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女伯爵の憂鬱  作者: 橘 月呼
第三章~彼の秘密、彼女の想い
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 王都リジエラの高級住宅街から最も王宮に近い一角にファーブラー公爵家の瀟洒な邸宅はあった。石壁の塀の切れ目にある立派な門をくぐった後も、馬車を使わなければかなり歩かなければならない広大な敷地は、古くから仕えている庭師たちによって整然としている。ファーブラー家は代々の当主の趣味が表れたように、邸といい庭といい、華美ではなくきちんと整えられた静謐な美しさを保っていた。

 馬車の窓の外に見えてきた久しぶりに目にする王都の我が家に、アルレイシアは思わずほう、とため息を漏らした。

 決して帰ってくるのが嫌だった訳ではない。それでも求婚者を言い訳に帰ってくるのを避けていたのは事実だった。落ち着いた佇まいの美しい邸は、いつからかアルレイシアにとって懐かしくも帰り難い場所であった。

「今日はお父さまも早く帰られるらしいわ。夕食は久しぶりに、家族皆でいただけるわね」

 にこにこと機嫌よく言われたフェレンティーアの言葉に、アルレイシアはぴくりと肩を揺らした。そして目は邸の方を見たまま口を開く。

「ティティは、今日は家に居るの?」

「ティティ姉さま? ええ、お出かけになる予定はないと言っていたはずよ」

「そう……」

 街中を走っていた時はガタガタと揺れていた馬車は、門を入ってからのきちんと整えられた石畳に、揺れることはほとんどなかった。広いとはいえそこはやはり街にある邸、馬車は門をくぐればあっと言う間に車寄せまで辿り着いた。

 従僕が開けた扉からアルレイシアが馬車を降りると、ファーブラー家の執事と女中頭が出迎えた。

「お帰りなさいませ、アルレイシア姫様」

 アルレイシアが幼い頃から夫婦揃って仕えてくれている二人に、アルレイシアも穏やかな笑顔を向けた。

「ええ、ただいま。久しぶりね」

「全くでございます、姫様はちっともお帰り下さらないから……旦那様もわたくしたちもとても寂しく思っておりました。さあ、どうぞ久しぶりの我が家でおくつろぎ下さいませ」

 三姉妹の母ファーブラー公爵夫人が亡くなってからは、幼いながらアルレイシアがファーブラー家の女主人だった。彼女がその務めを果たしてこれたのも彼らの協力があったからこそだったが、学者として身を立て邸を出てからは、その役目は次女のユースティティアに譲り渡していた。

 それでもいずれ爵位や領地とともにこの邸を継ぐのはアルレイシアである。それは仕えている使用人たちにとっては昔から当然の事実であり、跡取りが家に寄り付かないことを口には出さなくとも彼らは憂慮しているのだ。そしてアルレイシアはそのことを前々から感じ取ってはいたが、そんな彼女を黙って自由にさせてくれている実質この邸を取り仕切っている二人に感謝の視線を向けた。

「ええ、ありがとう。王太子殿下のご協力で私の結婚の問題も片付きそうだし、これからはちゃんと時間を作って帰ってくるようにするわ」

「左様でございますか。それはよろしゅうございました」

 にこにこと笑顔を浮かべるそろそろ老齢に差し掛かろうとしている二人は、様々なことを察しながらも特に余計なことを言うことなくただ相槌だけをうってみせた。そして遅れて馬車を降りてきたフェレンティーアにも出迎えの挨拶を述べて二人を丁重に邸内へと招き入れた。

「シア姉さま、少し休まれたら、後で一緒にお茶にしましょうね」

「ええ、分かったわ、ティーア。また後でね」

 この邸で生活しているフェレンティーアと異なり、僅かな間の滞在とはいえアルレイシアは持ってきた荷物を片付けなければならない。もちろんこの邸にはアルレイシアの部屋があり、いつ戻っても良いようにきちんと整えられてはいる。だが彼女は性格的にきちんと自分が滞在する部屋を確認して、荷物を片付けてからでなければ休めないのだ。

