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女伯爵の憂鬱  作者: 橘 月呼
第三章~彼の秘密、彼女の想い
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一応R15指定しているため大丈夫だとは思いますが、注意書きをさせていただきます。

それほど酷くはありませんが、無理矢理な描写がありますので、そういった表現が苦手な方はご注意ください。

9話と10話は挿話的な位置づけのため、ご覧にならなくても大丈夫だと思います。

そういった表現を絶対に受付けない、我慢出来ないという方はご覧になるのを回避されることをおすすめします。

 ぼんやりと空を見上げていたアルレイシアは、ふと思い出したようにため息を一つ吐き出した。

 久々に実家の門をくぐったにもかかわらず、早々に逃げ出して来てから早五日が過ぎていた。その間何もする気が起きずに、こうして日がな一日ぼんやりと過ごすことが多くなっている。

 以前は僅かな時間すらも惜しんで文献を読み漁ったり、論文を書いたり、読書に勤しんだりしていた。余暇の時間だって、何もせずにただぼーっとしていたことなどほとんどない。お茶を淹れたり、お菓子を焼いたり、アウタディエースの話し相手兼家庭教師を務めたりして、何かしら目的を持って動いていたのだ。

 けれど今は、何もする気が起きなかった。

 それにもかかわらず、今日は実家から逃げ帰ってからずっと部屋に籠もりっ放しだったため、いい加減心配した友人たちに研究院を追い出されたのだった。そのためアルレイシアはどこに行くという目的もなく、ただぼんやりと研究院から市街へと続く道を歩いていた。

 それは歩いていると言うのもおこがましい状態だったかもしれない。数歩進んでは空を見上げて、その青さにため息を吐く。そうしてしばしぼんやりと立ち止まって、また思い出したように惰性で歩き出す。そんなことを繰り返していた。

 彼女の思考を占めているのは、偏にユースティティアのことだった。アストラスとの約束の日も、もう明日に迫っている。その約束すら、どうするべきなのか結論が出ていなかった。

(断る、べき、なんでしょうけれど……)

 この五日間、何度もそう考えた。けれど結局実行に移せずにいる。

 だが今は、アストラスに会うことすら恐ろしかった。会っても、もう何を話せばいいのかすら分からない。

 ユースティティアは身を引こうとしたアルレイシアに対して怒りを顕わにしていた。それは即ち、アルレイシアが身を引くことを許さない、ということなのだろう。

 ならば、どうすれば良いのか。

 ユースティティアの想いを知ってしまった今、もうアストラスへの自分の想いなど、考えることは出来なくなってしまった。ユースティティアがアストラスを好きだというならば、アルレイシアとしては自分の想いなど二の次なのだ。どう考えても彼の想いを受け入れることは出来ない、という結論以外なかった。それなのに、それをすればユースティティアの怒りを更に煽ることになってしまう。

 受け入れることは出来ない。それでも、拒絶することも出来ない。まさに八方塞がりの心境だった。

 そしてアルレイシアがこうして悩んでいる間も、部屋の花は増え続けていた。部屋を追い出してもらったのは逆に良かったのかもしれない。今はもう、増える花を喜ぶ心境にはとてもなれないのだから。むしろアストラスの想いを受け入れられない以上、贈られた花を見ることは苦痛ですらあった。

(どうして……)

 再び立ち止まって、ぎゅっと自らを抱きしめるように自分の二の腕を掴んで握り締めた。食欲が減り、夜もろくに眠ることが出来ず、そのために五日やそこらで驚くほど顔色が悪くなっていた。掴んだ腕も以前よりも細くなった気がするし、頭も良く働かない。

 こんな姉の状態をフェレンティーアが見れば、確実に怒ることだろう。まともな精神状態ではないため、考えても考えても一向に思考が安定せず、ただ同じところをぐるぐると回っているような状態だった。けれど、本人にはその自覚がない。

(ティティ……)

 ユースティティアと言い争ったあの日。

 きちんと話をしなければ、と思っていたが、目を覚ました時には邸内にユースティティアの姿はなく、晩餐にも帰ってこなかった。フェレンティーアは怒るよりも呆れており、久々に家族が揃うことを楽しみにしていた父は酷く残念そうだった。アルレイシアはそんな二人に申し訳ない思いで一杯で、その日の晩餐は何を食べたのかすら良く覚えていない。

 まんじりともせずに一晩中ユースティティアの帰りを待っていたが、結局彼女は帰ってくることはなく。アルレイシアはそれがユースティティアの、彼女がいるうちは邸に帰らないという無言の意思表示のような気がしてしまって、引きとめるフェレンティーアを振り切って翌日には邸を後にしたのだった。

 腕を解くと再びゆっくりと歩き出そうとする。春の陽射しは柔らかく暖かかったが、眠っていないアルレイシアの瞳にはその光ですら眩しすぎた。

 陽射しの当たらない影を求めて、無意識に道の脇に立っている大きな木の木陰にのろのろと歩み寄っていた。一抱えはありそうな大きな木の木陰、つるりと冷たく滑らかな木の表皮に身を預けてほっと息を吐く。

