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女伯爵の憂鬱  作者: 橘 月呼
第二章~女伯爵に捧ぐ花
13/34

<簡易人物紹介>

カッコ内は会話内で使用されている愛称です。

アルレイシア(シア):ファーブラー公爵令嬢。ヒロイン。

アストラス(アスト):ソーラ伯爵家の次男、元騎士で現在は宰相補佐官。ヒーロー。

ウィルトゥース(ウィル):第一騎士団の部隊長。シアとラウダの幼馴染でアストの元部下。出張ってますが脇役。

ラウダトゥール(ラウダ):王太子。シアの乳兄弟でアストの上司。

ユースティティア:シアの上の妹。

フェレンティーア(ティーア):シアの下の妹。

アウタディエース(ディーエ):ジール王国王女。ラウダの妹。

 かつての王の時代に存在していた巨大な後宮が取り潰された後、ジールの王族は王宮の国王の私室が存在していた宮を増改築して国王一家が使う宮としていた。その中でも一番奥まった所に王女であるアウタディエースの私室はある。王女と王妃の私室が存在している棟に繋がる回廊の警備は、第一騎士団の中でも選りすぐりの女性騎士が務めており、立ち入るには正式な許可が必要とされていた。

「やあ、警備お疲れさま」

「プロバット隊長」

 王女の私室へと繋がっている回廊の警備をしている顔見知りのまだ若い女性騎士に、ウィルトゥースが気さくに声を掛けた。声を掛けられた女性騎士は警備を務めるに相応しく厳しい表情をしていたが、見知ったウィルトゥースの姿に僅かにその頬を緩めた。

「お疲れさまです」

「本日は王女殿下にお招きいただいているのだが、話は通っているかな」

「は、お伺いしております」

 女性騎士はウィルトゥースの言葉にそう返答したが、一瞬だけ問いかけるような目で彼の後ろに立つアルレイシアの姿を見た。けれどすぐにウィルトゥースに視線を戻す。

「お伺いしているのはプロバット隊長お一人ですが……そちらの女性は?」

 そう問われたことで、アルレイシアは彼女がまだこの任に就いてから日が浅いのだろうということを悟った。ウィルトゥースも気づいたのか、僅かに苦笑を浮かべてアルレイシアの姿がしっかりと見えるように自らの立ち位置をずらした。

「こちらの方はファーブラー公爵令嬢だ。この方のこちらの棟への立ち入りは国王陛下の下命により、常に許可されている。これからも度々お会いすることもあるだろうから、覚えておくように」

 ウィルトゥースのその言葉に、女性騎士ははっと表情を改めて慌てて礼を取った。必要以上に深々と頭を下げたのは、恐らく彼女の口にされなかった内心の表れなのだろう。そのことを察しながらも、アルレイシアは特に触れることはせず、ただ淡々と頷くだけに留めた。そんな彼女の様子を見やってから、ウィルトゥースは再び立ち位置を戻して頭を下げ続ける女性騎士に鷹揚に言葉をかけた。

「王族の私宮への立ち入りを許可されている方々はごく僅かながら、許可されているなりの理由がある。任務に支障がないよう、今後は気をつけるように」

「はっ、申し訳ございません!」

 はきはきと謝罪を述べると、ウィルトゥースの言葉がこの話の終わりの合図だと分かっているように、素早い動作で警備していた回廊の扉を開けた。二人が扉をくぐると、再び背後で扉の閉まる音がした。

「申し訳ありません、シア。教育が行き届いておりませんで」

「別に気にしていないわ。確かに今日の私の格好はとてもファーブラー公爵令嬢なんてご大層な身分には見えないでしょうし。それに、別に彼女はウィルの隊の人間だというわけでもないのでしょう?」

 扉が閉まったことを確認して、口に出された謝罪の言葉にアルレイシアはあっさりとそう言って肩を竦めた。今日は元々休息日として、王宮の裏手にある丘でのんびりとお茶を飲みながら読書でもするつもりだったのだ。基本的に普段から質素とまでは行かなくとも、地味な服装が多いアルレイシアだが、今日は特に休息日ということで格好も実に適当だった。