 そんな姉の性格を見越しているフェレンティーアは邸に入るとお茶の約束だけを取り付けて、さっさと自室へ引き上げていった。そんな妹の背を苦笑とともに見送ると、アルレイシアは邸の侍女の手を借りて荷物を自室へと運んだ。彼女の性格的に大して量のない荷物ぐらい自分で運びたいところだが、ここでそんなことをすれば確実に小言を貰ってしまうので、邸にいる時は我慢して人の手を借りるようにしていた。

「ありがとう、ここまでで十分よ。ええと、ラーラ、だったわよね」

 相変らず主がいないにもかかわらず綺麗に整えられている自室内で、荷物を運んでくれた侍女に礼を言う。アルレイシアが邸を出てから仕え始めてくれた侍女は、気心が知れていると言うほどではないが、いつも笑顔で仕事をしている感じの良い少女だった。彼女はアルレイシアの問いににこりと笑って頷く。

「はい、アルレイシア姫様。それでは失礼させていただきます」

 アルレイシアがあまり手を掛けられるのを好まないことを分かってくれているため、特に問答することなくラーラは丁重に礼をすると大人しく部屋から下がっていった。

 侍女が部屋を出て行くと、アルレイシアは改めて、ぐるりと久しぶりに足を踏み入れた幼い頃から過ごした部屋を見回した。

 部屋を整えてくれたのは亡き母で、アルレイシアはその頃から出来るだけ、あまり部屋を変えないようにしている。もちろん家具の新調はしなければいけない時はしているが、前のものとあまり変わらないものにしていた。そういった彼女の気持ちを邸にいる使用人たちも皆汲んでくれているから、どれほど久々だとしてもこの場所ほど変わりがないところもないのだった。

 帰り難い、それでも懐かしい。

 何時も戻る度に感じるそんな不思議な気持ちのまま、アルレイシアはさっさと持ってきたあまり量の多くない荷物を片付けた。

 片付けなどすぐに一段落してしまい、フェレンティーアとの約束の時間までとのんびり長椅子で休んでいると、部屋の扉が叩かれた。

「はい」

 返事をして部屋の扉を開けるために立ち上がれば、彼女が動くより早く扉は外から開かれた。現れた姿にアルレイシアは思わず息を呑む。

「お帰りなさいませ、お姉様」

 室内でもきらきらと輝いているような美しい純金の髪。意志の毅さを表すような強い光を秘めた紫紺の瞳。優雅な足取りで室内に入ってきたのは、相も変わらず美しく豪奢な妹だった。

 邸内でもきちんと髪を結い上げ、春に相応しい明るく爽やかな新緑の如き若葉色の細身のドレスを身に纏っている。どんな色でも、どんなデザインでもユースティティアはいつもそれが彼女のためだけに存在するもののように着こなしてしまうのだ。彼女が身動きする度に甘やかな花の香りが匂いたつようで、アルレイシアはその存在感に圧倒されて思わず目を細めた。

 美しく艶やかに花開いた大輪の『黄金の薔薇』。

 その姿を目にする度に、アルレイシアの胸には感嘆とともに鬱屈とした想いが湧き上がってしまうのだった。

「不自由はございませんか? お姉様はいつも侍女を早々に追い返しておしまいになられますから。何かございましたら、すぐに申し付けてくださいませね」

 ユースティティアと話をしなければならない、と覚悟を決めてきたはずだった。それでも、心の準備も整わないままに突然現れた妹の姿に、アルレイシアは何とかぎこちない笑顔を繕う。

