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女伯爵の憂鬱  作者: 橘 月呼
第一章~王子の策略と舞踏会の夜
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<簡易人物紹介>

カッコ内は会話内で使用されている愛称です。

アルレイシア(シア):ファーブラー公爵令嬢。ヒロイン。

アストラス(アスト):ラウダに存在を圧されてますが一応ヒーロー。宰相補佐官、ラウダの部下。

ラウダトゥール(ラウダ):ジール王国王太子。シアの乳兄弟。出張ってますが脇役。

ユースティティア(ティティ):シアの上の妹。

 アルレイシアが相手に気付いたことによって、見つめた相手も彼女に気づいたようだった。きらきらと降り注ぐシャンデリアの光を受けて、常よりさらに豪奢に輝く金色の乙女は、広間を滑るように優美な動きで彼女の傍らに歩み寄ってきた。

「まあ、お姉様? まさかこのような場でお会いすることになるとは思いませんでしたわ。どういった風の吹き回しですの?」

「私も、居たくているわけではないのだけれど。久しぶりね、ティティ」

 苦笑を浮かべて言いながら、アルレイシアは感嘆の思いで自らの妹を見つめた。

 ジール王国社交界の至高の花、『黄金の薔薇』の異名を持つユースティティア・フィーディス・ファーブラー。数多の花が咲く今宵のこの広間でも、最も美しく咲き誇っているのは間違いなく彼女であろう。

 純金を梳き、星を散らしたような輝く黄金の髪を美しく結い上げ、彼女自身が放つ輝きを彩るごとく鮮やかな薔薇色のドレスを身に纏っている。真冬の澄んだ夜空のような、くっきりと濃い紫紺の瞳が瞬くと、それを縁取る長い睫が光を弾いて、まるで小さな星がきらきらと散っていくようだった。

 その場にいるだけでその美しさで周囲を圧するこの乙女が、アルレイシアの隣に立つ青年の姿に今気付いたように柳眉を寄せた。そんなユースティティアの棘のある視線を気にすることもなく、ラウダトゥールは変わらず真意の見えない笑みで、にこやかに声を掛ける。

「やあ、ユースティティア姫。お久しぶり。それにしても、ジールの名花ともあろう方が一人なのかな?」

「あら……そういえば、そうね。ティティ、貴女のパートナーは?」

 ジールの社交界でユースティティアは恋多き乙女として知られていた。もちろん、アルレイシアはそんな下世話な噂話など端から信じる気はないが、それでも妹がその美貌によって異性より引く手が数多なのは事実であった。何より、今宵の舞踏会のようなパートナーを必要とする夜会に、彼女が一人でいるなどとは、未だ嘗てないことであった。

 自覚が無いながらも、長女として妹たちに過保護気味なアルレイシアは、興味よりも心配が先に立って顔を曇らせた。そんな彼女の様子に、ユースティティアは姉の心境を察したのか、優雅に肩を竦めて微笑んだ。

「そんなお顔をなさらないで、お姉様。心配していただかなくても大丈夫よ、パートナーはちゃんと居るから」

「そう、なの?」

「ええ。ただ、少し遅れているだけで……そういうお姉様こそ、お一人なの? まさか、万が一にも殿下がお姉様のパートナーな訳はないでしょうし」

 アルレイシアを気遣っているように見せかけて、実は隣の青年への婉曲的な当てこすりに、アルレイシアはやれやれと苦笑した。

 傍から見れば実に似合いの、まさに寄り添うために生まれて来た様に見事な美しい一対の男女は、だが、いつの頃からかこうして顔を合わせる度に皮肉気な応酬ばかりを繰り広げていた。

 そんな二人のやり取りは取り合わないことで黙殺する。アルレイシアはユースティティアの登場によって流れてしまっていた話を元に戻すべく、傍らに立つラウダトゥールの顔を見上げた。

「そういえば、そうだったわ。ラウダ、私は早く用を済ませて帰りたいの。いい加減、目的の人物を紹介してくれないかしら」

 じと、と不愉快なことを隠さない目で見上げれば、美貌の王太子はにこりと柔らかな笑みを浮かべた。

「ああ、ごめんね。実はまだ、その相手が見えていなくて……」

「何ですって?」

 今度こそ、アルレイシアは今宵会う婚約者候補のために、と王女と妹の命を受けた侍女が丁寧に施してくれた化粧が崩れるのも構わずに思い切り顔を顰めた。そんな彼女にユースティティアが僅かに咎めるような視線を向けるが、そんなものに気付かないアルレイシアは次第に沸々と怒りが湧いてくるのを感じていた。

 先刻から、気にしないようにしていながらも、広間にいる人々の大部分が壁の花のアルレイシアを好奇に満ちた眼差しで見ていることには気付いていた。もちろん、単純に滅多に現れない彼女の物珍しさもあるではあろう。しかし、恐らく今宵の舞踏会でファーブラー公爵家の女相続人に、婚約者候補が現れることをここにいる多くの人々は予想していたのだ。だから、常よりも更に遠巻きながらもはっきりと、アルレイシアに好奇の目を向けている。

