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The QOL  作者: ESOL
3/4

フラグ

 一台の自販機が車通りの少ない道路のわきにポツンと置かている。それは労う者もいないこの深夜にも煌々と光っていた。上野はその光に群がる羽虫をよけて少し離れたところで何を買ったものかと悩んでいたが、改めて見てみると売り切れの表示が多いことに気が付いた。「なんだ、業者にも見捨てられたのか」と考えながらコーヒーを選んだ。ゴトンと缶が落ちる音がして、ふと、この辺りは昔から変わらないな、と思った。

 当然のことながら、社会の変革は一様には起こらず、町の端々にはそれこそゲームで見るようなレトロな雰囲気を残す場所が点在していた。飛び交う羽虫を手で払いながらコーヒーを取り出すと、それを上着のポケットにねじ込んだ。


 さて海岸に出るには堤防を越えなくてはならない。自販機から堤防に上る階段までは僅かな距離しかなかったが、その移動はひどく億劫なものに感じられた。わざわざ階段を使わなくても、とコンクリートブロックのくぼみに足をかけて堤防に上がり、反対側の砂地に飛び降りた。久しぶりで感覚が鈍ったか、酔っていたせいか、着地をしくじり右足を挫いた。痛みは大したことなかったが、何となく恥ずかしく、少し早歩きになった。

 堤防の海側に設けられた階段のすぐそばに、余った建材を捨てたのかそれとも椅子のつもりなのか、円柱状のコンクリートがいくつか乱雑に並んでいる。

 「結局ここまで歩くなら階段を使えば良かったなぁ」とひりごちて、そのコンクリート塊に腰掛け真っ暗な海を眺めた。


 赤、白、緑。時折、船のものと思われる灯火が見えた。内海の穏やかな波には身じろぎ一つせず、その光達は滑るように岬の影から現れ、あるいは吸い込まれていった。

 黒い海面はなめらかで月を反射して光り、一連(ひとつら)の宝石のようにも見えた。打ち寄せる小さな波が耳心地の良い水音を作っている。呼ばれている。飛び込んで、帰って来いと。

 夜だからこその幻想的な風景だった。昼間では見えすぎる。ゴミ、油、死骸。

 実際このあたりの水質は泳ぐには不適とされていて、泳ぐことができたのは昔の話だ。もとは「真珠の白と孔雀青」と言われたほどにきれいな海岸で、夏になると海水浴客であふれたらしい。頭に浮かんだ、誰に説明するでもない文句に「ゲームで知ってる」と付け加えた。


 (ぬる)くなった缶コーヒーをちびちび飲みながら物思いに耽っていた。水平線の果て、空と交わるところ。この海を越えると何があるのか知ら。知ってはいるが、そう思っていたい気分だった。

 ずうっと海を眺めていた。つい先ほどまで遠くにいた闇がすぐ近くまで迫っている気がした。

 ゲーム機が故障したらどうなるのだろう。何が切っ掛けだったか、疑問はいつも唐突に降って湧く。

 故障事例はいくつかあったがいずれも人体に被害は出なかったという。では精神は。

 膨大なデータ処理のためにセーブと切断処理には少し時間がかかる。あのヘルメットのような頭部装着型インターフェースを使って、記憶と人格データのアップロードとダウンロードを行っているのだ。データ化した人間がゲームの世界に飛び込むと言い換えるとわかりやすいかもしれない。

 そしてそのセーブとロードの最中に、不慮の事故で──例えば母親が掃除機で電源コードを引き抜いてしまうとかいう事故が昔あったらしいが──ゲームにエラーが発生するとデータの一部が破損することは確認されていた。それは局所的な記憶喪失を意味する。

 確認された事例では欠損した記憶はゲームプレイ中の記憶のみで、そのほかの記憶、要するにこのゲーム以外の記憶に影響は出なかったということらしい。記憶をアップロードするといって脳ミソ内の記憶が消去されるわけではないし、プレイヤーとしては特に大した問題とは思わない。もう一度コンテニューすればいいだけの話。

 しかし消えたと思われている記憶のほうはどうだろうか。脳との連絡を断たれ帰り道を無くした記憶が、意志を持った記憶が、まだゲーム内に彷徨っているんじゃないか。帰るべき体をなくした記憶のお化けがあのゲームの世界にいる気がしてならなかった。

 上野は身震いした。少し体を冷やしすぎてしまったようだ。それと近くの公衆トイレに立ち寄って帰ろうと思った。

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