを覚えたのだ。



 玉座に座すのは、今や数多の周辺諸国を従えし女帝――その武威、天地あまねく響き渡り、その美、大陸屈指と謳われる。

 民草、この女帝をして「焔武帝」と号す。


 だが女王の胸に刻まれているのは、まだ彼女が、世に名も知られていなかった頃の面影だった。

 敵対勢力に怯え、玉座を失う瀬戸際にあったあの日、救いを求めた先はこの女帝だった。

 帝国と女王の国、それ以上に――あの時確かに交わした、二人だけの秘密の「約定」があった。

 今日に至るまで両国の関係が良好だったのは、条約や軍事でもなく、政を越えた、極めて個人的な理由によるものだった。



 女帝が静かに立ち上がる。

 其の瞬間、女王は初めてその衣装に気が付いた。

 あまりにも堂々と、あまりにも自然にそれを纏っていたため、気づかなかったのだ。

 それは女帝の肢体を隠しきれていない絹と、金糸で作られた薄衣だった。

 金銀宝石を鏤めた装飾を身にまといながら布は羅であり、仄かに透けて見えていた。

 豊かな胸部も、引き締まった腰も、小ぶりな臀部も。

 金の刺繍の向こうに、柔らかな影として滲んでいた。

 しかも、全裸にそれを羽織っただけであったから胸元から臍からその下まではそもそも隠れていないのであった。


「人払いを」


 凛とした声が巨大な空間に響く。


 女帝のその一言で数えきれないほどいた衛士が、波が引くかの如く消えていき、近習たちは影に溶けるようにしてその姿を消した。


 階段を下りていく様は、天女が地上へ降り立つかのようで、女王の視線をくぎ付けにした。

 一歩、そしてまた一歩、女王へ近づいて行くたびに装飾品のどれだろうか、まるで鈴のように涼やかな音を響かせていた。


 跪く女王の前に立つ女帝は堂々とし、まさに大帝国を治める皇帝にふさわしく、威厳に満ちていた。


「約定を違えたな」

 もう一度、静かにそういった。


「滅相もございません!予はあの時の約定を片時も忘れたことなく、今こうして陛下の御前に参上いたしました次第!」

 声に震えがある。

 それは権力者の機嫌を損ねたという可能性にではなく、目の前の女帝個人に対して約束を破ってしまったという可能性によるものだった。


「どうやら、そなたは約定を覚えておらぬ様子……余は残念じゃ」


 振り返り玉座へ戻ろうとする女帝へすがる思いで、とっさにその裾を掴んだ。

「お、お待ちくださいませ、陛下……!予、かの約定を忘れたことなど決してございませぬ。されど、もし陛下が“忘れた”と仰せになるのならば……どうか、今一度その御言葉を、予にお聞かせ願えませぬか……」


 女帝は足を止め、縋る女王を見下ろしている。

 

 二人の視線が絡み合う。


 女王にとってはあまりにも長く、永い沈黙であった。

 女帝は、その焦りの色濃い顔をひとしきり眺め、心のうちで密かな愉悦に浸ると――

 ようやく言葉を紡いだ。


「約定のみならず、我が名すら……覚えておらぬとは」

 女帝は縋る手を振りほどき、玉座へと歩みを進めた。

 その声色は、深い悲しみを滲ませながらも、どこか愉しんでいるような余裕があった。


 その背中に伸ばした手は、しかし、女帝と女王という身分の壁に阻まれ、触れることは叶わなかった。

 女王の動揺は、その後ろ姿が遠ざかるほどに膨れ上がり、胸を締め付けた。

 

 女王は、あの夜の記憶を必死に辿っていた。

 約定を交わした瞬間の風の感触、かすかな匂い、そして――あの瞳の輝き。

 すべてが今も鮮やかに蘇る。


 あの時の……彼女の言葉は――


 次の瞬間、女王は動揺の軛から解き放たれ、あの刻の自身へと、回帰したのだ。


 女王はようやく悟った。

 この場に求められているのは、女王ではなかったのだ。

 求められているのは――。

 女帝の――いや、かつての戦友ともの――いずれ主にと願うその名を、そっと口にした。


 その声は――その言葉は、まさしく女帝の望んでいたものだった。

 