 アルレイシアとて普段王子や王女に王宮に呼び出されるときには、もうちょっと格好に気を遣って来ているのだが。仕立てや材質は良いが実用性を重視した地味な紺色のドレスに、長い髪を結い上げもせずに首元で一つに結わえているだけ、などという格好では王家に継ぐ大貴族のご令嬢などには到底見えなくても仕方がないと思ってしまう。

 また、アウタディエースや王妃の警備は、彼女たちの傍近くで護衛を務めるごく一部の騎士を除いては、基本的に一人の騎士に長期間一箇所の警備を任せたりはしていない。もちろん女性騎士の数は男性の騎士に比べて絶対数が少ないため、その限りではない場所もあるが、今の女性が警備を務めていた王宮とつながる回廊の扉などはかなり頻繁に人が変わる。そのため、人の顔を覚えるのがそれほど苦手ではないアルレイシアだとて、警備を務めている騎士の顔など覚えきれていないのだ。

 フェレンティーアのように頻繁に訪ねている人間ならまだしも、呼び出されたときにのみ月に数度足を運ぶ程度のアルレイシアを、末端の人間まではっきり覚えろというのも無理があるのではないか。そう思えば、先ほどの女性騎士の態度も仕方がないと思ってしまうのだった。内心では多少大貴族の令嬢に見えないアルレイシアに不審を抱いたようではあったが、それをはっきり態度に表した訳でもない彼女の姿勢は責められるほどのことではないと思えた。

 だが、ウィルトゥースの見解はまた異なるようで、彼はその普段は柔和な表情を厳しくし僅かに柳眉を顰めていた。

「確かに彼女は僕の隊の人間ではありませんが、第一騎士団の騎士です。そして王宮の警備を務めている以上、主だった貴族の顔と名前が一致しないなどとは、許されることではありません。また、相手の地位や立場を身なりでしか判断出来ないなど言語道断です。彼女の隊の隊長には後できちんと話をしておきます」

 きっぱりと言い切ったウィルトゥースの言葉に、アルレイシアはそういうものなのかと首を傾げた。社交嫌いを自他ともに認めているアルレイシアである。正直に言って舞踏会などに出席しても顔と名前が一致しない貴族など大勢いるのだ。それでも一応(彼女本人の見解としては)それで問題を感じてはいなかった。なのに一介の騎士がそれを全て覚える必要など、果たしてあるのだろうかと疑問に思ったのだ。

 そんなアルレイシアの内心に気づいたのだろう、ウィルトゥースは小さく微笑むと、僅かに声を低めて思いがけないほど真剣な口調で言葉を紡いだ。

「我々騎士は社交のためなどではなく、もっと実用的かつ物騒な理由で貴族の方々の顔や名前を覚える必要があるのですよ」

 思いがけない言葉にアルレイシアは目を瞬いて隣を見上げた。

「例えば、王宮内でシアが何者かに襲われたりしたとします。警備の騎士が襲った人間を見ていても、それがどこの誰だか分かりません、では話にならないでしょう? 我々騎士は貴族などより遥かに、貴族に関する多くのことを覚える必要があります。現在の当主やその血縁者の顔、名前、地位に始まり、横の繋がり、側近から、できればよく遣っている使用人などまでですね。そういったことは知っておけば知っておくほど、万が一の有事の際に役立ちますし、不審な人間を警戒しやすくなります」

 淡々と語られたウィルトゥースの話の内容にアルレイシアは驚きながらも同時になるほどと納得していた。

「だから、王宮の警備は主に第一騎士団が務めているのね」

「ご明察です。さすがはシアですね」

 四つ存在している騎士団の中で第一騎士団ほど籍を置いている人間の身元に厳しい騎士団は他にはない。そのことを鑑みれば、第一騎士団が王宮の警備を務めているのは何も騎士としての力量云々だけの話ではないのだろう。そう考えて、アルレイシアはふと行き当たった事実に驚きながら口を開いた。

