星の砕石 〜主〜
乳白色の平たい石がまっすぐに敷かれていた。両側には大きさも形も様々な同じ乳白色の石が無造作に転がり、道と共に霧の向こうへと続いている。
その石の道を、ひとりの青年が歩いていた。
霧に紛れるような銀髪に、銀の瞳。白一色の衣装を纏う。
立襟の上衣は膝までを覆い、首元から臍の辺りまで四つの飾紐の釦がついている。動きに合わせて翻る裾にはよく見れば銀糸の刺繍が施されていた。だぼつきはないが緩やかに体型を隠す上衣と同生地の下衣、柔らかそうな布製の靴。
靴底に至るまで全て白ずくめの青年が口ずさむのは、今はもう忘れられた唄。
ここは〈さいせきじょう〉―――星を砕き、拾う場所。
「そうなんだ。僕は初めてだからちょっとドキドキしてるよ」
石畳の道に貫かれるように、同じ乳白色の石が敷き詰められた円形の広場。辿り着いたそこで、青年は霧の向こうに眼差しを向けた。
「ホントだ。もう気付いてるみたい。やっぱり早いね」
白に沈む景色の中、呟く白い青年の姿が黒く浮かび上がってくる。
髪も瞳も纏う衣服も全て漆黒に変化した青年が、すっと視線を下にさげた。
「お客様ですね」
霧の奥から駆け込んできたそれは、まっすぐと広場中央へとやってきた。
「ようこそ、砕石場へ」
黒い立襟の上衣、同じく黒い下衣。白の混じらぬ黒髪はその容姿にそぐわず浮いて見える。少し背を曲げた老人が姿に見合わぬはっきりとした口調で告げた。
「私はここの管理人です」
老人の視線は足元へと落とされている。膝丈程の茶色い犬がそこにいた。
暫く老人を見上げ、ワンワンっ、と鳴き声を上げる。そしてまたじっと見つめる犬に、老人は少し困ったように眉を寄せた。
「…ぶれて見えて気持ち悪いと仰られましても」
ワン、と応えるように犬が吠える。
「そうなのですが、私にも理由がありまして…」
くぅん、と今度は鼻を鳴らす。老人はじっと犬を見返してから、すっと顔を上げた。
「……今のところは何も。……そうですね」
何やら数言話してから、老人はふっと息をついた。途端にその姿が先程までの青年のそれになる。
「ではこちらで」
突然の変化に怯える様子も見せず見つめていた犬は、くぅくぅと鳴いて青年に更に近付いた。青年は腰を屈め、少し耳を下げた犬の頭に手を置く。あまり感情の読めない表情はそのままだが、仕草は柔らかくも優しい。
「構いません。恐らくこの絆は私のそれとは違うでしょうから」
その手に顔を擦り寄せてから、わんっ、と元気よく犬が吠えた。
「そうですか。お世話になったご主人の為になのですね」
青年を見上げていた犬のくるんと巻いた尾が、ぱたりと下ろされた。心なしか下がる鼻先にも落ち込む様子が見て取れる。
青年はそれ以上何も言わず、左右に伸びる道を一瞥ずつした。
「ここから道沿いに歩いてください。どちら周りでも構いません。山の周囲を回ってここへと戻ります」
青年の背後に聳える山は石畳と同じ乳白色の岩肌をしていた。山頂は濃く霧掛かり目視できない。
左右の道を囲むように、様々な形状の白い石が見えぬ奥まで続いている。道を挟んで山と反対側は霧に沈み、無造作に転がる白い石も途中からは見えなかった。
「その途中に貴方の石がありましたら、どうぞお持ちください」
鼻先を上げた犬がそのまま山を見上げ、ゆっくりと自分が来た方向へと身体の向きを変える。霧しか見えないその先を見据えた後、また青年へと頭を向けた。
「お気付きでしょうけれど。途中で引き返したり道を大きく外れたりなさると、戻れなくなりますので」
犬が小さく一声鳴いた。
「私はうしろからついていきます」
そう告げて一歩下がった青年。犬は左右の道を見比べるような仕草を見せてから左側へ数歩行き、止まる。暫く躊躇するように前足を何度か出す素振りをしてから、下げかけた耳をピンと上げ、犬はくるりと向きを変えた。
もう迷いなく右の道を進んで行く犬の後を青年が続く。振り返らずにワンワン吠える犬に、そうですね、と青年が返した。
「驚きましたか。尤も貴方方は人とは違い鋭いので仕方ないですね」
耳は立てたまま、しっぽも下ろさず。しかしクゥンと寂しげな鳴き声が響く。
「すみません。束の間でも騙すことができればよかったのですが」
