「僕」対「私」
「ああ……ずっと会いたかった」
彼女は舌なめずりしながら僕ににじり寄ってくる。夢の中では何度となく会っているが、その時の姿はどれも勇ましく戦う姿ばかりであったため、今の振る舞いには身の毛がよだつ感覚を覚えてしまう。
「いつ迎えに行こうかずっと考えていたの。でも、偶然あなたがこんな近くまで来てくれたから待っていたのよ?」
傍目から見れば彼女は間違いなく美人だ。きっと街を歩けば誰もが振り返ることだろう。だって前世の僕の面影なんて微塵もないのだから。だがどうしてだろうか。こんなにも恐ろしい生き物を僕は未だかつて見たことがない。
―――ユーリ、ここは一度、逃げるんだ。
―――今の我々には叶う相手じゃない。立て、走るんだ。
―――目くらまし程度ならまだ魔術を使えるから、早くコイツから逃げて!
僕の中の彼らがうるさいくらいに話しかけてくる。多くの魔獣たちと互角以上に渡り合う事の出来る力を持っている彼らが口々に「逃げろ」と叫んでいるのだ。
「あら、怖がらなくたって大丈夫よ?私が大事な半身であるあなたを殺すはずがないじゃない……」
心を読んだように彼女は歪な笑みを浮かべた。ゆっくりと、しかし確実に距離を詰めてくる。ニクスを撃退している時点でそんな言葉を信じられるわけがない。僕も足に力を籠めて立ち上がろうとした。
「―――――!」
底をつきかけている魔力をかき集めてわずかな目くらましを仕掛けようとしたその刹那―――僕の半身は恐ろしいくらいの速さで僕を捉えた。地面に打ち付けられたことで身体中の酸素が外へと吐き出されてしまう。
「フフフ、ずっとこうしてやりたかったのよ」
僕を組み敷いた形で彼女は得意げな笑みを浮かべる。やっぱりコイツは僕の事を殺そうとしている。どうにかしなければならないが、この状態ではろくに抵抗も出来ない。僕もいよいよ終わりか。よりにもよって自分の半身にその幕引きをされてしまうなんて……。
「フフフ……」
彼女は笑いながら懐から一本の小瓶を取り出した。中に入っているのは見るからに毒々しい色の液体だ。
パキリ、と音を立てて小瓶の蓋を開く。その色に違わぬ悪臭が立ちこめ、思わず顔を顰めてしまう。
「……僕を毒殺する気か?」
彼女は答えない。その代わりに、毒々しい液体を一息に煽って見せた。……なんだ?何をする気だ?
「☆○♪×☆○□☆?!」
視界が反転しそうなくらいの衝撃が走った。彼女は口に含んだ液体を僕の口の中に容赦なく流し込んだのだ。所謂「口移し」というやつだ。この場合の衝撃は二つだ。一つは言うまでも無く毒々しい液体は見た目と匂いになんら遜色ないくらいにマズかったこと。そしてもう一つは、コレも言うまでも無いが、自分の半身とキスさせられたことだ。
「……ふぅ。気分はどうかしら?」
「……同じ人間なんだから分かるだろう?最悪だよ」
見た目こそ女性だが、僕らは元々一人の人間―――それも齢34の立派なおっさんなのだ。こんなおっさん同士のキスなんて一体どこの誰に得があるというのだろうか。
「だってこうしないと飲まないと思って。多少は身体が軽くなったでしょう?」
彼女はそう言ってそっと離れた。僕も身体を起こすが、確かに先ほどよりかははるかに身体が軽くなっている。もう一度死霊の大巨人を召喚できそうなくらいには体調が良い。
「魔王軍謹製のポーションのお味はいかがだったかしら?」
「……次はもっと味を良くしてほしいね。リンゴ味とか……ブドウ味とか」
悔し紛れに言うと、彼女はプッと吹き出した。
「フフ、やっぱりまだ子供ね?」
