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女伯爵の憂鬱  作者: 橘 月呼
第一章~王子の策略と舞踏会の夜
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<簡易人物紹介>

カッコ内は会話内で使用されている愛称です。

アルレイシア(シア):ファーブラー公爵令嬢。ヒロイン。

アストラス(アスト):ラウダに存在を圧されてますが一応ヒーロー。宰相補佐官、ラウダの部下。

ラウダトゥール(ラウダ):ジール王国王太子。シアの乳兄弟。出張ってますが脇役。

ユースティティア(ティティ):シアの上の妹。

 アルレイシアが顔を上げると、それを待ちかまえていたようにラウダトゥールが鷹揚に頷いてアストラスに顔を向けた。瑠璃色の瞳が、自分より目線一つ分ほど背の高いアストラスの様子を、何かを探るように見つめていた。

「アストラス。今宵は君が彼女のパートナー、婚約者候補だ。何か異論は?」

「ございません、殿下。大役、謹んでお受けいたします」

 胸元に利き手を引いて腰を折る、恭順を表す礼に、アルレイシアは再び首を傾げた。

 彼がラウダトゥールに執った礼は、もちろん貴族でもする者はいるが、主に騎士が主君に対して執るものだ。叛意を持たないことを示すための礼。やはり、宰相補佐官などよりも、騎士と言われたほうがしっくりくる。

 そんなことに気を取られていたため、すっかり目の前の二人のやり取りを聞き流してしまっていた。

 だから、まるで当然のように差し伸べられた手の意味を、咄嗟に理解することが出来なかった。

「御手をお許しいただけますか」

 淡々と低い声が告げた言葉で、ようやくその手の意図を理解し。そして、ぼんやりと自分の思考に捉われてしまっていた迂闊さに唇を噛んだ。アストラスとの会話で失念してしまっていたが、彼女はラウダトゥールに抗議をしようとしていたはずなのだ。

 差し出された手から視線を上げ、睨みつけるように厳しい視線を、感情の読めない微笑を浮かべた王太子に向けた。ラウダトゥールは全く動じることなく、悠然とその視線を受け止める。

「ラウダ、私は妹の恋人をパートナーにするつもりも、婚約者にするつもりもないわ。恥をかかないように気を遣ってくれるのはありがたいけれど、余計なことよ――――アストラス殿も、お気遣いありがとうございます。ですが、結構ですわ」

「そういうわけにはいかないよ、シア」

 決して激昂している訳ではなく、淡々とした口調ながらも、その言葉からははっきりと彼女の怒りが伝わってくる。それにもかかわらず、ラウダトゥールはそんな彼女を嗜めるように、けれど決して逆らわせない強さで言い切った。

「君には悪いと思うけれど、君の名誉よりも僕の体面の方が重要なんだ。いくら公にはしていなくとも、多くの人が今夜僕が推薦することで君の婚約者候補が決まることを知っている。僕が主催したこの舞踏会で、ね。それをすっぽかされると言うのは、むしろ僕に対する侮辱だよ。申し訳ないが、言うとおりにしてもらう」

「ラウダ……でも」

「君は僕に言ったよね? 僕が選んだ相手ならば誰でもいい、と。今さら否やは聞かないよ。さあ、彼の手を取って」

 アルレイシアは困惑に情けなく眉を下げて、手を差し出したまま大人しく待っているアストラスを見上げた。そして、傍らで立ち尽くす妹を見やる。ユースティティアは今やその美しい顔を蒼白にし、きつく拳を握り締めながら気丈に胸を張っていた。アルレイシアの視線に気づくと、一瞬だけその瞳に痛みが過ぎる。けれどすぐにその顔から表情を消し、アルレイシアに頷きかけた。

「殿下の仰ることも最もですわ、お姉様。これ以上、ここで揉めていては折角の殿下のお気遣いも無駄になってしまいます。わたくしのことはお気になさらないで。大丈夫ですから」

「ティティ……」

 彼女にまでそう言われてしまっては、最早手を取らない訳にはいかなくなってしまった。

 未だ激しく戸惑いながら、じっと彼女を見下ろして待ち続けている背の高い青年を見上げた。ぎこちない動きでゆっくりと、美しい黒いレースの手袋に覆われた手を持ち上げる。長い指を持つ手に触れる一瞬前、躊躇うように留まったアルレイシアの手を、逡巡を許さぬように大きな手が掴み取った。ビクリと彼女の肩が震えたのも気づかぬように、取ったその手を押し頂くと、手の甲にゆっくりとくちづけた。

「光栄です」

 慣れない事に、アルレイシアはその青紫の瞳を揺らして、アストラスの唇が触れた手に目を落とした。彼女の手はしっかりとアストラスの手に包まれていて、その硬い手の感触に、彼女は再び、さっきまで考えていた目の前の青年の違和感を思い出した。