 それにもかかわらず。

 王太子の設けた顔合わせの席、しかも王宮で開催される舞踏会だ。そんな場で遅れてきたりするなど、どう好意的に考えてもアルレイシアを見下しているとしか思えない仕打ちである。

 当然ながら、ラウダトゥール自身もそのことは良く分かっているのだろう。その瑠璃色の美しい瞳が、気遣うように彼女を見つめていた。事情が分からないながらも、ユースティティアも二人のやり取りに不穏なものを感じたのだろう。美しいだけではない、意志の強さを感じさせる瞳がきっとばかりにラウダトゥールを睨みつけた。

「どういうおつもり?」

「何のことかな?」

「とぼけないでくださいませ。これ以上、わたくしのお姉様を傷つけるようなことをなさるなら、考えがありますわよ」

 顔だけは平静を装いながら、剣呑な会話を交わす二人の話を聞くとはなしに聞きながら、アルレイシアはゆっくりと息を吐いた。浮かんできそうになる悔し涙を、ぐっと奥歯を噛みしめることで堪え、堪えたそれが零れないようにしっかりと顔を上げた。こんなことで泣くのは、絶対に嫌だった。

 意志の力でもって凛と上げた視線の先、視界に周囲の目を避けるようにして広間に入ってくる一人の青年の姿が目に入った。アルレイシアの今夜の装いと対になるような華美ではなくとも艶やかな黒衣の青年は、広間に入った瞬間一度だけぐるりと視線をめぐらせて、すぐに颯爽と歩き始めた。

(まさか?)

 その青年は脇目をふることもなく、俊敏な身ごなしで広間に溢れる人並をかわしながら、足早にこちらに歩いて来る。

 じっとそちらを見つめるアルレイシアの視線に、傍らで表面上はにこやかながらも触れれば凍傷しそうなやり取りを交わしていた二人も、気付いてそちらへと顔を向けた。その青年の姿を目にした際の二人の反応は実に対照的だった。ラウダトゥールはその美貌を思い切り渋面に染め、ユースティティアは美しい薔薇色に頬を染めて嬉しげな笑みを浮かべた。

 そんな三人の視線を一身に受けていた青年は、その高い背に見合った長い足で驚くほど短い時間で三人の元に辿り着いた。そして着飾った二人の貴婦人には目を向けることも無く、ラウダトゥールの前に歩み寄ると優美な仕種で頭を垂れた。

「殿下」

「アスト、どうしたんだ?」

「はい。殿下にお手紙が届いております」

 青年は発言を許されると、手に持っていた何の変哲も無い白い封筒をラウダトゥールへと差し出した。ラウダトゥールはそれを受け取ると、躊躇い無く封を切り、中身を確かめる。その表情がみるみる強張っていくのを、彼を囲む三人ははっきりと目にしていた。やがて最後まで読み終えたのだろう、彼は常に無い乱暴な仕種で便箋を握りつぶすと、空いているほうの手で顎を撫でた。それは彼が何か考えるときの癖だということを、この場にいた三人は知っていた。

「アストラス・ルプス・ソーラ」

「はい」

 考え込んでいる時間は、それほど長くはなかった。ラウダトゥールは常よりも僅かに低い声で傍らに控える青年を呼び、そしてゆっくりと順番にアルレイシアとユースティティアの顔を見渡した。

 彼と目があった一瞬。アルレイシアはラウダトゥールのその瑠璃色の瞳の奥に、何か(・・)を見た。眉根を寄せてそれが何かを捉えようとするより早く、ラウダトゥールの視線はユースティティアに移ってしまい、それが何であったのかをはっきりと見極めることは出来なかった。それでも考えるように眉間に皺を刻んでいたアルレイシアだったが、聞こえてきた言葉にそれを放棄した。

「シア、彼を君の婚約者候補にすることにする」

「は?」

「なっ!?」

 ラウダトゥールの唐突な言葉は、姉妹の間に驚愕を呼んだ。意味が分からないとばかりにアルレイシアが眉を寄せれば、ユースティティアは怒りも露わに柳眉を釣り上げた。

「何を……何を仰っていらっしゃるの!? 殿下、彼は、アストは――――」

「黙れ、ユースティティア。君の発言は許していない」

「……っ!」

 低く張り詰めた冷たい声音に、ユースティティアはそれ以上言葉を紡ぐことは出来なかった。悔しげにその薔薇の花びらのような唇を噛み締め、口を噤む。アルレイシアは訳が分からず、睨みあう二人の美貌を見比べる。そして戸惑いながら、王太子の傍らに控えている、彼よりも更に背の高い漆黒の青年を見上げた。

 アルレイシアの視線に気付いたように、伏せられていた青年の眼差しが彼女を見返した。切れ長の翡翠の瞳が彼女の姿を映し、一瞬後、その瞳が僅かに瞠られたように、見えた。その反応の理由が分からなくて小さく首を傾げれば、瞬きを繰り返した翡翠の瞳がじっと不躾なほど熱心にアルレイシアを見つめてくる。

