人の家を尋ねる際には必ずアポを取りましょう。
「さあ、着いた。取りあえずココで一休みさせてもらいましょう」
そう言ってユーリが指さした先にあるのは、幾つも並んでいる樹木のうちの一本である。レオとシンシアには先ほど彼女が寝そべっていた樹木との違いすら分からない。
「(なあ、コイツ冗談を言っているのかな?)」
「(さあ、私には分からないわ……)」
ひそひそ話をする二人を他所にエルナは至って冷静だ。
「なんだ、お前もキリカと知り合いだったのか」
「あら、あの子を知っていたのね?下手なお店よりも美味しいお茶を淹れてくれるから結構、気に入っているのよ」
樹木の表皮は暖簾のようにペロリとめくれて、そこから中の様子が少しばかりだが窺うことができる。椅子にテーブル。その上には湯気が立つマグカップが一つ……二つだろうか。外装が樹木である事を除けば、内装は人間の屋敷とそう変わりないようだ。樹木の大きさに対して中の広さが釣り合っていないのは、魔術で空間を広げているのだろう。
「キリカ―、いるー?」
ユーリはそう言って断りもなくずかずかと中に入っていく。その後ろをエルナ、レオ、シンシアと続いていく。
「なあ、良いのかよご主人。勝手に入っちゃって」
「ここの主のキリカとは知り合いだ。もしも何かあったらコイツのせいにするさ」
不安げなレオの問いかけにエルナは平然と答えた。もちろん彼女の言うコイツとはユーリの事である。
「あら、ちょうどお茶が淹れてくれてあるじゃない。あの子ったら気が利く……」
勝手知ったる他人の家とでも言ったところなのだろうか。ユーリが当然の様にマグカップの一つに手をかけようとしたところで一人の女性が物陰から顔を出した。
「キリカ―、お客さんが来ているんじゃないかしら……?」
その顔を見るなり、ユーリの動きが止まる。それは相手も同じようだ。
「あら、あの子を探していたら思いもしない相手に巡り会ってしまったわ。どうしようかしら?」
そう言いながらも、すでにユーリの手には腰に下げていた剣がある。
「私も同感よ。もうすっかり忘れてくれたものだと思っていたのに」
二人は互いに笑顔を浮かべているものの、その空気は息が詰まりそうなほど張り詰めている。
「なんだ、アイギスも来ていたのか?」
そんなことにも気づかずにエルナがユーリの後ろからひょこっと顔を出す。ユーリと向かい合う女性―――アイギスの緊張の糸が思わずゆるむ。
「あら、エルナ。久しぶりね―――」
そこに生まれた隙を見逃すほど魔王の従魔は甘くはなかった。アイギスの意識がわずかにエルナへと逸れたタイミングで音もなく刃を突き出す。喉元を狙った鋭い一撃だ。
「―――――!!」
甲高い音を立てて刃が床に落ちる。ユーリの突き出した剣は根元から刃がへし折られており、アイギスの手には一本の杖が握られている。二人の間に生じた目には見えない盾が刃を防いだのだ。
「ちっ、油断も隙もありゃしないのね、盾の魔女様は?」
「これでも伊達に魔王の従魔から逃げ回っていないもの。いつだって備えは怠っていないの」
「全く、これじゃあ作戦会議どころじゃなくなったわね。まずはお前を八つ裂きにすることから始めないと」
ユーリが背負っていた槍に手をかける。アイギスも杖を突きつけて臨戦態勢をとる。
「あらら、魔王の従魔様はこんな狭い部屋の中で槍を振り回そうというの?」
「心配は要らないわ、私ならこの家の家具を一切、傷つけることなくお前だけを八つ裂きにしてあげられるもの」
ジリジリと互いに牽制しながら、相手の隙を窺う。一瞬の油断が生死を分ける―――極限の命の果たし合いがまさか家主であるドライアドがあずかり知らぬところで行われようとは誰が考えるだろうか。
「お前ら喧嘩なら外でやれよ」
呆れたようなエルナの言葉が開戦の合図となった。