「ありがとう、大丈夫よ。研究院では自分のことを自分でするのが当たり前になってしまっていて。ラーラには申し訳ないことをしたけれど」

「そうですか。大丈夫なら、よろしいのですけれど」

 にこりと笑みを返していながらも、妹の目が決して笑ってはいないことに気づいた。その真冬の澄んだ夜空のような美しい紫紺の瞳には、今はアルレイシアを射竦めるような毅く真摯な光が浮かんでいる。その瞳に射抜かれて、アルレイシアは長椅子から立ち上がったままの状態で立ちすくんだ。

 アルレイシアとユースティティアは決して仲が悪い姉妹ではなかった。まだフェレンティーアが生まれる前、本当に幼い頃にはユースティティアは常にどこに行くにも姉の後をついて歩く雛鳥のようで、アルレイシアは妹が可愛くて仕方がなかった。

 少しずつ成長していく間でも、ユースティティアはアルレイシアが勉強や手習いなどを始める度に、姉と同じことをしたがった。三つも年が離れていることもあって、なかなか同じように出来ずに癇癪を起こすこともあったが、それでも彼女は姉と『同じ』であることに拘った。

 出来なかったことを上手に出来るようになれば、誰よりも先にきらきらとした笑顔でアルレイシアに見せてくれた。彼女が褒めれば、それはそれは嬉しそうに誇らしげにしてくれたものだった。

 アルレイシアとしても、父に良く似た王族の血を濃く表す妹に対して幼心に劣等感を感じてはいても、それを表に出すようなことはしていなかったつもりだ。一緒に始めた習い事でいつしか妹の方が優秀だと誉めそやされても、無邪気に慕ってくれる妹をどうしても感じてしまう劣等感とは別に愛し慈しんでいた。

(いつから、こんな風になってしまったのかしら)

 ユースティティアのいっそ睨みつけるよりも遥かに強い眼差しに晒されて、途方に暮れるような心地でアルレイシアは考えていた。もうずっと、それをきちんと考えることから逃げてきた。

 始めた習い事のほとんどがユースティティアに敵わなかったながら、アルレイシアには勉学に関する才はあった。いや、才能とは違うのかもしれない。ただアルレイシアの好奇心とそれによる努力があったのは事実だった。

 実際のところ、恐らく頭の良し悪しだけを問うならば、ユースティティアの方が遥かに優れているとアルレイシアは分かっていた。だがユースティティアは様々な習い事を同時にこなしていたため、アルレイシアほど勉強に割く時間も興味もなかっただけなのだ。

 楽器の演奏も、ダンスも、刺繍や詩の朗読なども、アルレイシアが苦手なこと全てをユースティティアは難なくこなしてしまう。だから、アルレイシアにはもう、それしかなかった。

 それでもそんなアルレイシアの物憂い思いなど知らぬげに、ユースティティアは変わらず姉を慕ってくれていた。いや、聡い彼女のこと、アルレイシアの思いなど本当は分かっていたのかもしれない。それでも知らぬ顔をして、それまで通りに振舞ってくれていたのだ。

(そうだわ)

 ふとひらめきのようにアルレイシアの脳裏に一つの情景が思い浮かんだ。

 もうずっと忘れていたこと。その時のユースティティアの言葉を、それが持つ意味を、深く考えたことなどなかった。

 いいや、考えることから逃げていただけなのだろう。

 そうして、アルレイシアは全てから目を背けて、自分の世界に閉じ籠っていたのだ。もうずっと、長い間。

 認めたくなかった。愛する妹の瞳に浮かぶものが、自分への憎しみだなどとは。


『姉さまにとっては、未来の王妃の地位ですら、価値のないものなのね』


 思い出す。

 あれは、アルレイシアが正式に公爵家の相続人になるために、国王陛下に拝謁する日だった。アルレイシアが十五歳になった年の、ちょうど今のような季節。誕生日を迎える前のユースティティアはまだ十一歳だったはずだ。

 邸の広い玄関に設えられた階段の上から、彼女は着飾ったアルレイシアを見下ろしていた。その顔にはいつも浮かべていたような無邪気な笑みはなく、人形のように整った愛らしい美貌に、どこか冷ややかな表情を浮かべていたのをはっきりと覚えている。


