ひょっとしたらひょっとして
「悠里さん……大丈夫でしたか?」
「うん。……ちょっと生臭かったけど」
僕はニクスからタオルを受け取って未だにミミックの唾液で濡れた身体を拭き取る。咄嗟に叫んだため助かったが、あのまま飲み込まれてしまえばどうなったか、なんて想像したくもない。
「でも、今回はあまり叫ばない方が良いかもしれませんよ?」
「……なんで?」
「ここは迷宮の中ですからね。無暗に叫ぶと他の魔物も呼び覚ましてしまう可能性があるのがまず一つ……」
まだあるのかよ。聞きたくは無いが今後のためにも聞かないわけにはいかない。僕は「他には?」と、続きを促した。
「先ほど悠里さんが叫んだ時に気がついたのですが……」
ニクスは迷宮の壁を指さした。所々ひび割れていてポロポロと岩壁が剥がれ落ちている。
「悠里さんの魔力が強すぎてこのままだと迷宮が耐えられないかもしれないんですよ。ですから悠里さんにはなるべく『叫ぶ』以外の魔術を使っていただきたいな、と……」
要するに、僕がこれ以上叫ぶと迷宮が崩落する可能性があるらしい。僕一人のせいでヨハンやアンドレアスたちを危険に晒すわけにはいかないし、納得せざるを得ない。
「そういえば、みんなは?」
「もう先に行っちゃいましたよ?アンドレアスさんがここぞとばかりに悠里さんを笑っていました」
……あの野郎。今度会ったらただじゃおかねえ。
―――――
「とりあえず僕らも進むことにしよう」
気を取り直して僕らは再び歩き始めた。アンドレアスやヨハンらは共にこの迷宮に挑んではいるものの、決して仲間ではないのだ。それぞれに目的があり、僕らがミミックに手こずっている間に出し抜こうとするのは当然と言えた。だが、僕らも負けていられない。525万という巨額の借金を返済するためにも、この迷宮でその足がかりだけでも築かねばならないのだ。
「くそ、この宝箱はもう開けられている……」
だが、僕の焦りをあざ笑うかのように僕らが進む先で遭遇する宝箱はもれなく開かれていて、中身が持ち去られたものばかりであった。アンドレアスたちもヨハンたちもこういったことに慣れているのか、彼らはミミックを避けて宝箱だけを正確に選び抜いている。
「どこかに……どこかに宝箱はないのか……?」
徐々に募る不安が口をついて出てくる。迷宮を歩いていても宝箱は見つからないし、換金できそうな鉱石があるわけでもない。いくつかに枝分かれした道を延々と歩き続けているだけだ。
「悠里さん、アレを!」
不意にニクスが声を上げた。彼女の視線の先には宝箱がある。
「おお、ようやく見つかったな……!」
一つでもお宝を獲得しなければ迷宮に来た意味がない。僕は一も二もなく宝箱に飛びついた。
「悠里さん、離れて!」
ニクスの声に身体は素早く反応する。ついさっき全く同じ経験をしているのだ。僕だって同じ轍を踏むつもりはない。
「……コレもミミックか」
思わずため息が漏れる。僕らが開く宝箱はミミックばかりだ。箱の中から覗くギョロリとした眼、箱から生えた妙に艶めかしい手足。……いい加減に見飽きてきた。
「まあまあ。とりあえずコイツをサクッとやっつけちゃいましょう?」
ニクスも刀を抜く。
「そうだな……よし、使わせてもらうぞ。グエン」
僕も背負っていた剣を抜き放つ。フロントランド家からの帰り道でグエンから受け取った剣だ。魔術による加護が施されている刀身は淡い緑色の光を放っている。僕が散々苦しめられた魔物に対して特効を有する光だ。
「キレイな光ですね。宝石みたいです」
「この光のせいで死にかけたんだけどな!」
言いながらも勢いよく駆け出した。
「―――――!」
ミミックの大ぶりな攻撃を躱して僕は右から、ニクスは左からそれぞれ回り込む。
「ニクス、合わせろよ!」
「ユーリさんこそ!タイミング合わせて下さいね!?」
二人で呼吸を合わせて刃を振り下ろす。ミミックの両腕が同時に地に落ちた。
「―――――!」
ミミックは痛みに金切り声を上げながら膝をついた。僕はニクスに目配せをする。彼女もコッチの考えが分かっているようだ。二人で示し合わせたように跳び上がる。
「「ぃよっしゃあああああ!」」
僕らの刃が深く食い込んだ時には、すでにミミックは絶命していた。
―――――
「アンドレアスやヨハンたちはどうやってミミックと宝箱を見分けているんだ……?」
「盗賊であれば見分けることが出来るかもしれないですねぇ」
ニクスが刀を鞘にしまいながら言った。彼女の背後ではバラバラに切断されたミミックが山のように積み重なっている。あの後も蓋を開ければ現れるミミックを倒し続けていたのだ。
「今からでも戻ってミリッサを連れてくれば……?」
「陽が暮れちゃいますよ?」
こんな事ならば、彼女から盗賊のスキルの手ほどきでも受けておくんだったな。後悔しながら僕らはそれでも前に進む。だが、ここにきて僕の中にある疑問が浮かんだ。
「アンドレアスやヨハンはどこまで進んでいるんだ……?」
「ニーナさんの話ではここはまだ手つかずの迷宮みたいですからね。ひょっとするとひょっとするのかもしれません」
彼らは僕らが手こずっている間に前に進んでいるのは当然なのだが、そろそろ追いついてもおかしくはないはずなのだ。だが、幾ら進んでも彼らの姿はもちろん、その足取りすら掴めないでいる。ニクスの言葉通り、何か予想もし得ない「なにか」に襲われているのではないだろうか。そう考えると思わずゾッとしてしまう。
「……悠里さん、怖いんですか?」
ニクスがしたり顔で問いかけてくる。
「バカ言え。僕は『深淵の魔女』の従魔だぞ。こんな迷宮の魔物よりもおぞましいものをたくさん見ているよ。主に屋敷でな」
「―――ほう。ならば試してみようか」
「……試すって、何を?」
「え?私は何も言ってませんよ?」
僕の言葉にニクスがキョトンとした顔で言った。……そこはかとなく嫌な予感がする。
「―――見せてもらうぞ。その『深淵の魔女』の従魔とやらの実力を」




