目病みによる憂鬱と幸福
目を病んだ。
まぶたの裏にできものができたのだ。それらは無数にぷくぷくと浮いてきて、たいへんに痒い。目が見えなくなったわけではないが、まぶたを開けられなければ同じことだ。
「すごい顔ですねえ」
見舞いに来てくれた知人が言う。声に驚嘆が含まれていてはなはだ面白くない。
「医者はなんと?」
知るものか。塗り薬を処方して「ものもらい」だとぬかしおったが、それで納得できるほど症状は甘くない。痛痒さと、ものの見えぬ不自由のせいで、最近の私は不機嫌極まりなかった。
むっつりと黙り込んだ私を気遣ってか、知人は「くだものを持ってきましたので」と後で食べるように勧めて帰ってしまった。
私は少々気鬱になりながら反省した。知人は悪くない。病人の不機嫌に付き合わせてしまって申し訳ないことをした。
手鏡を取り、意外に伸びるまぶたをこじ開けて、その隙間から鏡に映る己を見た。
まったく、なんて顔だ。
まぶたは異常に腫れ上がり、らんちゅうの頭のごとくであった。ううむ、痒い。
鏡を置き、綿棒に塗り薬を擦り付ける。それでできものに薬を塗ろうと試みながら、私はあることに気が付いた。まぶたの中に明かりが差し込むと同時に、見えるはずのないものが見えたのだ。
当初あぶくのように見えたそれは、ぬらりと光って眼球になった。白目の部分は充血しているが、茶色の虹彩が澄んでうつくしかった。
どうやら私自身のものらしいと直感したが、それはありえない。私は綿棒の先の塗り薬を見ているのだ。いやどこを見ているにしても、いくら視界が広かろうが狭かろうが、己の目玉を己の目でみることなどできるものか。鏡を使わずに自分の顔を見るのと同じではないか。いったいどういうことだ。
不審に思いながら、麺棒から視線を外し、オドオドと辺りを確認してみる。何もない。さては幻覚でもみたものか。まさかまぶたの裏に目があったりしてな、と苦笑しながら、できもので盛り上がった皮を持ち上げて、じっと観察してみる。何かが動いた。
声もない。
まぶたの裏には、無数の小さな目玉がぎょろりとこちらを伺っていた。
見間違いを期待してもう一度確認する。いる。こちらを見つめている。ひしめいている。
私は途方にくれてまぶたをもどした。痒みが激しくなってきていたが、そんなことを気にする余裕はなかった。なんだこれは。
しばらく呆然としていたが、急に悲しくなって涙がこぼれてきた。これはきっと、「途方にくれた」が極まったせいだろう。子どものようにしゃくりあげながら、だらだらと涙をこぼす。目に触れるのが怖いので拭うこともできない。
おんおん泣いていると、涙と一緒に何かがぽろぽろと膝の上に落ちるのを感じた。
見える。
私が泣いている。
わけもわからずにどんどん泣くと、泣いている私もどんどん増えた。
泣いて泣いて、泣き疲れて涙も出なくなったころ。ふと気が付くと目に異物感がなくなっていた。腫れぼったくはあるが、これは泣きすぎたせいだろう。
開くようになった目で、おそるおそる膝の上を確認すると、無数の小さな目玉がこちらを見つめていた。私はそれらを見つめる無数の私自身も同時に見た。トンボになった気分だ。
にわかに好奇心が湧き上がる。
たくさんの目玉のうちひとつを手にのせてみる。それはくるりと回っていじらしく私を見つめた。意外に愛嬌がある。まぶたの内にあるときは恐ろしくも感じたが、私からこぼれて尚、それはまぎれもなく私の一部であった。
目玉は私の手のひらの上で嬉しそうに私を見つめている。その目玉に映った私もまた喜びの中にあった。
急にそれが愛しくなった私は、衝動的に小さな目玉を飲み込んだ。
目玉は再び私の内側へ戻り、今度はまぶたの裏ではなく、手のひらに出現した。面白くなって次々に飲み込む。体中が目玉でいっぱいになり、私はかつてない幸福に見舞われた。
こうして私はひとでないものになった。