地下迷宮へ
「……というわけで明日から私と悠里さんの二人で地下迷宮に潜ろうと思います」
夕食の席でニクスがエルナに事の次第を説明した。それまで一心不乱に夕食を頬張っていたエルナもこの借金の額にはさすがに放心状態のようだ。
「525万7800オール……だと」
彼女はガレスと全く同じ反応を見せた。唯一の違いは、彼女の口元がトマトソースで真っ赤に染まっているぐらいである。まあ、呆然とする額ではある。僕はエルナにヴィンセントからの支援は望めないこと、そして最悪の場合にはこの屋敷を売りに出さなければならないことを話した。
「……だからエルナとガレスにも何かしらの金策を講じてもらわなければいけなくなりそうだ。地下迷宮に潜っても必ずお宝があるとは限らないからな。空振りに終わる可能性もあることだし」
「そうだな。こうなったらガレスを×××の店に……」
「なんでだよ!」
確かに「×××通り」には、男性向けだけでなく女性向けのお店もあった。そして悲しいかな、僕の目がそちらの方に行っていたのも事実だ。
「だが気をつけろよ、ユーリ。地下迷宮が発見されたのは『ベヒモスの森』なんだろう?」
エルナの言わんとしていることは僕にも分かる。ベヒモスを討伐してしまった僕らは、彼を慕っていたであろう魔獣たちの影を常に警戒していなければいけないのだ。それがかつてのベヒモスの本拠地の付近であるならば、なおのことだ。
「大丈夫ですよ、悠里さんは私が守りますから!」
ニクスがドンと胸を叩いてアピールする。その自信が余計に不安にさせるんだけどな!
「まあ、僕らの方でも何かしらの金策は講じておこう。僕だってこの屋敷を取られたくはないからな!」
あの自警団の女性(名前は確かニーナとか言っていた)も外観だけで判断していたが、中を見ればこの屋敷を買い取ろうなんて考える人間はいないと思う。
「もちろん死霊術だって捨てるつもりはない。この深淵の魔女は死霊術の名手として世に羽ばたくのだからな!」
死霊術が公的に認められていない魔術だから、例え名手になったとしても有名にはなれないんじゃないかなぁ。
―――――
夕食の後、食堂に残っていたのはエルナとガレスの二人だけであった。ユーリもニクスも明日に備えて早々に寝に入ってしまったからだ。それでも二階の寝室からは「いい加減に自分の部屋で寝ろ!」と叫ぶユーリの声が聞こえる。
「……全く、あの二人はいつでも騒がしいな」
エルナは食後の紅茶を啜りながら言った。根本的な原因はお前にあるんだけどな、と思いつつもガレスは紅茶と一緒にその言葉を飲み込んだ。
「なあ、エルナ。……いっそのことお前の伯父さんに……」
「ダメだ、伯父さんの行方は未だに掴めていない。それにあの伯父さんのことだ。どうせ宵越しの銭は持っていないさ」
もしも持っていたならこの屋敷に少しは残しておいてくれているはずだからな。とだけ言って彼女も自分の寝室に引っ込んでいった。
「もしもあったとしても、お前が無駄な事に使い込んでしまう姿しか想像できないのは俺が悪いのかな……?」
そう呟いてガレスもまた自らにあてがわれた寝室へと入っていった。二階ではまだニクスとユーリの叫び声が聞こえていた。
「大人しくするのです、悠里さん!あなたには私とベッドを共にする以外の選択肢は存在しない!」
「ちょ……おま……それは反則……×○♪!?☆!」
……アイツら、明日は大丈夫なんだろうか。
―――――
翌日、僕はニクスと共に荷馬車に揺られてベヒモスの森付近で発見された地下迷宮へと向かっていた。荷馬車には僕らの他にも数人の冒険者たちが乗り込んでいる。彼らもまた地下迷宮へと挑むのであろう。
「君も、やはり地下迷宮へ行くのかい?」
そう話しかけてきたのは、一緒に乗り合わせた冒険者の一人だ。顔に刻まれた傷と皺が彼を歴戦の猛者である事を教えてくれている。彼は相棒の女性との二人組らしいのだが、彼らは道中言葉を交わすこともなくどこか倦怠期の夫婦のような空気を醸し出していた。
「ええ。……それがなにか?」
「いや見たところ随分と若いから保護者でもいるかと思って……」
恐らくそれは嫌味でも何でも無い彼の心の底からの本音なのだろう。冒険者ギルドではそんなことをいう奴ももういなくなったが、今回のように一歩でも街の外に出ればそう言われるのは分かっている。
「ご心配なく!私たち強いですから!」
ニクスが僕の肩を抱いて言うが、僕とさほど年齢が変わらない(ように見える)彼女がそんなことを言っても、彼の不安を拭うことは到底出来ないだろう。
「俺も今までそんなことをいう奴にたくさん会ってきたよ。ソイツらはどうなったと思う?」
そう言ったのは別の冒険者の男だ。羽振りが良いのか随分と派手な身なりをしている。彼の両隣にいる女性たちも同様の身なりをしていることから彼らはパーティであるのだろう。金があるならこんな荷馬車に乗らなければ良いのに。
「さあ、どうなったんです?」
「みんなあの世に行ってしまったよ。君たちも命が惜しかったらそんなことを口にするのは止めておくことだ」
ベタな話だが要するに「フラグを建てるな」ってことだろう。そんなこと言われなくたって分かっているさ。
「見たところ君たち二人だけみたいだし……良かったら一緒に迷宮探索でもしないか?大丈夫だよ、手取り足取り教えてあげるから」
彼の言葉に賛同するように両隣にいた女性たちが僕の顔や手を触りまくる。振り払いたいが、彼女らに耳元で「可愛いね」とか「一緒に迷宮を踏破しましょう?」と囁かれると悪い気がしないのは僕に残された数少ない男の悲しい性の一つだと信じたい。
「よしな。ここにいる冒険者はみんなそれぞれに目的があって迷宮に挑もうとしているんだ。今更お誘いを受けるようなウブな子はここにはいないはずだよ」
緩みかけていた空気を張り詰めさせたのは、先ほどの歴戦の男の相棒である女性だ。彼女は僕に絡みついていた女性たちをひと睨みして、男の方へと向き直る。
「アンタみたいな浮ついた気持ちでいると……それこそあの世に行ってしまうんじゃないのかい?」
「……な、なんだよ。俺が優しく手ほどきをしてやろうって言っているのに。俺たちが迷宮のお宝を独占したって良いんだな!?」
「やってごらんよ。アンタらには無理だと思うけどね!」
「言ったな、後悔するなよ!?お前らの取り分はゼロだからな。おい小娘ども!お前らの取り分もあると思うなよ!」
「上等ですよ、負けませんからね!」
おい、何でそこでニクスが乗るんだ。……何だか始まる前から大変な空気になってしまったな。だが、同時に僕は確信した。彼らがこれほど真剣になるということは、迷宮にはとんでもないお宝が眠っているんだ。違いない。
「悠里さん、頑張りましょうね!」
「もう一杯一杯だけどね……」
ただでさえ乗り心地が良くない荷馬車の荷台でこんな空気になってしまうくらいだったら、この間の馬車をもう少し堪能するべきだったな、と後悔しながら僕は流れていく風景に視線を移した。これ以上トラブルに巻き込まれるのはゴメンだ。




