夜明け前にもう一勝負。
「んん……?」
夜も明けきらないうちに僕は目を覚ました。隣ではエルナが未だに静かな寝息を立てている。前世からそうだったのだが僕は枕が代わると眠れない性質なのだ(実のところ、エルナの屋敷に住み始めてから最初の一週間ほどは上手く眠れていなかったりしている)。こんな屋敷ならば尚更気持ちが落ち着かないというものだ。
「少し散歩でもしてみるか……」
僕はベッドから抜け出そうと身体を起こした。
「……あれ?」
だが、いくら身体を起こそうとしても、何かに縫い付けられたかのように身体が上手く動かない。僕はすぐさま視線を下に向けた。そこには、僕の腰をガッチリとホールドしている二本の腕が見える。
「おい、ニクス……手を離せ」
「ええ?……やだなぁ悠里さん。まだ朝じゃないですよ?もう一眠りしたって怒られませんよ……」
寝ぼけているのか、ニクスはまたしても凄まじい力で僕の腰を締め上げる。
「……お前は眠くても、コッチは目が覚めてしまっているんだよ!」
肘から先をマトックのものに変えて強引にニクスの腕を引き剥がす。リザードマンの腕力ならば、このゴ○ラのような少女の腕力にも対抗できるようだ。
「いだだだだ、痛いですよ……」
「当たり前だろ、痛くしているんだから!」
ようやく解放されてベッドから抜け出す。正直、こんな事にマトックの力を借りたくはなかった。わずかに後悔しながら僕は部屋を出た。
―――――
夜も明けきらない屋敷の中はひっそりとしている。どの部屋からも人の気配が感じ取れないくらいシンと静まりかえっていて、忙しなく人が行き交っていた昼間とはまるで別の世界に来てしまったような気分になる。
明かりもない廊下を一人で歩いていると、何だかコッソリ忍び込んでいるような気がして、知らず知らずのうちに足音を殺して歩いてしまう。まあヴィンセントや使用人たちに見つかれば、また殺されるかもしれないので忍んでおいた方が良いのかもしれないが。
「……我ながら小心者だな」
誰にいうでもなく自嘲的な言葉が口をついて出る。やはりちゃんと眠らないとダメだな。……そろそろ部屋に戻ろうか。
「―――――!」
そう考えていたところで突然、乾いた音が誰もいない廊下に響いた。あまりに突然のことだったので、思わず身を低くして周囲を警戒する。
―――なんだ?僕が屋敷をふらついていることに気づいた使用人たちが襲撃を仕掛けてきたのか?それともベヒモス配下の魔獣でもやってきたか?色々な可能性を考えるが、誰かが僕のところにやってくる気配はない。考えている間にも乾いた音は二度三度と響く。まるで何かを叩いているような音だ。どうやら僕を狙ったものではなさそうだ。となると音の正体はなんだ?
好奇心に駆られた僕はゆっくりと音がする方へと歩き出した。
―――――
音の正体は廊下を進んだ先―――庭の方から聞こえてくる。そこには武術の練習用なのであろう人形が置かれており、誰かが一心不乱に人形目がけて剣を振るっている。背を向けているので顔までは分からないが、音の正体はコレのようだ。
「シッ―――!」
鋭いかけ声と共に刃が振り抜かれ、人形の首が跳ね飛ばされた。高々と宙を舞った首はまるで吸い寄せられるように僕の手に収まる。
「……いつから見ていたんです?」
相手が刃を下ろしてこちらを振り返った。どうやらバレていたみたいだ。
「まだ日の出には時間がありますよ。……それとも、死霊であるあなたは眠る必要が無いのですか?」
側に置いてあった手ぬぐいで汗を拭いながらグエン少年は言った。どうやら相当嫌われてしまったみたいだ。すぐに斬りかかってこない分だけ、マシなのかもしれないが。
「君こそ。眠らなくて大丈夫なのか?朝が来たら使用人としての仕事があるんじゃないのか?」
「お気遣いどうも。ですが僕の事は大丈夫です。日の出まで鍛錬をするのは僕の日課ですので」
そう言うと、彼はまた首の無くなった人形に向かって剣を打ち込み始めた。
「……昼間のような失態は許されない。僕はこの家の使用人として役目を果たさなければならないんだ……!」
鬼気迫る表情で剣を振るう姿は何かに追われているかのような焦燥感がある。
僕はその表情を知っている。朝から晩まで馬車馬のように働き回っていたあの頃の僕と同じ表情だ。
「なあ、グエン少年」
僕は彼の側に置いてあったもう一本の剣を手に取った。
「鍛錬なら僕も参加させてくれないか?」
「……どういう風の吹き回しですか?」
「ふふん。君を朝まで休ませてあげようと思ってね?」
グエン少年が鼻を鳴らした。
「それは……僕をぶちのめす、ということでよろしいのですか?」
「そうさ。そうすれば君は朝まで休めるだろう?たまには身体を休めないとダメだよ。無理をしたって良い事は何もないからね」
「いいでしょう。……昼間のようには行きませんからね!」
グエン少年が剣を構えて突進を仕掛けてきた。




