身体はどこだ?
「すごいな。……こんなのを見るのは初めてだ」
「ガレス、これは僕の発見だぞ。横取りするなよ」
二人にペタペタと顔中を触られながら、何とか事情を説明する。自分の名前と、一応人間であること、この戦場で豚の着ぐるみに首を撥ねられるまでの顛末を覚えている限り説明した。二人は納得のいかない表情をしていたが、僕という存在そのものが動かぬ証拠となり、最後には何とか納得してもらえた。
当然のことだが「前世」でのことは伏せておいた。話をしたところで余計に混乱させるだけだろうし、話したところで信用されないだろう。何よりも僕には優先すべき事柄がある。
「それで……ユーリ、だったか。お前の『身体』はどれだ?」
ガレスと名乗る青年に抱えられて、首の無い死体を一つ一つ見て回る。僕がここにいたのだから、僕の身体もここに残されているはずだ。転生してからスーツのままだったので、衣服を見れば一目で判断できる。首から下が見つかれば、僕は恐らく元の人間に戻ることが出来る……はずだ。
「違う……違う……違う……これも違う」
死体の検分は予想外に困難を極めた。戦場跡には首の無い死体がいくつもあったが、そのどれもが鉄や皮革の鎧に身を包んだものばかりで、スーツの死体はどこにも無かったのだ。やがて僕は恐ろしい可能性に気がつく。
この異世界ではスーツという衣服はとても珍しいもので、剥がされたのではないだろうか。そう考えると、冷や汗がどっと噴き出した。確かに素っ裸の首なし死体もいくつかあった。その中に僕のが紛れ込んでいるというのか。この二人に、僕のあられも無い姿を見られるのは、とてつもなく恥ずかしかったが、背に腹は代えられない。僕は覚悟を決めて素っ裸の首なし死体の検分に入った。
「違う。コレも違う……違う……全部違う」
恥を忍んで死体を見て回ったが、その全てが僕の覚えている僕の身体の特徴とは一致しなかった(どこで判断したのかは聞かないで欲しい)。
「悪いが……すでに屍肉漁りにでも喰われたんじゃ無いのか?」
青年が躊躇いがちに言う。だが、実際これほど探しても見つからないとなると可能性としては「魔物に食べられた」か「戦闘中のゴタゴタで跡形も無くなった」ぐらいしか考えられない。
「そんな……僕は一生、このままなのか」
唯一見えかけた光明すらあっさりと断ち切られたしまった絶望から、思わずそう漏らしてしまう。自分では身動き一つまともにとれない現状では、観葉植物の様な一生しか送れそうに無い
。
「大丈夫だ、ユーリ!君にも出来ることがある」
不意に魔女……エルナが僕の頭にポンと手を置く。慰めてくれているのだろう。優しさが胸に沁みる。胸が無いけど。
「……僕に出来る事って具体的に何だい?」
「よく聞いてくれた。それはね。……アレを見てくれるかい?」
彼女が指さした先には、こちらを見て低くうなり声を上げる狼が一匹。だが、狼と呼ぶにはあまりにも身体が大きい。恐らく真っ直ぐに立てば、僕を抱えてくれているガレス青年よりも大きいだろう。身体中を覆っている真っ黒な毛は針のように逆立ち、指先から伸びる爪は刃のように研ぎ澄まされている。分かりやすく強そうな相手だ。僕を抱えるガレス青年が苦々しい表情で言った。
「チッ、やはり『屍肉漁り』がいたか」
「屍肉漁り?」
「人間や魔物なんかの屍肉を餌にする魔物だよ。一人で相手できるやつじゃない。すごく強いんだ。エルナ、お前はユーリを抱えて逃げる準備を……」
なるほど、僕の認識は間違っていなかったみたいだな。感心している間にも、エルナが僕の真後ろに立っていることに気がつく。
「よーし、ガレス。そこを動くなよー」
エルナが身の丈ほどもある杖を構える。いつか映画やゲームで見たド派手な魔法をお見舞いしてくれるのかと一瞬だけ興奮したが、その構え方は魔法を撃つというよりかは、あたかも野球のバッターのようなものだ。……何だろう、そこはかとなく嫌な予感がする。
「おい、魔女様、あんたまさか……」
「ぃよっしゃああああああ!」
僕の言葉を待たずして杖が勢いよく振り抜かれ、僕は野球のボールよろしく屍肉漁りに向けて一直線に飛んでいった。
「じゃあな、ユーリ君!君のことはきっと多分恐らく忘れないよ!」
唖然としているガレス青年を置き去りにして、魔女はそそくさと駆けだしていく。「僕に出来る事」ってこういうことかよ!
