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The QOL  作者: ESOL
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回帰

 自室についた頃には体はすっかり冷えきっていた。酒で得た熱は何処へ行ったのやら、と思いながら上野は風呂の準備をしていた。

 浴室の掃除からお湯を張るところまですべてがボタン一つで解決する。しかし、ボタン一つで解決させるには、何十回とボタンを押して設定する必要があった。この類の問題を解決するために、脳波を読み取るとか生活習慣を学習させるとか様々なアプローチが試みられてきたが、どれも人間のタイミングを完全に理解するには至らなかった。AIには気まぐれと偶然の違いが未だに解らなかった。

 風呂の掃除程度ならたまにまかせてやるのも悪くないが、お湯張りは自分でやるというのが上野の考えだった。「人間は心変わりする。湯を張った後で、今日はシャワーだけとか急に風呂に入る気がなくなったとか。機械に先回りされてしまうと、その心変わりすら許されないような気分になってしまう。そしてその小さな気持ち悪さは、繰り返し自分の心を叩いて、いつか変えてしまうかもしれない。」というのが彼の主張で、風呂場近くのAI機器類は長らく主電源すら入れてもらえないでいた。


 仕事は減ったが事故が増えた。戦争はなくなったが、立ち入り禁止地区が増えた。病死は減ったが自殺が増えた。目新しくもないニュースを、連日代わり映えのしないコメンテーターたちが騒ぎ立てる。AIの台頭によりあらゆることに対して危機感が希薄になったのが原因だという。それが事実だとしてどうしろというのか。今更AIなしで世界が回るわけがなかった。

 上野は、いや上野に限らず皆が知っていた。コメンテーターたちも演技なのだ。冷静な素顔の上に敢えて怒り狂う鬼の面をかぶっている。

 平穏の中に興奮はない。戦争のない世界で平和を祈る意味はない。死なない世界では生きる意味がない。そういった意味では現代の人々は半ば能動的に生きる事を放棄しているようにもとれるが。

 ともかく彼らは何でもかんでも騒ぎ立てて問題を作らなければならないのだ。本人の意思に反してでも。そういった意味では。「──同情するよ」と上野は言ったが彼の表情は硬いままだった。

 ちょうどお湯張り完了を告げるブザーが鳴った。


 湯船につかってあれこれと考え事をしていたが、最終的に覚えていたのは明日服を買いに行くことと、さっさと風呂から出ないと寝る時間が刻一刻と短くなるということだけだった。悩みなど大体そんなものだ。飯食って風呂に入れば大体解決するとは羽賀の言だ。

 風呂から出たら身体を拭いて、えーと次はハミガキ、の前に水を飲んで、明日の準備か。しまった、タオルを出しておくのを忘れていた。わざわざ考えるまでもないことを考えながらいよいよ足に力を入れ立ち上がった。

 湯船を跨ぎ、濡れたタイルに片足をつく。もう片方も同様に。

 慣れた日常の動作が、なぜかその時はうまくいかなかった。

 足を滑らせてしまった。とっさに右足を後ろに引いた。体重が右足にかかった一瞬、小さいが鋭利な、痛みが走った。しかしそれよりも早く身体は傾いていた。天井が遠くなっていく。仰向けに倒れようとしていたがそれを理解したときには既に遅く、慌てて手を振り回しても何もつかむことはできなかった。頭を何処かに打ち付けた。固く重い、激しい痛みが意識に届き、それと同時に目の前にあった光が去った。

それきり、上野は一切の感覚を失った。


 時間も方向もない、曖昧な暗闇に浮かんでいた。

 誰かに呼ばれたような気がした。

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