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 夫をこの手で殺した時、罪悪感など微塵もなかった。


 むしろ、なぜ、もっと早くこうしなかったのかと悔やむ気持ちしかなかった。


 だから、許しなどいらない――。





 夫を刺し殺した包丁を今度は自分の喉元に振り下ろそうとした時だった。


 空気が変わった。


 室内のエアコンで調整された気温ではなく外の冷たい空気が身を包んでいる。


 それだけでなく取り巻く景色すら違う。


 私がいたのはマンションの一室だったのに、今は、どう見ても中世ヨーロッパを思わせる街並みの中にいるのだ。


 時間も夜中から昼間になっている。


「……どこよ、ここ?」


 手に持っていたはずの包丁がなくなっているが、私は夫の返り血を浴びたままの格好だ。


 どう見ても不審者以外の何者でもない女に、周囲にいた人々は怪訝そうな、あるいは、はっきりと恐怖に満ちた視線を向けてくる。


 ……うん。私も同じ立場なら、そうなるわね。


 中世ヨーロッパ風の建物に相応しく道行く人々の服装もヴィクトリア朝だ。さらには色素の薄い髪と瞳で顔立ちも日本人より彫りが深い。


 これは、暇潰しに読んでいたネット小説に出てくる異世界転移というやつだろうか?


 私が読んだネット小説によると異世界を救う聖女や勇者として魔術師や神官に召喚されるものだが。


 私の場合は、どう見ても、それではないだろう。


「……美音(みおん)?」


 信じられないと言いたげなその声は聞き慣れたものだった。


 そして、もう二度と聞く事はないだろうと思っていたもの。


「……知高(ともたか)さん?」


 振り返ると行方知れずになっていた元恋人、京極(きょうごく)知高が立っていた。


 周囲にいる人々と比べると明らかに浮いた容姿だが、私と同じ黒い髪と瞳で人種的には似た顔立ち。いかにも人が()さそうな(実際そういう人だ)均整の取れた長身の二十代後半の男性だ。


「その血はどうした!? 怪我をしているのか!?」


 元恋人がなぜここにいるのかという疑問や血塗れな恰好の原因を追究するよりも、真っ先に私の怪我の有無を心配する知高さんに(変わっていないな)と思った。


「……私の血じゃないわ。心配してくれて、ありがとう」


 (あの男)を殺した事は微塵も後悔していない。


 けれど、知高さんにだけは知られたくなかった。


 綺麗なままの私だけを憶えていてほしかった。


「……まず、その恰好をどうにかしよう。ついてきてくれ」


「……私が何をしたか見当はついているんでしょう? いいの? こんな危ない女を家に引き入れて」


 私はもう、あなたの知る美音(わたし)ではないのだ。


「この世界の法で転移してきた異世界人は保護しなければいけないんだ」


「私やあなたのように、異世界から転移してきた人間が、この世界には多いのね?」


 でなければ、そんな法は作られないはずだ。


「それだけでなく前世の記憶を持つ異世界からの転生者も多いよ」


 知高さんは補足すると話を続けた。


「君が元の世界で何をしても、この世界では何の罪を犯していない以上、保護すべき異世界人だから」


 夫を道連れにして死のうと思っていたが、異世界転移という現実では起こりえないと思っていた出来事が実際に自分の身に起こった事で、さすがにもう死ぬ気も失せた。


 どうしていいのか分からない現状だ。目の前にいる知人である知高さんに頼るしかない。


 夫を道連れにして死のうと思っていたのに、なぜか異世界に飛ばされ、行方知れずとなっていた元恋人と再会するとは。


 神様も悪戯が過ぎる。


「神の悪戯」は、これだけではないのだと、この時の私は思いもしなかった。


 





 


 






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