「……もしかして、ウィル。貴方、第一騎士団に在籍している全ての人間を覚えているの?」

「ええ、もちろんです。僕だけではなく、団長を始めとした主だった幹部にとっては、それは職務以前の義務ですから」

 にっこりと笑ってあっさりと肯定され、アルレイシアは思わず唖然と口を開いてしまった。改めて第一騎士団に所属することの大変さを思い知った気分だった。

 はあ、と開いていた口から大きなため息を零し、まじまじといつの間にか立派に成長していた見慣れていたはずの幼馴染を見つめる。

「………本当に、知らない間にすっかり大人になっていたのね、ウィル。とても立派な騎士ぶりだわ。何だか、嬉しいけれど寂しいような複雑な気分ね」

 そんなアルレイシアの少し間抜けとも思えるような表情と言葉に、けれどウィルトゥースは照れたような表情でくすくすと嬉しそうに笑っていた。端整な顔立ちの少しだけ日に焼けている頬が僅かに朱を刷いている顔は、少年の頃の彼の姿を彷彿とさせながら、けれど確かに最早少年とは呼べない姿に変わっていた。

「ありがとうございます。僕はシアに褒めていただけるのが、誰に褒められるより一番嬉しいですよ」

 にっこりと微かに頬を赤らめながらも満面の笑みとともにお世辞ではないと分かる嬉しげな口調で言われた言葉に、アルレイシアはやはり嬉しさと同時に胸を過ぎる寂しさを感じていた。ウィルトゥースもラウダトゥールもいつの間にか大人になり、この国を支える立派な人物へと成長している。ユースティティアは既に彼女の手を離れてしまっていて、今はまだ成人していないアウタディエースやフェレンティーアもまた、いずれ彼らのように自らの役割を果たす為、羽ばたいていってしまうのだろう。

(何だか、取り残されていく気分だわ)

 大人になったのはアルレイシアとて同じことのはずなのに。どうしてこんなに置いてきぼりになったような気持ちになるのだろうか。

 考えて、行き着いた答えにアルレイシアはこっそりとため息を吐いた。

(いつまでも逃げ続けていては、駄目だと言うことよね)

 彼らを眩しく感じるのは、それがきちんと果たすべき役割を理解し、それに向かって努力を続けているからだと。それを分かっているからこそ、果たさなければいけない責任から逃げ続けている自分が置き去りにされているような気がしてしまうのだ。

「私も、そろそろ覚悟を決めなければいけないということよね」

 ぽつりと零したアルレイシアの言葉を聞いていただろうに、ウィルトゥースは何も言わずただ黙って足を進めていた。

 それほど長くはない回廊にもかかわらず、考えに沈んで足が遅くなったアルレイシアの歩調に合わせていたために、普段よりは大分長い時間をかけて目的の扉の前に行き着いた。ウィルトゥースが扉の前に立つより早く、その扉が内側から勢いよく開かれた。

「遅いわ、ウィル!」

 室内から飛んだ少女の可愛らしいが僅かに尖った声に、アルレイシアの考え込んでいた意識が浮上した。そしてつい下を向いてしまっていた視線を上げれば、可愛らしい顔を顰めて部屋の入り口で仁王立ちしているフェレンティーアと、そのフェレンティーアに苦笑しながらも謝罪しているウィルトゥースの姿が見えた。

「すみません、ティーア。途中でシアに会って、彼女と一緒に来たものですから」

「………それだけにしては、遅すぎると思うけれど。ディーエ様をお待たせするなんて、いい度胸じゃないの。まあ、いいわ。シア姉さまに免じて今日だけは赦してあげるわ」

「ありがとうございます」

 偉そうな少女の言葉に反駁することなく丁重かつ優雅に頭を下げたウィルトゥースを一瞥すると、フェレンティーアは彼の後ろに立っているアルレイシアの姿を見ようと覗き込んだ。

「シア姉さま、早く来てくださいな。ディーエ様がもうずっとお待ちですのよ」

「相変らずね、ティーア」

 昔からウィルトゥースに対しては妙に尊大な妹の態度に苦笑しつつ、アルレイシアはウィルトゥースが扉を押さえて控えている脇を抜け、室内へと足を踏み入れた。部屋の中央に設えられた美しい白いテーブルの上にはきちんと四人分の茶器が用意されている。それを見ていつの間にか来る予定のなかった彼女の訪れを察していた妹の勘の良さに内心舌を巻きつつ、掛けていたソファから立ち上がったアウタディエースにドレスの下衣を摘むと丁寧に礼をした。

