隠し通路
「……ぶぇっくし!」
「あら、エルナったら風邪でも引いたの?」
「誰かが僕の噂をしているのかもしれないな。……サイン色紙を用意しておこうっと」
「そうだな。今日は寒いからな。暖を取れるものを用意しておいたほうが良いと思うぞ?」
「なるほど。じゃあ僕はガレス君を殴って身体を温めることにしようか?」
「あーはいはい。酒場にまで来て暴れないの」
ミリッサが杖を振り上げたエルナを素早く押さえ込む。
夕時の酒場は一仕事終えた商人や冒険者たちでごった返している。エルナとガレス、そしてミリッサの三人は隅の席で静かにグラスを傾けている真っ最中であった。
「それにしてもアンタたち早速話題になっているわよ?まあ、この街で525万なんて巨額の借金を抱えた奴はそうそういないから仕方ないとも言えるけどね」
周りを見れば、他の冒険者たちからの同情や嘲笑が漏れ聞こえてくる。お前たちだって借金まみれのくせに。ガレスが珍しく呟いた。
「ふん、笑っていられるのは今のうちだぞ。今にユーリがお宝を山ほど抱えて帰ってくるんだからな!」
自慢げに胸を張るエルナに、ミリッサは呆れたように笑ってグラスを空にする。
「……道理で今日は見かけないわけだ。もうどっちがご主人様だか分からないわね?」
「僕はユーリに身体と住む場所を与えたんだ。ユーリは冒険者として僕を支える。『ギブアンドテイク』というやつだな」
そのギブとテイクの割合は絶対に釣り合っていないと思う。そう考えつつも、ミリッサは口に出すことなく、おかわりのエールを胃に流し込む。
「しかし、今日中に帰ってくるかと思っていたが陽が暮れてしまったな。二人は大丈夫だろうか……」
ガレスが不安げに窓の外に目をやる。日が没した空には星たちが瞬いているばかりだ。「夜の世界は魔物たちの領域」―――。どんな魔獣が潜んでいるか分からない手つかずの迷宮となれば尚更だ。ユーリやニクスといえども迂闊な行動が命取りになる。
「心配いらないさ。ユーリはこの深淵の魔女の従魔だぞ?」
注文したオムレツを頬張りながらエルナは尚も自慢げだ。
「……その自信がどこから来るのか教えて欲しいよ」
ガレスが盛大なため息をつく。
「……でも、実をいうと僕にも一つだけ不安なことがある」
不意に食べかけていた手を止めて彼女は言った。急な落ち込み具合にガレスもミリッサも思わず焦燥感にかられてしまう。
「お、お前の口から『不安』なんて、初めて聞いた気が……」
「私も……初めて聞いたわ。何が不安なの?やっぱりユーリのことが心配……?」
「いや……」
彼女は力なく首を振った。
「この店のオムレツは不味いんだ。ユーリが作ってくれたオムレツを食べないと僕がどうなってしまうか……」
むせ返るほどの熱気を帯びる酒場の片隅で冷たい風が吹き抜けた。
「……早く帰ってきてくれるように祈っていなさい」
もしもユーリがいなくなってしまったら彼女はどうなってしまうのだろうか。ちょっと見てみたい気もするが、そうなるとガレスが不憫すぎる気もする。まあ、心配なんていらないのだろうけど。
ミリッサはエルナの注文したオムレツを一かけ口に放り込んだ。
「……まあ、美味しくはないわね」
―――――
「―――ああああああああああ!!私の迷宮があああああああ!!」
迷宮の主の悲鳴が木霊した。
「悠里さん、コレが作戦ですか……?」
「うん。……ちょっとサイズ間違えたけど」
僕が召喚した「死霊の大巨人」は、天井を突き破って迷宮の外へと飛び出してしまっている。僕らに見えているのは大巨人の胴体だけだ。何も知らない人がコレを見れば、ただの壁にしか見えないだろう。
「……でも、魔物たちの行く手を塞ぐ役割を果たしてくれていますね」
ニクスが言う。確かに魔物たちは突如として現れた壁を前に戸惑いを隠せないでいるようだ。先ほどまでの熱狂がみるみるうちにしぼんでいくのがよく分かる。
「結果オーライ、ってことにしましょうか?」
「……そうしておいてくれ」
ニクスが意気消沈した魔物たちに容赦なく斬り込んでいく。士気の上がらない魔物たちは蜘蛛の子を散らしたように逃げだした。
「さあさあ!私を止められるのはどこのどいつですかー!!」
本当はこの迷宮に合わせたサイズで召喚して今度こそ僕が無双する場面だと思ったのだが、これでは大失敗だ。エルナに死霊術をちゃんと教わらなければいけないかもしれないな。
だが、ため息交じりに大巨人を戻そうとしたところで僕の視界にあるものが映った。
「ニクス、壁の向こう側を見てみろ」
「おお!『隠し通路』ってやつですね!」
ニクスが興奮気味に言う。大巨人を召喚したことで崩れかけた壁の向こう側に一本の細い道が繋がっているのが見えるのだ。
「―――あ、それは……」
ボソリと迷宮の主が漏らした声を僕らは聞き逃さない。
「ニクス、今の聞こえたな?」
「ええ、悠里さん。私にも聞こえました。どうやらこの隠し通路は迷宮の主さんにとっては非常にマズいものみたいですねぇ?」
「―――き、君たち待ちたまえ。そこは非常に危険な場所なんだ。先ほどの比ではない強力な魔物たちがわんさか出てくるぞ?だから今の君たちでは行かない方が良いんじゃないかなぁ……ああ、待って待って勝手に壊さないでぇ―――!!」
僕らは主の言葉などすっかり無視して壁を壊していく。みるみるうちに人一人は余裕で通ることの出来る通路が開けた。
「悠里さん、行ってみましょうよ」
「そうだな。アイツの焦りようから察するに、この先が恐らくアイツの居場所に繋がっているみたいだな。行ってみようか」
僕を先頭にして通路を進んでいく。恐らく迷宮の主専用の通路なのだろう。強力な魔物など出てくるはずもなく、僕らは一つの小部屋の前にたどり着いた。
「……この先に迷宮の主がいるのか」
いざ、ボス戦の前となると途端に緊張感が全身に満ちていく。いくら中二病といえどもこの迷宮を支配しているのだから実力は決して低くはないはずだ。軽く飛び跳ねて身体をほぐしてからノブに手をかける。
「……行くぞ?」
「ええ。私はいつでもOKですよ?」
勢いよく扉を開く。
「さあ、覚悟しろ……よ?」
「おお、小娘ども生きていたのか。わりぃ助けてくれ!」
そこにいたのは派手な装飾に身を包んだ男―――アンドレアスであった。彼は縛られた状態で放置されていた。