「同い年だろ、同じ人間なんだから!」
「あら、そうだったかしら?」
……まあ、この姿ではそう見えないのは確かだ。身長だけで見ても彼女は僕の頭二つ三つ以上はある。よく見積もっても姉妹、悪く言えば親子に見間違われても不思議ではない。
「……で、こんな事をした目的はなんだ?」
僕がそう尋ねると彼女は近くの木に立て掛けてあった槍を手に取った。
「そんなこと分かっているでしょう?私に見せて欲しいのよ。あなたの力を」
槍の穂先が月の光を浴びてギラリと光る。
「……殺す気は無いんじゃなかったのか?」
「殺さないわよ?でもちょっと腕試しをしたい、っと思って」
「……僕に『くっ、○せ!』とか言わせたい、とか言うなよ?」
「あら、それも面白そうね」
僕も剣を抜く。緑に光る刀身を見て僕の半身は嬉しそうに言った。
「良い剣ね。対死霊特化の付加が施されているなんて」
「僕はどうやら死霊らしいからね。君にも効くんじゃないか?」
彼女が何を考えているのかは分からないが、どうやら僕を殺して一つになるとかそんな考えではないらしい。だが、ここで彼女を倒せば僕はこの煩わしい従魔の身体から解き放たれて自由になれるのではないだろうか。そんな考えが頭をよぎる。
「―――そう思うのならやってみたら?」
彼女が不敵な笑みを浮かべる。僕は自分の考えを口には出していないはずだ。どうやって僕の考えを読んだ?
「私たちは通じ合っているもの。あなたの考えなんかお見通しよ?」
「そうか。じゃあ、僕の攻撃も読み切って見せろよ?」
言い終わらないうちに僕は駆け出した。彼女の実力のほどは分からないが「不死身の剣聖」であるはずのニクスが「とんでもなく強い」と言っていたくらいだ。油断は出来ない。
―――おいおい、こんな奴に戦いを挑むなんて正気か?
名前も分からない男が呆れたように言う。
―――せっかく回復させてもらった事だし、どさくさに紛れて逃げた方が良いと思うわ。
ジョアナも彼に賛同するように言う。でも今更遅い。僕は自分自身目がけて刃を突き出した。
「うーん、いまいちね」
彼女は不満げな表情で刃を軽く受け流すと、槍の石突きで僕の胴を打ち抜いた。
先ほど飲み込んだばかりのポーションを戻しそうになって必死にこらえる。その間にも彼女は容赦なく二撃目三撃目を打ち込んでくる。
「―――――!」
地面に強かに身体を打ち付け、僕の胃は呆気なく限界を迎えた。言葉になりきらない言葉と共に胃の中身を盛大にぶちまける。
「ほぉら、まだまだ行くわよ?」
体勢を整える暇も無く、すぐさま槍の一撃が繰り出される。
「ぐ……ガブリエル!」
思っていたとおりだが、やはり正攻法では太刀打ちできない相手だ。両足をガブリエルに変異させて飛び上がり、どうにか攻撃を躱す。
「―――死霊共、来い!」
すかさず死霊たちを呼び寄せて彼女を包囲させる。今の僕の持てる全てを出し切らなくては勝負にすらならない。ズルだろうが何だろうが全部使ってやる。
「ふふ、面白くなってきたわね?」
そう言いながらも、彼女は僕の召喚した死霊たちをいとも容易く消し去っていく。
「―――ジョアナ!」
ジョアナの回復呪文で死霊たちをすぐさま復元する。死霊たちは一撃でやられてしまうが、包囲している間は必ず死霊たちを倒さなくてはならない。彼女をその場に留めておくことが僕の作戦なのだ。
僕は思いきり息を吸い込んだ。コレを喰らえば、いかに魔王の従魔といえども無事では済むまい。
「―――――!!」
渾身の叫びは包囲していた死霊もろとも僕の半身を吹き飛ばした。