 だが、そんな思考を遮るように、アストラスはもう片方の腕を彼女の腰へと回すと、ごく自然な動作で向き合って立っていたアルレイシアの体を、自らの傍らに引き寄せた。

 そんな二人の一連のやり取りを眺めて、ラウダトゥールは満足げに頷いた。そして、その手袋をはめた手を、無表情に立ち尽くしているユースティティアに差し伸べる。突然差し出された手に、彼女は理解が出来ないとばかりに僅かに柳眉を寄せた。

「幾ら仕方がなかったとは言え、姉にパートナーを取られました、では居づらいだろう? 僭越ながら、僕が代わりを務めようか」

「………」

 花びらのように可憐な唇を噛み締めて、ユースティティアは差し伸べられた手のひらを考え込むようにじっと見つめたが、すぐにぷいと顔を逸らした。そして剣呑な眼差しで、優雅に微笑む美貌を睨み上げた。しっかりと顎を上げ、胸を張る。手折られることを許さぬ凛としたその姿は、変わることなく気高く美しかった。

「結構ですわ。わたくし、本日は失礼させていただきます」

「ティティ」

 望んだことでないとはいえ、妹を傷つけ苦しめたことに、アルレイシアの顔が悲しげに歪んだ。そんな姉に、ユースティティアはまだ少しぎこちないながらも微笑を向ける。

「そのような顔をなさるものではないわ、お姉様。先ほどから気になっていたのですけれど、化粧が崩れますわよ――――ここはある意味戦場です。敵につけ入る隙など与えるべきではありません。何を言われても、微笑んでいらっしゃいませ」

 そう言って、まるで手本のように、大輪の花のような美しい笑みを浮かべてみせた。そしてその笑顔のまま、アルレイシアの傍らに立つアストラスを見つめた。

「アスト、今日はこのようなことになってしまったけれど……また、お話をさせていただけるかしら?」

「……ええ、機会があれば」

 二人のやり取りに違和感を感じて、アルレイシアは思わず目を瞬いた。アストラスの返答に満足げに頷いて、背筋を伸ばしたまま颯爽と去って行く妹の後姿を見送る。その滑らかな白い肌を持つ背が広間から消えると、生じた違和感の正体を確かめようと、彼女の手を取って寄り添い立つ青年を見上げた。けれど、なんと言葉を掛ければいいのか咄嗟には思いつかず、その青紫の瞳が自然と真意の分からぬ微笑を湛えた美貌に流れた。

 王太子の美しい瑠璃の瞳を見た瞬間。

 アルレイシアはようやく、最初に垣間見たラウダトゥールの瞳に浮かんだ、その真意を察した。

殿下(・・)

 眩暈を覚えるほどの怒りに、彼女のものとは思えない地を這うような低い声が、そのきちんと紅を刷いた唇から零れた。そんなアルレイシアの様子から、彼はアルレイシアが察したことに気づいたのだろう。しかし、それに戸惑うこともなく、美貌の王太子はにこりと輝くばかりの笑顔を向けた。

「相変らず察しがいいね、シア。けれど、あまり余計な口を挟んで欲しくはないな」

「そういう問題ではないでしょう!?」

「いいや、そういう問題だよ。君は大人しく、自分の婚約問題だけ考えていてくれ。大丈夫、君たちに悪いようにはしないから。僕には僕の、考えがある」

「それは……そうかもしれないけれど」

 きっぱりと確信と共に言われれば、アルレイシアはそれ以上言うことが出来なくなる。

 普段はラウダトゥールに言いたい放題に見えるアルレイシアだが、彼女はきちんと自分の分をわきまえていた。口を出して良いことか否かを、常に見極めて話しているのだ。だからこそ、王太子(・・・)の顔をしたラウダトゥールには、逆らわないことにしていた。

(それでも、ティティを傷つけたことは事実だわ)

 彼に何がしかの考えがあってそうしたことに理解を示すことは出来ても、アルレイシアは彼の意図が決してそれだけでは無いことを知って(・・)いた。だからこそ、言わなければならないこともあった。

「ラウダ、私をどういう風に利用しようと、それは別に構わないわ。あなたの言うとおり、私はあなたを信じているから。けれど、このことに関しては、後でしっかりとお話を聞かせて頂くわ」

「本当に、君には何も誤魔化せないな。察しが良くて嫌になるよ――――分かった。その件に関しては、後ほどきちんと君にも説明しよう」

 端整な美貌に苦笑を浮かべながらも、しっかりとラウダトゥールは頷いた。彼もまた、アルレイシアの真意を察していた。そして、彼女がこういう目をするときは決して引かないことも、身をもって知っていたのだ。

 昔からアルレイシアを巻き込んで何かことを起こすことがあっても、彼女は常に彼のすることを許容してきた。もちろん度が過ぎれば苦情を言うし、頭が切れ、真面目で気が強い性格から、怒ればむしろ両親や周囲の教育係などより遥かに怖ろしく、世継ぎの王子への敬意もあるのかないのか口うるさく説教もされる。けれど、結局のところ、アルレイシアがラウダトゥールを本気で見限ることは、決してないことを彼は知っていた。