青年の声にそれ以上応えず白い石の道を進んでいた犬が、暫くの静寂の後に小さく鼻を鳴らした。
「懐かしかったと仰っていただけるなら、私も報われます。…ありがとうございます」
それきり犬は鳴かぬまま。
前を向いたままの犬の尾がパタパタと揺れるのをうしろから見ながら、青年は黙ってついていった。
白一面の景色の中、小さな茶色と黒が進む。どこまでも続く同じような画の中、ふと犬が足を止めた。
傍らの石がするりと解け、霧となり立ち昇っていく。すぐに紛れてしまったそれを暫く動かず見つめた後、犬は再び歩き出した。
しかし数歩歩いてからまた足を止め、頭を下げた。下がっていく耳と尾を引き止めるようにぶるりと身震いをして、ワンっ、と一声吠える。
そうして歩き出す小さな背に、青年は何も返さなかった。
僅かに犬の足音だけが聞こえる中、歩くこと暫く。ピクリと鼻と耳を動かしてから犬が駆け出した。道を右側に逸れ立ち止まった場所で、右前足と鼻先を重なる石に突っ込んで掘り返す。
程なく小振りで細長い石を咥えて戻ってきた犬は、そのまままた道沿いを歩き出した。
戻った広場の中央には、ここを離れるまでにはなかった黒い真四角の石が敷きこまれていた。
咥えていた白い石をその前に置き、犬は少し遅れて広場に到達した青年を目で追う。青年は黒い石の隣に立ち、犬と向かい合った。
「お疲れ様でした」
青年の言葉に、わふ、と犬が息を洩らす。
「共にいた頃を思い出しておられたのですね」
犬は暫く青年を見つめてから、咥え持ってきた白い石に鼻先を擦り寄せ甘えるように鳴いた後、天を仰ぎ、三度長く吠えた。
残響が霧に覆われるまで彼方を見つめていた青年は、再び頭を下げる犬の前で膝を着く。
「ここでは相手が望むなら石を分け合う事ができますが…」
青年が全てを説明する前に、犬が吠えて言葉を遮った。
青年はそれ以上の説明をやめ、そうですかと呟く。
「もうひとりでも大丈夫だと示す為なのですね」
わんっ、と応えが返った。
「わかりました。もちろん決めるのは貴方ですので構いませんよ」
犬は青年の膝に頭を擦り寄せてから、もう一度ワンと鳴いて石を咥える。
「ああ、少し待ってください」
思い出したように青年が服の隠しから黒い布を取り出し、犬の前へと広げて置いた。
「そのままでは運び辛いでしょうから」
一度青年を見上げてから、犬が真ん中に石を置く。落ちないように丁寧に包んだ青年は、犬の首にそれを巻いた。
「きつくは締めませんので。端を引っ掻けば取れるかと思います」
青年の手が離れた瞬間から布の色が抜け落ちるように薄れていき、周りと変わらぬ白さとなった。少し気にするように前足で触る犬に、苦しくないですかと青年が問う。
触るのをやめた犬が、大きく一声吠え答えた。
「石は埋めると仰っていましたね。それは石とは違う場所に埋めてください。あまり地上にあっていいものでもありませんから」
クゥンと鳴いて見上げる犬に、大丈夫ですよと頷いて。笑みを浮かべ、青年は犬へと手を伸ばす。
「貴方がこれをどうこうすることはないでしょう?」
もう一度擦り寄ってくる犬の頭に軽く触れてから、青年は立ち上がった。
青年が帰り途を示すまでもなく、犬は山と青年に背を向け駆け出した。その姿が霧に呑まれてから一度だけ、微かに遠吠えが響く。
深々と頭を下げて送り出した青年が、ゆっくりと上体を起こした。
「お疲れ様でした」
その言葉を皮切りに、黒い青年の色が解け霧に溶けて消える。隣にあった黒い石盤もいつの間にか消えていた。
銀の髪と銀の瞳、白ずくめの装いに戻った青年は、そのまま暫く犬が去った方向を見つめていた。
「…そうだね、賢くて鋭い子だった」
ぽつりと呟き、笑みを見せる。
「…この姿を?」
青年は己の身体を見下ろし、更に笑う。
「……それはないよ。僕がどれだけ変わったのかは、君が一番知ってるよね」
暫しひとりで笑ってから、青年は歩きだした。
遠ざかる青年の動きに合わせて揺れた霧が徐々に濃さを取り戻し、辺りはまた白い静寂に包まれた。
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また次の来訪者を迎える際にお会いできれば幸いです。