 玉座への足を静かに止め、喜色に緩みかけた口元をそっと指先で隠す。

 あわてて威厳の仮面を張り付けると、余裕のある所作で振り返った。


 女帝の目には映るのは、先ほどまでの女王ではなく、それはかつて共に戦場をかけた、あの頃の女王だった。

 

「今一度……申して見よ」

 その声色には、押し隠した喜びと、かすかな不安がそっと潜んでいた。

 それは、ただ一人、女王にだけ届くものであり、余人には決して知り得ぬ感情だった。


 女王の言葉は静かに、だが確かに女帝の耳に届いた。


 女帝の瞳に喜色が蘇る。

 女王への距離を大股で詰めると、その直前で立ち止まり、女王を驚かせた。

「忘れておったな?」

 確信めいた問いは、威厳を保ちつつも隠しきれない喜びが見てとれた。

 

 先ほどまでの女王であればこの問いに対して、心を乱し、胸を締め付けられて、言い訳の1つもしていただろう。


「はい、忘れておりました」


 誇りと覚悟が滲むその言葉で、晴れやかにそう答えた女王に、口角が上がるのを抑えられない女帝であった。


 女帝は衣のことなど意に介さず、跪く女王へ屈みこみ、愛おしげにその頬を撫でる。

 それは言葉よりも雄弁な――愛撫、そのものだった。


 頬を、髪を、顎を、そして唇を。

 その眼差しは愛に溢れていた。


 しかし、その表情は一瞬――

 官能の色と、小悪魔的の微笑が宿っていた。


「ならば……罰をあたえるとしよう」

 仁王立ちの女帝がそう告げると、女王はその眼差しを正面から受け止め、微笑み浮かべながら無言のまま、それを受け入れた。


「舌を出せ」


 女王は意味のわからぬまま、その命に従った。


 その姿を上がる口角を抑えつつ、じっと見つめている。


 暫しのち、女王の舌は乾き、痛みを覚えた。

 女王はそれでも、じっと耐え続けた。


「乾くだろう」

 女帝はそう言うと、白く美しい手を差し出した。


 女王は一瞬戸惑うが、女帝の目を見て意図を理解した。


 その甘く香る様な指を舌に乗せ、口に含んだ。


「許す」


 しかしそれは、約定を違えたことへの罰でも、名を呼ばなかったことへの赦しでもない。

 別の”何か“だった。


 許しを得た女王は、ゆっくりとその指を舐る。

 身を焦がす様な羞恥に、耐えながらも。


 すると今度は涎が湧きあがる。

 溢れた涎は唇――顎先へと伝い、絨毯のシミを残した。


 舌を出したまま、指を舐り、上目遣いで女帝を見上げる。

 そこには、悦びと、羞らいと、そして女王への愛が交錯して、女王の紅に染まった顔があった。


 二人の間には言葉は無く――。

 されど、想いは通じあっていた。


「忠誠を――しめせ」


 女帝は脚衣をはだけ、もとより裸同然であったその姿を曝け出した。

 戦場の記憶が刻まれた――それでも尚、なお麗しい脚を、ゆるりと女王の肩へ預けた。


「この身が何度朽ちようとも、我が忠誠は陛下のもの。喜んで」


 月影は移ろい、蕾は露に濡れ綻んで、鈴の音は、ついには朝の光に溶けて消えた。


 昇る朝日は、世界を黄金色に染めゆく。


――ただ、強く冷たい風が、大地を吹き抜けていた。



 

初投稿2回目のあとがきです。

プロローグは特別な感じで書きました。


次回からはちゃんとラノベです。


無事投稿できればですが。。。

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