先に仕掛けたのはユーリの方である。狭い部屋の中にあって彼女の振るう刃は家財を一切傷つけることなく、確実にアイギスを狙って突き出された。
「ほんの数秒前に刃をへし折ってやったばかりなのに、魔王の従魔様はおつむが残念みたいね?」
余裕の笑みを浮かべてアイギスは杖をかざす。傍目には何も見えなくとも、彼女の前には堅牢な盾が張られている。
「魔王の従魔に同じ手が二度通じるかしら?」
その言葉と同時にユーリの腕は関節を無くしたように大きく波打った。まるで蛇を思わせる動きでアイギスの盾を掻い潜って彼女に刃を突き立てる。
「あらまあ、魔王の従魔はいつから蛇になったの?」
その声には緊張感が無いが、刃を躱す俊敏な動きからは、彼女が珍しく驚いていることが感じ取れる。
「ふふ、あの子に焼かれた身体を修復してもらう時に私も同じことをしてもらったの。今の私の身体は数種類の魔物の特性を取り込んでいるのよ」
ダラリと伸びた腕から繰り出される動きは正しく蛇のようにしなやかであり、息つく暇も与えないほどにアイギスを追い立てていく。彼女も盾を張るが、ユーリの刃は見えないはずの盾をことごとく掻い潜って執拗にアイギスを責め立てる。
「あー、もう……早く楽になっちゃいなさいよ?」
「悪いけど、私はこの人生を謳歌したいのよ。死ぬにはまだ早すぎるわ」
アイギスが素早く杖を振るった。耳障りな金属音を立ててユーリの槍が弾き飛ばされる。だが、得物を弾かれても尚、彼女はその口元に浮かべた笑みを崩さない。
「あっそ。でも、このままだとそれは叶わない夢になりそうねぇ」
蛇の腕がアイギスの脚を絡め取った。
「あらあら……?」
声を上げる暇もなくアイギスが引き倒される。
「これは一本取られたかしら?」
「そうね。ふとした油断が命取りになるって最期に学べて良かったわね?」
ユーリがもう一方の手で槍を拾い上げる。
「最期?それはどうかしら?」
アイギスが不適な笑みを浮かべた。
「良いタイミングで来てくれたわね―――矛の魔女様?」
咄嗟にアイギスの背後から躍り出た影に視線を切り替えるが、それよりも早く雷を纏った一撃が屋敷の壁に巨大な風穴を開けた。
「おいおい、なんだよ次から次へと……」
「私、ここで休憩できるって聞いていたんだけど」
すでにレオとシンシアはうんざりしたような顔で物陰に隠れている。
「なあ、ご主人。アイツらを止めてくれよ」
「無茶言うな。これでも病み上がりだぞ」
エルナはすでに諦観したようにお茶を啜っている。
「なによ、もう……魔女がもう一匹現れるなんて聞いてないんだけど?」
砂埃を払ってユーリが立ち上がる。どうやら矛の魔女の一撃は回避したようだが、それでも彼女の衣服の一部は衝撃によって引き裂かれてしまっている。
「あら、躱したの?仕留めたと思ったのに……」
突如として現れた矛の魔女―――ケラウノスは己の拳を開いたり閉じたりして感触を確かめている。
「でも、これで形勢逆転ね。謝れば許してあげるけど」
アイギスの言葉にユーリは鼻を鳴らす。
「ふふ、憎たらしい魔女を二匹も同時に葬ることができる機会なんてそうそうないのに、わざわざ逃すと思う?」
その言葉にケラウノスは満面の笑みで応える。
「そうこなくちゃ。魔王の従魔とは一度戦ってみたかったの!」
互いに臨戦態勢を取ったところで、何かが床をゴロゴロと転がった。三人は思わず手を止めてそれを拾い上げる。
「……果物ね」
アイギスが呟く。床を転がったのは柿や木苺といったいくつかの果物だった。
「もういいだろ。屋敷の主がおかんむりだぞ?」
魔女たちと従魔の視線がエルナの方へと向けられる。彼女の隣にはわなわなと震える屋敷の主―――キリカの姿がある。
「お茶請けにと思って果物を取りに行ったのに……」
床を転がった果物は彼女の手からこぼれ落ちたものであった。
「「「あー、えーと……その……」」」
三人は否応なしに矛を収めざるを得なくなってしまった。