今度こそ絶体絶命の場面であるにも関わらず、何だか死んでからこんな事ばかりだな、と頭の中でやけにのんびりと考えている自分がいることに気がつく。希望した悠々自適コースは過酷なサバイバルコースで、選んだチート能力を間違えられ、首だけで生きているかと思えば、こうして魔女がホームランだ。
冷静に振り返ると何だか怒りがこみ上げてきた。何で僕がこんな目に遭わなきゃいけないのだろうか。こんなの間違っている。絶対に間違っている。
「ふざけんなあああああああ!」
あの時と同じ、渾身の力で僕は叫んだ。でも、今度は涙も鼻水も垂らしていない。そのおかげで僕の視界は前回よりもハッキリとしていた。それ故に僕は見てしまった。僕が叫びを上げた直後に、屍肉漁りが血しぶきを上げて爆発四散するところを。
「「「え?」」」
どうやら三人が三人とも予期していなかった展開らしい。僕ら三人の声が綺麗に重なったのが分かった。
失速した僕はそのまま屍肉漁りだったゆるやかに血だまりの中に落ちる。生臭い匂いとベタベタとした血の感触が気持ち悪い。
「ちょ……助けて」
屍肉漁りの血が作りだした水たまりは小さなものだったが、身動きがとれない自分からすれば、それだけでも溺れるには十分な量だ。ガボガボと何度も血を飲みかけながら必死にもがく。
「おい、大丈夫か?」
ガレス青年がすぐに助けてくれた。やはり騎士様は頼れる存在だ。だが、すぐさま視界が大きくぶれる。あの魔女が横から僕をかすめ取ったのだ。
「ガレス君、今の見たかい?あの屍肉漁りを一撃だよ。信じられないかも知れないが、数日前の強力な魔力の反応はこのユーリのものだったんだよ!」
魔女は興奮気味にガレス青年に捲し立てるが、こちらとしては言いたいことは一つだ。
「いや、まず謝れよ」
「それにしてもこれほどの魔力を持っているにも関わらず、それを見抜けないなんて……くっ、この右目さえ封印していなければ……!」
「人の話聞けよ」
「悪いな、ユーリ。コイツ、こういうやつなんだ」
ガレス青年が顔についた血を拭ってくれる。その生温かい目のおかげで、彼女がどういうやつかよく分かることが出来た。
「ああ、中二病か……」
思えば僕もそんなことを言っていた時期があったようななかったような。ならば彼女の言動も年相応と言えば年相応か。
「おい、二人してなんだその目は。この『深淵の魔女』に文句があるっていうのかい?」
思い切りあるのだが面倒くさそうなので、これ以上は言わないことにした。
何よりも今はそれ以上に気になる事柄がある。
「さっきから言っているけど僕に魔力なんてあるの?」
早速、問いかけてみると二人はまるで時が止まってしまったかのようにポカンとした表情を浮かべた。
「まさか……自分の魔力のことを知らないのか?」
「確認する機会も無かったし、気づいたらこの姿だったんでね。そんなもの全く知らないよ」
剣と魔法の世界であることは分かっていたが、まさか自分にその素養があるとは思いもしなかった(チート能力も取り違えられたし)。だが、二人の説明によれば、自分はどうやら相当な魔力の持ち主であるらしい。恐らく間違えて与えられたチート能力がそれなのだろう。こうなってしまっては大して役にも立ちそうにない。強いて言えばカラスを追い払えるくらいだろうか。
「しかし、あの屍肉漁りを一撃で倒すなんて驚きだ。首から下があればさぞ高名な騎士になれたろうな」
「ああ。首から下があったなら、ね」
褒めているのかけなしているのか分からないガレス青年の言葉にため息が漏れる。せめてあの豚の着ぐるみと戦う前に気づくことが出来ればなぁ。
これから先、どうしたら良いのだろうか、と考えていた矢先、中二病の魔女……もといエルナが神妙な顔で僕に問いかけた。
「なあ、ユーリ。……君の首から下は見つかっていないんだよな?」
「ああ、どれもこれも僕の身体じゃなかった」
「ひょっとするとだが……君の首から下は今の君と同様に生きていて、どこかに行ってしまったんじゃないか?」