 先ほど立ち止まったときと同じように上を見上げたが、今度は張り出した木の枝と覆い茂る緑の若葉で空を見ることは出来なかった。そのことに安堵すると、じわりと瞳が熱を帯びた。

「ふ、うっ……」

 嗚咽を噛み殺すように奥歯を噛み締めて唇を引き結ぶ。ここ数日は恐ろしく涙もろくなっていた。ずるずると木の根元に座り込んで、堪えきれない涙を零しながら必死に声を押し殺す。春だというのに陽の当たらない木陰は涼しすぎて、無意識にぶるりと肩が震えた。その震えを押さえるように自分の手で肩を包みこむ。

 声も出さずにただ静かに泣くアルレイシアには、だから近づいてくる人の気配に気づく余裕などなかった。

「アルレイシア?」

 放心していたところに唐突に声を掛けられて、びくりと体が震えた。聞き覚えのある声だと思ったが、それが誰なのかまでは頭が回らない。振り返ることすら億劫でいると、無視されたと感じたのか、少し荒い足音が近づいてきた。

 泣き濡れた頬に触れた風の冷たさに泣いていたことを思い出して、咄嗟に逃げなければ、と思ったが、体がその思考についてくることはなく。結局ただじっと座り込んでいることしか出来ずにいた。

「おい、具合でも――――っ!?」

 乱暴な口調ながら案じるような声音は不自然に途中で途切れた。だが、今のアルレイシアにはそちらに視線を向ける気にすらならず、ただ留まることなく涙を零す瞳をぼんやりと宙に彷徨わせている。

「シア!?」

 ざっ、と土を踏む音とともに傍らに誰かが立ったのが分かった。木陰の暗さに慣れた視界に、暗さの中ですらその輝きが分かる金色が映る。その色にびくりとしたアルレイシアの肩を、置いてある手の上から大きな手が少し乱暴に掴んだ。

「シア、お前、どうしたんだ!? 何があった!」

 聞き覚えのある声が、聞いたことのないような口調で問いかけてきた。その言葉にようやく、アルレイシアはのろのろと青紫の瞳をそちらへと向ける。涙でぼやけた視界では、その色ははっきりと分かってもそれの輪郭をきちんと捉えることは出来ず、ごくゆっくりと瞬きを繰り返した。

 ようやく晴れた視界に入り込んだ青年の姿に、だが咄嗟にそれが誰だか思い出すことが出来ないまま、ただぼんやりと僅かに焦りを浮かべた顔を見上げた。そんなアルレイシアの様子に、更に青年の眉間の皺が深くなる。きつく寄せられた金色の柳眉の下、本来は明るい菫色の瞳は、彼の感情を表すように今は少し色濃く見えた。

「おい、」

「……フェ、リクス……?」

 その瞳の色と剣呑な口調に、空回りしていたアルレイシアの思考がようやく目の前の相手が誰であるかに辿り着いた。どこかうすぼんやりとした口調で自らの名を呟いた彼女の様子に、フェリクスは思い切り顔を顰める。

 肩を掴んでいた手が離れて、ぐいと少し乱暴にアルレイシアの泣き濡れた頬を拭った。そうしてから、彼女の涙に濡れた手のひらを見つめて小さく舌打ちする。

「何で泣いてるんだよ、お前。誰に何をされた?」

 問い詰めるようなフェリクスの言葉に、だがアルレイシアはフェリクスの名を呟くことで彼が誰かを認識すると、途端に目の前の相手に興味を失ったように視線を逸らした。掛けられている言葉を理解することも、それに対する返答を考えることも今は煩わしくて。ただ放っておいて欲しい気持ちそのままに、相手の存在を自分の中から遮断する。

 今現れた相手がラウダトゥールかウィルトゥースならば、今のこの混沌とした気持ちを打ち明けただろう。そして何か助言を求めたかもしれない。フェレンティーアならばもっとはっきりと泣きついたかもしれないし、もし……アストラスであったならば、迷いはしたかもしれないが、きちんと話をしようと考えただろう。

 けれど実際に目の前に現れた青年には、そのどれをもしようとは思えず、また出来るような相手でもなかった。だからこそアルレイシアが相手に望むのは、自分の存在など気にしたりせずに放っておいて欲しいということだけである。

 けれど今の彼女にはそれを説明することすら億劫で、ただ膝を抱えて相手を視界から締め出すことでそれを示した。

 そんなアルレイシアの態度で考えていることが伝わったのか、フェリクスが今度ははっきりと舌打ちする音が聞こえた。次いで地を這うように低い声がアルレイシアの耳を撫でる。

「本当に、お前は……っ」

 その声にはっきりと籠められた怒りにも気を払うことなく、アルレイシアは乾いた瞳でぼんやりと地面を見詰めていた。そんな彼女の体を、鍛えられた逞しい腕が乱暴に引き寄せた。