 生まれたときから誰よりもラウダトゥールの近くで育ってきたアルレイシアは、以心伝心と言っても過言ではないほど、彼を見抜いてしまう。ラウダトゥールは何度、アルレイシアが男だったならば良かったと思ったかしれない。そうであるならば、誰よりも心強い自らの片腕になってくれたはずだった。 最も、アルレイシアが女性であるからといって、彼にとっての彼女の価値が下がることなど、ありえないことではあったけれど。

 浮かべた苦笑を社交用の笑顔に切り替えて、ラウダトゥールはただ静かに傍らで二人を見ていたアストラスへと視線を移した。

「アスト、彼女はファーブラー家の姫である以前に、僕にとっては大切な乳兄弟なんだ。丁重に扱ってくれたまえ」

「心得ました」

 返答に、満足げに頷いて。ラウダトゥールは二人に背を向けると、悠然と広間の中央へ歩き出した。その背が人波の向こうに紛れると、アルレイシアは改めて傍らの青年を見上げた。アストラスは変わらない淡々とした無表情で、ラウダトゥールの背を見送っていたが、アルレイシアの視線に気づいたのか、その切れ長の翡翠の瞳が彼女を見た。

「ごめんなさい」

 目が合った瞬間、思わず零れた謝罪の言葉にアストラスは目を瞬いた。その鋭い眼差しを持つ翡翠の瞳に微かに困惑の彩をのせ、丁寧な仕種で握ったままの彼女の手を引いた。

「なぜ謝られるのですか」

 低い艶のある声はそこに込められた感情を窺わせない。表情の変わらない端整な面差しとその声音に、アルレイシアはこの青年は果たして感情を露わにすることがあるのだろうか、と素朴な疑問を抱いた。

 だが、彼女たちはそんな不躾な疑問をぶつけ合うような間柄でもなく。浮かんだ疑問を口にすることなく、背の高い青年の感情の薄い顔を見上げたまま別のことを言葉にする。

「なぜって、あなたはティティ――――ユースティティアのパートナー……恋人でいらしたのでしょう? このようなことに巻き込んでしまって……」

「違います」

 言葉半ばで唐突に言い切られたことが何を指すのか、一瞬理解できなかった。思わず目を瞬いてその静かな無表情を眺め――――ようやく、その否定がユースティティアとの関係へのものだと理解した。

「え……だって……」

「確かにユースティティア姫とは色々とお話をさせていただいておりますが、それはあくまで私の立場であるが故のお話です。ユースティティア姫はとても聡明で、時機を見ることにも長けておられるように見受けられます。正直、彼女と初めて話をしたときには、失礼ながら女性にしておくには惜しいと思ったほどです。ですが、あくまでそれだけで、貴女が思っておられるような間柄だったわけではございません」

 淡々と必要最低限のことしか話さなかったため、てっきり無口な男性なのかと思っていたが、告げられる言葉は弁解めいてもおらずにとても滑らかだった。決して饒舌なわけではないだろうが、必要なことに言葉を惜しむ性質ではないのがその様子から伝わってきた。

(当然ね、そうでなければきっと宰相補佐など出来ないわ)

 あまり社交的ではないアルレイシアでも、その立場からジール王国内の主要な地位に就いている貴族は知っていた。当然、宰相であるソーラ伯爵とも面識はある。彼は背の高さぐらいしかアストラスに似ておらず、いつもどこか柔和に見える笑顔を浮かべた上品な、いかにも上流階級の男性だった。けれどアルレイシアは父より幾分年上の彼が、その見た目より遙かに老獪で喰えない人物であることを知っている。

 それにしても、とアルレイシアは何とはなしにアストラスの姿勢の良い立ち姿を眺めた。

(私の観察眼が鈍ったのかしら? それともこの人が特別なだけ? 尽く期待を裏切ってくれる人だわ)

 騎士なのかと思えば文官で、無口なのかと思えば意外に弁が立ち、そして、ユースティティアの恋人かと思えば違うという。

 それでも最後の一つに関して言えば、それは彼の見解であり、ユースティティアにはまたユースティティアの想いがあるのだろう。そう思うと、あまり豊かとは言い難い胸がちくりと痛んだ。それと同時に、先ほど二人のやり取りに感じた違和感の正体にも気づいてしまった。

 ユースティティアとアストラスの態度は、恋人同士と言うには他人行儀過ぎたのだ。ユースティティアの言葉は恋人への懇願としては遠慮深すぎたし、アストラスの返答は恋人の願いに対しては丁寧ではあっても、無関心すぎた。

 アルレイシアの脳裏には最後に去る間際、アストラスを見つめたユースティティアの、切ない眼差しがしっかりと焼きついてしまっていた。

(ああ、もう!)

 怒りは、こんな事態を招いてしまった自分に対してだ。ラウダトゥールがどういう基準で誰を婚約者候補として選んだかは結局聞かなかったままだが、それでも、土壇場になってこんなことをされるとは思わなかった。元々女としての自信など欠片もなかったアルレイシアだが、今回の事態では、なけなしのプライドさえ粉々にされてしまったような、実に惨めな気分だった。

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