「ディーエ様、お久しぶりです」

「来てくださって嬉しいわ、シア。わたくし、先日の舞踏会の話をシアから聞きたいと、いつ訪ねて来てくださるか楽しみにしていましたのよ。それなのに論文にかかりきりでちっとも来てくださらないから、待ちくたびれてしまいましたわ」

 アウタディエースのちっとも怒っていないおっとりとした口調に、けれどアルレイシアは再び謝罪の意思で持って頭を下げた。

 普段ならば、週に一度は王女の話し相手として彼女の下を訪ねているのだが、論文に取り掛かってしまうとどうしてもそちらを優先してしまいがちなのだ。そんなアルレイシアを知っているから、アウタディエースは取り立ててそのことで彼女を責めたてたりはしない。それでも、今となってはフェレンティーアしか常に傍にいてくれる人のいないこの王女の、口には出されない寂しさを感じているアルレイシアとしては、もっと気を遣ってあげるべきだといつも後から後悔するのだった。

 けれど、今回はアウタディエースが「楽しみにしていた」話題が話題である。何を話せばいいのかと戸惑いながらテーブルに着くよう促す王女の顔を見つめた。当のアウタディエースはウィルトゥースが引いた椅子に実に優雅な動きで腰を掛けていた。そして傍らに控えた彼ににこりとその美しい顔に大輪の花のような笑みを浮かべて礼を言うと、その澄んだ瞳に実に嬉しげな光を浮かべてアルレイシアのバスケットから出されたケーキを見る。

「まあ、シアの焼いたケーキを食べるのは久しぶりだわ」

 アルレイシアが予想していた通り、テーブルの上には王宮の料理人が腕によりを掛けて作ったと分かる見た目も味も素晴らしい幾つかのお菓子が並んでいた。それに比べてアルレイシアの焼いたケーキは砕いた木の実を入れたごく普通の焼き菓子だ。もちろん、味にはそこそこの自信はあるが、今テーブルの上に並んでいるようなクリームをたっぷりのせた豪華なケーキに比べると見た目も味も素朴なものだった。それにもかかわらず、まるでとびきりのご馳走のように喜ぶ王女の姿にアルレイシアは苦笑して、思わず内心で王宮の料理人に詫びてしまった。

 フェレンティーアが慣れた動きで手早くお茶を淹れた。そしてアルレイシアの作った僅か二切れの小さなケーキは更に半分に切られて、四人で仲良く分け合って食べることになったのだった。

「昔はシアの焼いてくださったケーキが余った時は、よくこうしてお兄さまやウィルが半分こしてくださって、一緒に頂きましたわ。懐かしいですわね」

 にこにことお茶とともにケーキを口にして嬉しげに笑ったアウタディエースの言葉に、アルレイシアとウィルトゥースは先刻の会話を思い出して顔を見合わせて笑いあった。そんな二人の様子をアウタディエースとフェレンティーアは不思議そうに首を傾げて見やる。

「どうなさったのですか? 二人とも」

 くすくすと笑いあっていたアルレイシアとウィルトゥースだったが、再び顔を見合わせて視線で譲りあうと、王女の疑問に答えるべくまずウィルトゥースが口を開いた。

「いえ、先ほど僕がシアのお菓子を見つけた時に、僕たちも似たような会話を交わしていたのですが。それが僕とラウダ殿下のどちらが最後の一切れを食べるのか本気で喧嘩をした、という話だったので」

「ラウダもウィルも、二人だと半分こにするなんてことはせずに喧嘩をしていたのに、ディーエ様には分けて差し上げていたのだと知ったら、おかしくて」

 そんな今になって初めて知ることになった事実とともに、懐かしい優しい思い出に再び四人は笑いあう。大きく取られた窓からは春の午後の温かい陽射しが差し込み、まるでこの部屋だけは周囲の時間から切り離されてでもいるような、穏やかで柔らかな空気に室内は満たされていた。

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