「……っ!? ぃ、やっ……!」

 突然の事態に反応できずにいると頬に柔らかい布地の感触を感じて、弾かれたように悲鳴を上げた。混乱した頭でがむしゃらに伸ばした腕が抱き寄せてくる体を突き放そうとするが、体格差と男女の力の差の前にはそんなものは儚い抵抗でしかなかった。あっさりと押さえ込まれて、そのまま腕の中に閉じ込められる。

 背に回された腕も腰を抱き寄せる腕も温もりも、齎すのは安堵ではなく恐怖に近い嫌悪。その気持ちのまま、未だに涙で濡れた唇を割って悲鳴が上がった。

「は、はな、してっ! いやぁっ!」

「黙れよ」

 怒気を含んだ低い声にびくりと体が震えた。しっかりと抱きしめられる腕の中で、アルレイシアの細い体はかたかたと震えている。そのことにフェリクスはぎり、と音がしそうなほど奥歯を強く噛み締めた。

 背に回した腕を外すと、その手で先ほど涙を拭うために触れた頬を掴まえる。乱暴に顎を上げさせて、至近距離でその怯えている青紫の瞳を覗きこんだ。

「どうして、お前はそうなんだよ、昔からずっと……っ。どうして俺を見ない? 他の人間には近づくことを許すくせに、どうして俺のことは拒むんだ!?」

「いや、いや……」

 強い力で顎を取られていることにも向けられる怒りにも恐怖しか覚えず、アルレイシアは自分を捕まえている手を外そうと首を振ろうとしたが、そんなか細い抵抗を嘲笑うように、がっしりとした大きな手は緩まなかった。湧き上がってくる恐怖と混乱に、ようやく涙の乾いた瞳に再び熱が籠もり始める。

 フェリクスが言い募る言葉も耳を素通りしていき、その意味を考えることすら出来ない。思うのは、ただひたすら解放されたいという一つのみで。

 込み上げるその思いのまま、必死に抱き寄せる胸に手を突いて引き剥がそうと試みる。ただでさえ冷静な思考を取れない頭が恐怖と混乱で占められていて、アルレイシアの抵抗に抱きしめるフェリクスの様相が変わることにすら気づけなかった。

「放してっ、いやあ!」

「シア!」

 顎を掴んでいた手が肩に移動し、ぐっと強い力で背を背後の木に押さえつけられる。ようやく自由になった顎を動かして顔を逸らせば、頬に乾いた柔らかな感触が強く押し当てられた。

「ひっ……」

 それが何かを察するまでもなく喉の奥から漏れた悲鳴に被さるように、至近距離でチッと短く舌打ちする音が聞こえた。そして再び大きな手に顎を掴み取られる。何をされたのかをはっきりと理解していないまでも、生まれて初めて与えられる狼藉に、アルレイシアは心の底から恐怖に震えた。

 それでも顎を掴む手に、歯を喰いしばって必死に抗う。相手の目的を察することが出来ないままながら、力で意のままにされることを拒むアルレイシアの意志がそうさせていた。けれど抑えきれない恐怖に、先ほど拭われた頬があっという間に決壊したように再び零れだした涙に濡れる。

 今までどれほどの暴言を浴びせられようと、こんな風に暴力に訴えられたことはなかった。拒絶も抵抗もあっさりと摘み取られ、ただ一方的に力ずくで支配されることは、味わったことのないほどの恐怖と嫌悪を彼女に与えていた。

 間近にある唇から零れた吐息がアルレイシアの泣き濡れた頬にかかり、先ほども触れた柔らかな感触が再び頬に触れた。そしてそれとは違う熱く濡れた柔らかな感触が、頬を濡らす涙を拭うように動く。ざらりと頬を撫でたそれを目の端で捉えて、ぞわりと背筋が震えた。耐え切れずその感触を遮断するように、アルレイシアはきつく目を閉じた。

(いや、いや、いやっ……)

 自分が今何をされているのか、どういう状況なのか。混乱と恐怖に染まった頭では正しく理解できていなかったが、それでも嫌だと全身で拒絶していた。

 アルレイシアが知っているしなやかで逞しい腕は、こんな風に乱暴に触れたりしなかった。女の細腕より遥かに力強くても、彼女をこんな風に力で支配したりはしない。大切な宝物のように、丁寧に優しく包みこんでくれたのだ。

 アルレイシアを決して怖がらせたりしないように、優しく、慎重に。

 だから押さえきれない激情を感じさせられたときも、戸惑いはしても恐怖を感じたりしなかった。

 頬に押し当てられていたフェリクスの唇が、枯れることない涙を啜るように滑らかな頬を小さく吸ったとき。堪えきれずに、アルレイシアの唇から悲鳴のような言葉が零れた。

「た、助けてっ、アスト……っ」

 ピクリとアルレイシアの体を押さえ込んでいる大きな手が震えた。目を瞑っている彼女は見ることがなかったが、切れ長の菫色の瞳がいっそう昏さを帯びて細められる。

 彼を見ずにきつく閉じられている瞼に、その端整な顔に一瞬だけ悲痛ないろを浮かべ。けれど、先ほどまでアルレイシアに触れていた唇はすぐに、獲物を前にした肉食獣のような歪んだ笑みを刻んだのだった。

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