 その眼差しに困惑して、少し慌てて視線を逸らした。そして、そんな彼女の動きを観察するように見ていた瑠璃色と目が合う。その瞳を見つめて、すっと頭の芯が冷えていくのを感じた。

 遅れている婚約者候補。握りつぶされた手紙。不自然なほど冷淡な、王太子の態度。

(ああ、そういうこと)

 冷静になって考えてみれば、なんら戸惑うことも無く理由が察せられた。

 十中八九、ラウダトゥールが最初に用意していた婚約者候補は逃げ出したのだろう。そして、アルレイシアの名誉とラウダトゥールの面目のために急遽代わりが必要になったのだ。それに丁度良かったのが、手紙を届けに来た彼だというわけだ。

 そして、ユースティティアのこの反応。先刻言いかけた言葉は。

「ラウダ、私は――――」

 眉間に皺を刻んだまま、緩く首を振ったアルレイシアを遮るように、すっと黒衣を身に纏った青年が歩み出た。その音もないしなやかな動作に思わず目を奪われ、アルレイシアは言いかけた言葉を飲み込んでしまう。

 傍らに歩み寄られて見上げた先に相手の顎しか捕らえることが出来ず、慌てて視線を上に動かす。青年の顔は、女性にしては背の高いアルレイシアよりも、更に頭一つは高い位置にあったのだ。近くで見れば、その背の高さがはっきりと分かった。そして今度こそしっかりと捉えた青年の顔の中、不思議な (いろ)を宿した切れ長の翡翠の瞳と目が合い、思わず目を見開く。

 目にかからないようにだろうか、短めに整えられた黒い髪は恐らく手入れなどしていないだろうに、美しい艶を持っていた。少し日に焼けた肌、きりりと意志の強そうな眉、通った鼻筋、薄い唇。一つ一つが整っていて良く見れば端整な顔立ちにもかかわらず、鋭い眼差しと纏う威圧感が、その容姿よりも先に気圧されるものを感じさせていた。

 先ほど遠目に見ても印象に残ったその衣装は、今宵のアルレイシアの装いと対になってでもいるかのように、全身濃度の違う黒だった。彼の黒髪と同じく美しい光沢のある艶やかな黒地で仕立てられた上着。詰められた襟元や袖口には控えめに金糸で刺繍が施してあり、決して華美ではない趣味の良い金のカフスボタンで飾られている。下衣は艶が少ない濃い黒。実用よりも装飾を目的とした夜会用の丈の短いマントの、光沢のある繻子が光を弾いていた。

 そして一見細身に見えるその体躯が、実は恐ろしく強靭な力を秘めているであろうことは、その隙のないしなやかな身ごなしによって、服の上からでも推測できた。

(まるで黒い獣だわ。それも、飛び切り美しい……)

 ゆっくりと瞬きをして、研究者として養った観察眼で感嘆とともにそんなことを思った。するりと動かした視界に映る青年はその印象の通りに、鍛えられたしなやかな体躯と、それに見合った手袋をしていてもはっきりと分かる作りこまれた手を持っている。

(騎士、かしら。それもお飾りの親衛隊なんかじゃなく、もっとずっときちんとした――――)

 言葉もなく見詰め合った時間は恐らくそれほど長い時間ではなかっただろう。けれど、漂う沈黙を破ったラウダトゥールの声に、夢から覚めるような心地を味わう。

「シア、彼は宰相を務めているソーラ卿の次男で、宰相補佐官のアストラス・ルプス・ソーラだ」

「宰相補佐官?」

 思わず漏れてしまった疑問の声に、彼の紹介をしていたラウダトゥールが僅かに楽しげに、唇の端に小さく笑みを刻んだ。

「そう、宰相補佐官。アスト、こちらがファーブラー公爵令嬢、アルレイシア・アルテース・ドミナ・ファーブラーだ」

「初めまして、アルレイシア姫」

 無駄が一切省かれた、それでいて慇懃で丁寧な礼と、感情を窺わせない凛とした低い声。

 ラウダトゥールのような美声と言うわけではないが、その声は彼の容姿に良く似合っていた。平坦ながらも男らしい艶のある声音と、一見怜悧に見えるのに瞳の奥に緑の炎を揺らめかせる瞳に、アルレイシアは一瞬背筋が震えるのを感じた。まるで自分が獣に捕食される小動物にでもなったような気分だった。

「シア?」

 訝しげなラウダトゥールの声に慌てて我に返る。幾ら社交に疎いとはいえ、相手に名乗らせておきながら、いつまでも答えないことが無礼なことぐらいは当然承知している。

 アストラスの眼差しに射竦められるような心地になりながらも、何とか頬に強張った作り笑いを浮かべる。

「初めまして、アストラス殿。アルレイシア・アルテース・ドミナ・ファーブラーですわ」

 僅かにぎこちなくなりながらも、何とかドレスの下衣を摘まんで最大限優雅に貴婦人としての礼を返した。

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