『ならば姉さまにとって、価値のあるものは一体なに? 家? 矜持? それとも自分自身? あれほど大事だと言っていたくせに、少なくともラウダ様ではないのね』

『ティティ……』


 呆然と見上げるアルレイシアに冷笑を残して、ユースティティアは踵を返すと背を向けて去って行った。

 その後のごたごたなどでその時の会話は頭の隅ではずっと気になっていたものの、結局その真意を妹に尋ねることは終ぞ出来なかった。

 そうこうしている間にユースティティアはいつも通りの態度に戻り、けれどひっそりと、そして確実に、アルレイシアとの間に壁を築くようになっていたのだった。

 無邪気な笑顔は優雅で隙の無い笑顔に取って代わられ、様々なことをアルレイシアに嬉しそうに報告することもなくなり。丁寧な口調と態度に裏打ちされたよそよそしさを寂しいと感じても、それを言うことは出来なかった。ずっと、彼女の心の内を知ることが怖かったから。

 それでも、これ以上誤魔化すことは出来なかった。逃げるのは止めると決めたのだから。ここに帰ってきたのは、向き合うためでもあった。

「ティティ、話したいことがあるの」

 意を決して言葉を紡いだアルレイシアに、ユースティティアはにっこりと極上の笑顔を浮かべて見せた。それは嘗てのような親しみなど一切感じさせない、美しくも冷たい笑みだった。

「奇遇ですわね、お姉様。わたくしも、お姉様にお伺いしたいことがありますの。お帰り下さって安心しましたわ。また、尻尾を巻いて逃げ出されるかと思いましたから」

 初めてぶつけられる辛辣な言葉にアルレイシアは一瞬瞠目し。そしてすぐに気を引き締めるために、手のひらを爪が食い込むほど強く握りこんだ。ぐっと奥歯を噛み締めて、自分よりも下にあるユースティティアの顔を見詰める。内心ではどうであっても、怯んでいると見られることは許せなかった。

 ユースティティアはアルレイシアよりも背が低いのに、その纏う雰囲気がとても彼女を大きく見せていた。堂々と胸を張り、しっかりと背筋の伸びた毅然とした態度は、まるで彼女に女王のような風格を与えている。背の高さなど、彼女のその雰囲気の前ではなんら優位にもならないものだった。

 ユースティティアは端整で冷たい笑顔のまま、機先を制するように口を開く。

「お互いの話が何か、など問うまでもないのでしょうね。ねえ、お姉様。アストに求婚されている、と言うお話は事実なのですか?」

 その声は、口調の丁寧さとはつり合わないほど冷え冷えとしたものだった。

 アルレイシアはしっかりと目を見開いて、ユースティティアの紫紺の瞳を見詰め返した。ごくり、と緊張に息を飲み下すのに喉が鳴った気がした。唇は震え、口の中がからからに乾いている気がする。それでもアルレイシアは決死の心持ちで乾いて張り付きそうになっている唇を開いた。

「ええ、事実だわ」

 淡々と紡いだ言葉に、ユースティティアの瞳が僅かに細められた。声が震えなかったことに安心する。そしてユースティティアはと言えば、その変わらない笑顔からも、瞳の色からも、全く彼女の心情を窺い知ることは出来なかった。だからこそ僅かな変化も見逃すまいと、アルレイシアはしっかりと自身の妹の美しい貌を見詰めていた。

「そう、事実なの」

 一瞬だけ表情を消してぽつりと呟いてから、ユースティティアは再び柔らかな、それでいて冷たい微笑を作り上げた。

 その唇から零れた言葉に、アルレイシアは一瞬、息をするのを忘れた気がした。

「ねえ、お姉様。わたくし、アストを愛していますの。ですから、身を引いてくださらない?」

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